アリス・ケッペル
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アリス・ケッペル(Alice Frederica Edmonston Keppel, 1869年10月14日 - 1947年9月11日)は、イギリス国王エドワード7世の愛妾(Royal Mistress)。
「La Favorita」(お気に入り)の呼び名と共にエドワード7世の最愛の女性として知られる。
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[編集] 生涯
提督ウィリアム・エドマンスタンの末娘として、スコットランドで誕生。母はメアリー・エリザベス・エドマンスタン。兄1人と姉7人がいる。1891年、アルビマール伯爵の三男ジョージ・ケペルと結婚。
夫は貴族とはいえ三男で、それほど裕福な家庭生活は期待できなかった。当時、美貌に自信はあるが暮らし向きに不満のある、ある程度階級が上の既婚婦人は、相応の社交界に出入りすることによって、いわゆる愛人契約のできる紳士と巡り会ったといわれる。現在の倫理観では考えられないが、当時の上流社会においては妻が公妾となると夫の社会的地位も上がると考えられていた。そのためアリスは夫をせき立て、ロンドンへ移り住んだ。そこで、彼女の名前は公妾として知られるようになった。1894年に生まれた長女ヴァイオレット・ケッペル=トレフューシスは、実父はジョージではないと囁かれた。
人目をひく美貌に低い声、豊満な肢体のアリスは、上流の社交界へ出入りするようになり、当時56歳のエドワードに見そめられた。それから彼の死までの12年間、エドワードは片時もアリスを離さなかったという。アリスは、エドワードのそばにいれば当然顔を合わせる政府高官、貴族たちにも受けが良かった。尊大な態度で利益を要求したり、また、卑屈に媚びることもしなかったためである。1900年、二女ソニアを生んでいる。
公衆の面前でエドワードと同道する際、彼女は控えめに振る舞った。自分の愛妾としての立場を十分にわきまえ、王妃への儀礼を第一に心がける彼女に、王妃アレクサンドラも、表面上ではあからさまな敵意を示さなかった。エドワードが即位してから彼女が公式な場に出席することが増えると、貴族たちは私的な園遊会に王妃とともにアリスを招くべきか、苦慮したという。
王の死後、家族とともにセイロン島で2年間暮らした。
1936年、エドワード8世が退位したとき、「ロイヤル・ミストレスは宮中儀礼を第一と心得、後はベッドに飛び込むだけ。私たちはそれを上手くやった。」と、発言した。
[編集] 娘のスキャンダル
トレフューシス家の跡取りと結婚していた長女ヴァイオレットは、作家で既婚者のヴィタ・サックヴィル=ウェストと駆け落ち騒ぎを引き起こし、貴族の令嬢の同性愛スキャンダルとして話題になった。
[編集] 子孫
(アシュコム男爵夫人となった二女ソニアは3子を生み、うち長女ローズマリーがカミラの母である。)
[編集] 参考文献
- 森護『英国王妃物語』三省堂