KOUZIRO
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種類 | 株式会社 |
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略称 | フロンティア神代 |
本社所在地 | 〒742-0021 山口県柳井市柳井5984番地1 |
電話番号 | 0820-24-2400(代表) |
設立 | 1981年6月1日 |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 自社製パーソナル・コンピュータ開発・製造及び販売、ソフトウェア開発及びシステム設計、ネットワーク関連事業全般、情報関連事業全般 |
代表者 | 代表取締役社長 山田健介 |
資本金 | 5億2,400万円 |
売上高 | 66億1,000万円(平成16年度) |
従業員数 | 120名 |
主要株主 | ヤマダ電機 |
外部リンク | www.frontier-k.co.jp/ |
株式会社KOUZIRO(こうじろ)はパソコンの組み立て製造・販売を行っている企業。商号はフロンティア神代(FRONTIER)。本社は山口県柳井市柳井5984番地1。家電量販店ヤマダ電機の子会社で、インテルプレミアプロバイダの一つ。
20年以上前よりパソコンの通信販売を手がけ、早くからBTOにも対応するなど、ホワイトボックスパソコンにおける文字通り先駆者的な存在である。
[編集] 沿革
1981年、山口県熊毛郡田布施町で文房具店を営んでいた初代社長の神代昭治が当時まだ珍しかったコンピューターの販売を始める。個人事業から法人(株式会社神代)に組織替えし、コンピューター販売に本腰を入れることになる。
当時パソコンといえばNECのPC-9800シリーズが主流であり、取扱商品もこれが主流であったが、1984年頃にPC/AT互換機が登場し、DOS/Vが登場したことを受けてPC/AT互換機の販売に力を注ぐことになる。当初はPC9800シリーズの圧倒的な優位性に販売数も伸び悩んだが、Windowsの登場によってPC-9800シリーズの優位性が少なくなるにつれ、徐々に業績を伸ばしていった。1987年以後、岩国市、徳山市(現在の周南市)、宇部市、さらには広島県の広島市中区と福山市にも直営店を構えるほどに成長した。
1993年よりPC/AT互換機のオリジナルブランド「FRONTIER」シリーズを発売する。『田舎が生んだコロンブスの卵』のキャッチコピーのもと、コンピュータ販売の世界では当時珍しかったオーダーメイドシステムにより、自社での注文生産(当時は本社のカウンターの裏で従業員総出で組み立てを行っていた)を基本としながら、部品の選定にはきちんと相性診断を行うなど、品質と安さが通販分野(当時は月刊ASCIIなどコンピュータ雑誌への広告が中心であった)などで評判を呼び、好評を博する。Windows95の登場した後の1996年には、東京秋葉原への出店を果たし、1999年には柳井市の工業団地内に本社および工場を移転、生産能力の増強をはかった。
しかしながら、秋葉原のパソコンショップなどを中心にパソコンの通販分野に進出する企業が相次ぐようになると、自社ブランドにオリジナリティを見いだすことが困難になった事、直営店が出来た当初からサポート体制の悪さが有名で、その噂が段々と有名となった為、顧客は他店のパソコン専門店に流れた結果、店頭販売部門を中心に徐々に苦戦を強いられるようになる。その結果、直営店を次々と閉鎖(徳山店だけは最後まで残っていたが2006年5月に閉鎖して直営店は消滅)し、販売の軸を通販部門と法人販売部門に大きくシフトさせたが、販売チャンネルの減少は少なからず痛手となった。
一方、大手家電量販店のヤマダ電機は廉価版のコンピューター販売にも力を入れており、各社のホワイトボックスブランドを取りそろえていた。この中にフロンティア神代製のものも含まれており、フロンティア神代はヤマダ電機オリジナルモデルをラインナップに加えることになる。やがて、このヤマダ電機での取り扱いにおいては、最新の3Dオンラインゲームに対応したデスクトップのハイエンドモデルやBTOも担う様になった。他方、廉価版については、純然たる自社製ではなく、同じくホワイトボックスパソコンのメーカーであるマウスコンピューターが製造したOEM品がラインナップに含まれていた時期もある。
このパソコン販売を契機として、2004年1月、フロンティア神代はヤマダ電機に対して大幅な第三者割当増資を行い、ヤマダ電機の連結対象子会社となる。同年には社名をKOUZIROに改め、ロゴを一新。2006年に営業拠点を柳井本社と東京支店に集約しており、現在ではヤマダ電機での店頭販売とこれまでの通販部門が販売の両軸となっていると推測される。