高辻長雅
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高辻 長雅(たかつじ ながまさ、永正12年8月25日(1515年10月2日) - 天正8年9月10日(1580年10月18日))は、戦国時代・安土桃山時代の公卿。菅原氏高辻家の当主。従二位権中納言高辻章長の子。母は権大納言町広光女。正三位権中納言町資将(町広光の養子)の同母兄。法名文盛。
式部大輔、文章博士、参議、大学頭などを歴任し、弘治元年(1555年)権中納言になる。永禄7年(1564年)菅原氏の氏長者となった。最終官位は正二位権大納言。天正8年(1580年)9月10日、66歳で薨去した。
長雅には子がなく、初めは遠縁の五条為経(権中納言)を養子としていたが、為経は後に実家の五条家に戻ってその当主となった。その後、長雅は後嗣がないまま没したので、高辻家は彼の死後、寛永11年(1634年)に高辻遂長(五条為経の子)が再興するまで84年間中絶した。