アマゾーン
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アマゾン(亜馬森、アマゾーン、'Αμάζων(Ἀμάζων), Amazon)は、ギリシア神話に登場する女性だけの部族。アマゾニス('Αμαζονίς(Ἀμαζονίς), Amazonis)とも。フランス語ではアマゾネス(Amazones)、ポルトガル語ではアマゾナス(Amazonas)、スペイン語ではアマソナス(Amazonas)という。
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[編集] 概要
神話上では軍神アレスとニュンペのハルモニアを祖とする部族で、当時のギリシア人にとっては北方の未開の地カウカソス、スキュティア、トラキア北方などの黒海沿岸に住んでいた。黒海はかつてアマゾン海と呼ばれていたこともある。アマゾンは黒海沿岸の他、アナトリア(小アジア)や北アフリカに住んでいた、実在した母系部族をギリシア人が誇張した姿と考えられている。
アマゾンは馬を飼い慣らし弓術を得意とする狩猟民族で、狩猟の女神アルテミスを信仰していた。アマゾンの語源は、弓などの武器を使う時に右の乳房が邪魔となることから切り落としたため、"a"(否定)+"mazos"(乳)=乳無しと呼ばれたことからとされるが、これは近年では民間語源であると考えられおり実際にはすべてのアマゾンが右乳房を切り落としていたわけではない。最初に馬を飼い慣らしたともいわれ、明らかに騎馬民族であったようだ。アマゾンは弓の他に、槍や斧、スキタイ風の半月型の盾で武装した騎士として、ギリシア神話中多くの戦闘に参加している。後のヘレニズム時代にはディオニュソスもアマゾン征伐の主人公となっている。
女性のみの部族であるため子孫を残すためには男が必要である。 このため時折捕虜として男を連れ帰ることがあった。捕虜となった男は全裸にされ手枷、足枷がつけられ子作りの道具として多数のアマゾンによって嫐られ精を搾られた。その結果、すぐに発狂するか廃人同然となり、男性機能が役に立たなくなった者から順に絞め殺された。 男児が生まれた場合は即、生き埋めにして殺すか、不具として奴隷とする。女児の場合はそのまま戦士に育てた。
絵画では、古くはスキタイ人風のレオタードのような民族衣装を着た明らかな異国人として描かれていたが、後代にはドーリア人風の片袖の無いキトンを着た姿で描かれるようになった。
アマゾン、アマゾネスは、強い女性を意味する言葉としてよく使われる。また、南アメリカのアマゾン川もその流域に女性のみの部族がいたという伝説があることからそう名付けられたとする説がある。
[編集] 神話
[編集] ヘラクレスとテセウスの冒険
ヘラクレスは十二の仕事の一つとして、アマゾンの女王ヒッポリュテの持つアレスの帯を取りに行かねばならなくなった。当初、ヘラクレスはアマゾンの国に乗り込もうと考えていたが、争えば後々わだかまりを残すと考え、ダメ元で交渉に踏み切った。しかし、ヘラクレス達の予想に反しヒッポリュテはヘラクレスを客として迎え入れ(一説では強靭な肉体のヘラクレス達にほれ込んで、自分たちとの間に丈夫な子をつくる事を条件に)、帯を渡すことを約束した。しかしアマゾンの一人に変装したヘラが、ヘラクレスたちは女王をさらおうとしていると煽動し、アマゾンたちとヘラクレスたちとの間で戦いとなった。ヘラクレスはヒッポリュテに謀られたと思いこみ、弁明する彼女を殺して帯を奪い去った。後にそれが誤解であったことに気づいたが、もはや後の祭りであった。
またテセウスは、このときヘラクレスと共にアマゾンの国に攻め入ったとも、また別の時に攻め入ったともいわれ、ヒッポリュテの妹アンティオペ(あるいはヒッポリュテ自身、またはメラニッペ)を奪い去り、結婚して自分との間にヒッポリュトスを生ませた。アマゾンたちはテセウスの治める国アテナイに攻め込んだ。アッティカのアレイオス・パゴス丘に陣を敷き激しい戦いが行われたが、最終的にアマゾンは敗れた。
[編集] トロイア戦争
ホメロスの『イリアス』では、アマゾンは一時期リュキア近辺まで勢力を伸ばしていたが、ベレロポンとプリアモスによって撃退された。
しかし、トロイア戦争においてアマゾンはトロイア(イリオス)側についた。これは女王ペンテシレイアが、テセウスとの戦闘の際に誤って前女王ヒッポリュテを殺してしまい、その贖罪のためであったとされる。アマゾンは女王ペンテシレイアに率いられ勇敢に戦ったが、女王はアキレウスに討たれてしまう。アキレウスは死に際のペンテシレイアの美しさを見て恋に落ち、彼女を殺したことを嘆いたという。