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飯田線 - Wikipedia

飯田線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

飯田線(いいだせん)は愛知県豊橋市豊橋駅長野県上伊那郡辰野町辰野駅を結ぶ東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線地方交通線)である。

目次

[編集] 路線データ

[編集] 概要

開業・ダム建設輸送・戦時国有化と、折々の時代の要請の中で愛知県静岡県長野県に跨る険しい山岳地帯を貫き全通を果たし、現在も東三河・天竜・中南信の都市農山村を結ぶ、ローカル線の中では最も長い路線。長野県の上諏訪駅から愛知県の豊橋駅まで各駅停車で直通する列車もあり、辰野駅から豊橋駅までは約6時間かかるが、一度も乗り換えることなく行くことができる。1983年までは旧型国電の宝庫として鉄道ファンの注目を集めたが、現在でも天竜川の険しい渓谷を縫うように走る車窓風景や、小和田駅田本駅などのいわゆる秘境駅の存在から、鉄道ファンや旅行者に人気のある路線である。

もともと直結した4社の私鉄路線(豊川鉄道鳳来寺鉄道三信鉄道伊那電気鉄道)を戦時国有化・統合したことで成立した路線であり、駅はほぼ開通時の沿線集落ごとに設けられている。このため駅間距離が旧国鉄の地方路線としてはとても短いのが特徴で、全長195.7km中に起終点を含めて実に94の駅がある。それらの平均駅間距離は約2.1kmと大都市の市街地路線並みであり、また地方鉄道の簡易な規格で建設されたことから制限速度は低く、急カーブや急勾配(最急勾配は沢渡駅赤木駅間の40で、JRで最大)も多く見られる。

豊橋駅~豊川駅間の複線区間のうち、豊橋駅~平井信号場間は名古屋鉄道(名鉄)と共用しており、東海旅客鉄道が所有する下り線を飯田線と名鉄の下り列車(中部天竜名鉄岐阜方面行き)が通り、名鉄が所有する上り線を名鉄と飯田線の上り列車(豊橋方面行き)が通る。これは1927年6月に、愛知電気鉄道(名鉄名古屋本線の前身)の豊橋延長に際し、豊川鉄道(飯田線大海駅以南の前身)と線路共用を行う協定が結ばれ、これが現在にまで踏襲されているものである。この区間にある船町駅下地駅は飯田線専用で、名鉄の列車は停車しないが、1991年3月ダイヤ改正からは、新城駅以北直通の飯田線列車のほとんどについてもこの両駅を通過するようになった(朝夕を除く)。

2008年現在、豊橋駅を除く全駅でTOICAの使用はできない。

[編集] 運行形態

1996年に登場した特急伊那路」が、豊橋飯田間に1日2往復運転され、飯田~辰野方面には快速みすず」が運転されている。また飯田線全線を約6~7時間かけて走り抜く直通の普通列車もあるが、列車の運行区間は概ね、豊橋近郊の東三河地区、本長篠から中部天竜を経て天竜峡に至る急峻な3県県境越えの三遠南信、および飯田・伊那周辺の飯伊地区の3区間に分けられる。

なお、飯田~駒ヶ根間などで、普通列車では珍しく昼間車内販売で弁当を売っていたことがあるが、2004年1月で車内販売はなくなった。

担当乗務員区所は、豊橋運輸区:運転士が豊橋~天竜峡、車掌が豊橋~天竜峡(特急「伊那路」は飯田)。伊那松島運輸区:運転士・車掌とも中部天竜~辰野となっている。

1960年から1980年代にかけては、新宿長野名古屋などとの間に直通急行列車が4~7両編成で走っていたが、中央自動車道が全通し、これを経由する高速バス中央高速バス中央道高速バス)が設定されると利用者が激減したため廃止された。

[編集] 東三河地区(豊橋~本長篠)

東三河の市街区間である豊橋本長篠間は30分~1時間に1本が運転されるほか、豊橋~豊川間は区間列車が加わり概ね15分ヘッドの運転となる。飯田線では最も旅客輸送の盛んな区間であるほか、初詣シーズンなどは豊川稲荷への参詣輸送も行われる。なお、2006年10月1日のダイヤ改正で東海道本線直通列車の運行は終了し、すべて豊橋発着となった。

[編集] 三遠南信地区(本長篠~天竜峡)

宇連川天竜川沿いの小町村・小集落を縫って走る急峻な山岳路線である。列車は豊橋方面との直通が多いが、一部は豊橋方面から中部天竜または水窪まで、および天竜峡方面から平岡までの区間運転となり、列車は概ね朝夕1時間1本、日中は2~3時間程度間隔が開く。中部天竜~水窪間には、川の対岸に渡らず戻ってくる通称S字橋こと第六水窪川橋梁がある。

かつて1987年から2006年まで、行楽シーズンに豊橋~中部天竜間でトロッコ列車トロッコファミリー号」が運転されていた。

[編集] 伊那地区(天竜峡~辰野)

概ね1時間に1本が運転され、飯田市駒ヶ根市伊那市などの南信地方主要都市を結んでいる。天竜峡辰野間では一部の列車でワンマン運転が行われている。また、飯田辰野岡谷塩尻篠ノ井線経由・長野間を快速みすず」が結んでおり、このうち一部は飯田線内各駅に停車する。

特急「伊那路」のほかは普通列車と一部の快速列車の運行であるが、一時期、臨時特急「ふれあい伊那路」が豊橋方面から駒ヶ根まで運行されていた。

普通列車はほぼすべてが中央本線岡谷まで直通しており、中央本線の辰野~岡谷間は飯田線と一体の運行になっている。先述の快速「みすず」ほか一部列車は岡谷より先の中央本線上諏訪または茅野まで直通する。

[編集] 使用車両

[編集] 現在の使用車両

なお当路線で373、115系以外の車両で車掌が乗務する列車は、ドアは運転士が開閉操作をするため駅に着いてもすぐにドアは開かない。これは車掌が無人駅(夜間無人となる有人駅含む)で乗車券を回収するためである。このためこれが列車の遅延の原因になることがある。

[編集] 過去の使用車両

国有化以前は以下の項目を参照。

[編集] 歴史

飯田線の経路は、伊那谷地域を経由して東海道本線と長野県を結ぶものであり、明治時代以来長い時間をかけて建設が進められたルートである。特に大正期以降に建設・延伸された区間については、この時代に中部山岳地帯各地において盛んに行われた水力発電所建設に伴う資材の輸送を担うべく延伸が促進されたものであり、あわせて早期に電化が行われる一因ともなった。

[編集] 豊橋~三河川合間

豊橋~大海間は豊川鉄道が開通させた。最初の開業区間は豊橋~豊川間で、大海駅まで開通したのは1900年である。1925年に全線が電化され、翌年には名古屋からの路線を延ばしてきた愛知電気鉄道(名古屋鉄道の前身の一つ)が乗り入れを開始している。

大海~三河川合間は豊川鉄道傍系会社の鳳来寺鉄道により1923年に開業した。豊川鉄道と同年に電化されている。

[編集] 豊川鉄道

  • 1897年明治30年)7月15日 - 豊川鉄道 豊橋~豊川間(5M30C≒8.65km)が開業。豊橋駅(国鉄と共有)、牛久保駅、豊川駅開業。
    • 7月22日 - 豊川~一ノ宮間(2M3C≒3.28km)が延伸開業。一ノ宮駅(現在の三河一宮駅)開業。
  • 1898年(明治31年)3月13日 - 小坂井駅開業。
    • 4月25日 - 一ノ宮~新城間(6M3C≒9.72km)が延伸開業。東上駅、新城駅開業。
  • 1899年(明治32年)10月19日 - 長山駅開業。
    • 12月11日 - 豊橋駅から豊川鉄道の駅が吉田駅として分離。
  • 1900年(明治33年)9月23日 - 新城~大海間(3M74C≒6.32km)が延伸開業し豊橋~大海間全通。大海駅開業。
    • 11月7日 - 貨物支線 吉田~船町間(1M6C≒1.73km)開業。(貨)船町駅(初代)開業。
    • 12月15日 - 川路駅(現在の三河東郷駅)開業。
  • 1902年(明治35年)4月1日 - 貨物支線(吉田~船町間)と本線の分岐点に船町分岐点を設置。
    • 11月12日 - MC表示からマイル表示に簡略化(吉田~大海間 17M30C→17.4M、吉田~船町間 1M6C→1.1M)。
  • 1903年(明治36年)3月15日 - 大海駅を長篠駅に改称。
  • 1914年大正3年)1月1日 - 東新町駅開業。
  • 1916年(大正5年)1月1日 - 一ノ宮駅を三河一宮駅に改称。
  • 1918年(大正7年)1月1日 - 野田城駅開業。
  • 1925年(大正14年) - 吉田~長篠間が電化。
  • 1926年(大正15年)4月1日 - 愛知電気鉄道が豊川鉄道の小坂井~豊川間に乗り入れ開始。
    • 5月1日 - 茶臼山駅開業。
    • 11月10日 - 江島渡停留場(現在の江島駅)開業。
  • 1927年昭和2年)6月1日 - 新船町停留場(現在の船町駅)開業。下地~小坂井間に平井信号所開設。愛知電気鉄道が豊川鉄道の吉田~平井信号所間の下り線に乗り入れ開始。
  • 1930年(昭和5年)4月1日 - マイル表示からメートル表示に変更(吉田~長篠間 17.4M→28.0km、吉田~船町間 1.1M→1.7km)。
  • 1942年(昭和17年)5月12日 - 西豊川支線 豊川~西豊川間 (2.4km) 開業。西豊川駅開業。

[編集] 鳳来寺鉄道

  • 1923年(大正12年)2月1日 - 鳳来寺鉄道 長篠(現在の大海駅)~三河川合間(10.7M≒17.22km)が開業。鳥居駅、鳳来寺駅(現在の本長篠駅)、三河大野駅、湯谷停留場、三河槙原駅、三河川合駅開業。
  • 1924年(大正13年)4月1日 - 長篠古城址駅(現在の長篠城駅)開業。
  • 1925年(大正14年)7月 - 長篠~三河川合間が電化。
  • 1929年(昭和4年)5月5日 - 柿平停留場開業。
    • 5月22日 - 鳳来寺駅を鳳来寺口駅に改称。
  • 1930年(昭和5年)4月1日 - マイル表示からメートル表示に変更(10.7M→17.2km)。


[編集] 三河川合~天竜峡間

三河川合~天竜峡間は三信鉄道によって開通した。鉄道会社が設立されたのは、鉄道が投機の対象となっていた1927年であり、路線測量はその翌年4月から開始された。測量には、アイヌ民族の測量士で山地での測量技術に長けた川村カ子トらが高給で招聘されて従事した。ところが、1929年には昭和恐慌が起こり、経済情勢が急変。だが、筆頭株主が東邦電力と天竜川電力という電力会社で、濃くなる戦雲のなか天竜川に国内エネルギー資源開発をもくろんでいた両社は、電源開発の資材や労働力運搬のため鉄道を使用しようとして、1929年8月の天竜峡・門島間の着工後も工事は放棄されること無く、1930年には、南から三河川合・出馬間も着工した。しかし、中央構造線のもろい地層と、天竜川峡谷の断崖絶壁に阻まれて工事は難航。コスト削減のため、実際の土木工事は、ほとんど朝鮮半島から連れて来られた人々が担った。それでも会社の資金繰りは悪く、朝鮮民族の労働者は争議に訴えてようやく不払いの賃金を一部だけ獲得するというありさまであり、もろい地層の工事にもかかわらず保安設備は劣悪で犠牲者が続出、恐れをなした朝鮮民族労働者が現場から逃げ出し近隣の農村に駆け込む事態も起こった。1931年からとうとう工事は中断したが、三菱銀行などから多額の融資が得られ、この工事に生命をかけた飛島組の熊谷三太郎の工費を自分で立て替える熱意とあいまって、工事は再開された。このような紆余曲折と日本鉄道史に残る凄惨な工事の末、最後の大嵐~小和田間開業でこの区間が全通したのは1937年である(当初より電化)。これをもって、豊川鉄道の最初の区間が開業してから40年後、現在の飯田線である吉田(現在の豊橋)~辰野間は全通、直通電車が走り始めた。なお、この難工事成功の実績により、熊谷三太郎は自立に成功、戦後に熊谷組として成長する地歩を築いた。

[編集] 三信鉄道

  • 1932年(昭和7年)10月30日 - 三信鉄道 天竜峡~門島間 (8.3km) 開業(直流1500V電化)。千代停留場、金野停留場、唐笠停留場、門島駅開業。
  • 1933年(昭和8年)12月21日 - 三河川合~三輪村間 (6.1km) が開業。三輪村駅(現在の東栄駅)開業。
  • 1934年(昭和9年)4月23日 - 三輪村駅を三信三輪駅に改称届出。
    • 11月11日 - 三信三輪~佐久間間 (11.1km) が延伸開業。出馬駅、浦川駅、下川合駅、佐久間駅(現在の中部天竜駅)開業。
  • 1935年(昭和10年)5月1日 - 早瀬停留場開業。
    • 5月24日 - 佐久間駅を中部天竜駅に改称。
    • 6月12日 - 三信上市場停留場開業認可。
    • 11月15日 - 門島~温田間 (5.7km) が延伸開業。田本停留場、温田駅開業。
  • 1936年(昭和11年)4月26日 - 温田~満島間 (8.3km) が延伸開業。我科停留場、満島駅(現在の平岡駅)開業。
    • 8月19日 - 為栗停留場開業。
    • 11月2日 - 池場停留場開業。
    • 11月10日 - 中部天竜~天龍山室間 (7.2km) が延伸開業。佐久間水窪口停留場(現在の佐久間駅)、豊根口停留場、天龍山室駅開業。
    • 12月29日 - 天龍山室~大嵐間 (6.9km) が延伸開業。白神停留場、大嵐駅開業。
    • 12月30日 - 満島~小和田間 (10.2km) が延伸開業。鶯巣停留場、伊那小沢駅、中井侍停留場、小和田駅開業。
  • 1937年(昭和12年)3月1日 - 遠山口停留場開業。
    • 8月20日 - 大嵐~小和田間 (3.1km) が延伸開業し現在の飯田線が全通。
  • 1938年(昭和13年)1月16日 - 佐久間水窪口停留場を佐久間停留場に改称。
  • 1941年(昭和16年)2月7日 - 佐久間停留場を駅に格上げ

[編集] 天竜峡~辰野間

天竜峡~辰野間は伊那電気鉄道が開通させた。最初の開業区間は辰野(のちの西町)~松島(現在の伊那松島)間で、当初の社名を「伊那電車軌道」と称したとおり、一部が併用軌道であった。しかし軌道では大量輸送・高速化に適さないため、伊那松島~伊那町(現在の伊那市)間が専用軌道に移設され、全線が軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更されたのは1923年、天竜峡~辰野間が全通したのは1927年である。

[編集] 伊那電車軌道→伊那電気鉄道

  • 1909年(明治42年)12月28日 - 伊那電車軌道 辰野~松島間が開業(軌道法に基づく軌道線)。辰野駅(初代・後の西町駅)、宮木停留場、新町停留場、南新町停留場、神戸下停留場、羽場駅、沢停留場、大出停留場、追分停留場、松島駅(現在の伊那松島駅)開業。
  • 1911年(明治44年)2月22日 - 松島~木ノ下間が延伸開業。木ノ下駅開業。
    • 11月3日 - 木ノ下~御園間が延伸開業。久保停留場、塩ノ井停留場、北殿駅、南殿停留場、田畑停留場、神子柴停留場、御園停留場開業。
  • 1912年(明治45年)1月4日 - 御園~伊那北間が延伸開業。山寺停留場、伊那北駅開業。
    • 5月11日 - 伊那北~入舟間が延伸開業。入舟停留場開業。
    • 5月14日 - 入舟~伊那町間が延伸開業。伊那町駅(現在の伊那市駅)開業。
  • 1913年(大正2年)12月27日 - 伊那町~宮田間(5.5M≒8.85km)が開業(以降は地方鉄道法に基づく鉄道線)。小黒停留場、下島駅、唐木停留場、沢渡駅、音徳寺坂停留場、赤木駅、宮田駅開業。
  • 1914年(大正3年)10月31日 - 宮田~赤穂間(2.2M≒3.54km)が延伸開業。駒ヶ原停留場、大田切停留場、赤穂駅(現在の駒ヶ根駅)開業。
    • 12月26日 - 赤穂~伊那福岡間(1.6M≒2.57km)が延伸開業。小町屋停留場、伊那福岡駅開業。
  • 1915年(大正4年)6月24日 - 伊那福岡~伊那福岡終点間(0.4M≒0.64km)が延伸開業。伊那福岡終点仮停留場開業。
  • 1916年(大正5年)11月23日 - 辰野~西町間(軌道線)が開業し国鉄辰野駅に乗り入れ。辰野駅(初代)を西町駅に改称。
    • 12月19日 - 伊那福岡終点仮停留場移転(+0.1M≒0.16km)。
  • 1918年(大正7年)2月11日 - 伊那福岡終点~飯島間(2.7M≒4.35km)が延伸開業。伊那福岡終点仮停留場廃止。田切停留場、伊那赤坂停留場、飯島駅開業。
    • 7月23日 - 飯島~七久保間(3.4M≒5.47km)が延伸開業。伊那本郷駅、七久保駅開業。
    • 10月1日 - 駒ヶ原停留場廃止。
    • 12月12日 - 七久保~高遠原間(1.0M≒1.61km)が延伸開業。高遠原停留場開業。
  • 1919年(大正8年)6月14日 - 高遠原停留場を駅に格上げ認可。
    • 8月20日 - 伊那電車軌道が伊那電気鉄道に社名変更。
  • 1920年(大正9年)11月22日 - 高遠原~上片桐間(2.4M≒3.86km)が延伸開業。伊那田島停留場、上片桐駅開業。
  • 1922年(大正11年)7月13日 - 上片桐~伊那大島間 (2.4M) が延伸開業。伊那大島駅開業。
  • 1923年(大正12年)1月15日 - 伊那大島~山吹間 (1.6M) が延伸開業。山吹駅開業。
    • 3月13日 - 山吹~市田間(2.3M≒3.70km)が延伸開業。下平停留場、市田駅開業。
    • 3月16日 - 辰野~伊那松島間(5.4M≒8.69km)を軌道から鉄道に変更し経路変更。松島駅を伊那松島駅に改称。辰野~伊那松島間の宮木停留場、新町停留場、南新町停留場、神戸下停留場、沢停留場、大出停留場、追分停留場廃止。伊那松島~伊那町間の久保停留場、塩ノ井停留場、南殿停留場、田畑停留場、御園停留場、山寺停留場廃止。西町駅、羽場駅移転。沢駅開業。
    • 3月18日 - 市田~元善光寺間(1.8M≒2.90km)が延伸開業。下市田停留場、元善光寺駅開業。
    • 3月21日認可 - 高遠原駅を停留場に格下げ。
    • 4月20日 - 南新町停留場再開業。
    • 7月24日 - 宮木停留場再開業。
    • 8月3日 - 元善光寺~飯田間(2.9M≒4.67km)が延伸開業。桜町停留場、飯田駅開業。
    • 10月ごろ - 上郷停留場(現在の伊那上郷駅)開業。
    • 11月21日 - 入舟停留場、神子柴停留場廃止。
    • 12月1日 - 伊那松島~伊那町間(5.6M≒9.01km)を軌道から鉄道に変更。田畑停留場再開業。
    • 12月6日 - 小黒停留場、唐木停留場、音徳寺坂停留場廃止。
  • 1924年(大正13年)5月20日 - 入舟町停留場開業。
  • 1926年(大正15年)12月17日 - 飯田~伊那八幡間(3.6M≒5.80km)が延伸開業。切石停留場、鼎駅、下山村停留場、伊那八幡駅開業。
  • 1927年(昭和2年)2月5日 - 伊那八幡~毛賀終点間(0.6M≒0.97km)が延伸開業。毛賀終点仮停留場開業。
    • 4月8日 - 毛賀終点~駄科間(0.9M≒1.45km)が延伸開業。毛賀駅、駄科駅開業。毛賀終点仮停留場廃止。
    • 12月26日 - 駄科~天竜峡間(3.2M≒5.15km)が延伸開業し辰野~辰野間全通。時又駅、開善寺前停留場、伊那川路駅(現在の川路駅)、天竜峡駅開業。
  • 1930年(昭和5年)4月1日 - マイル表示からメートル表示に変更(49.6M→79.8km)。
  • 1934年(昭和9年) - 入舟町停留場を入舟停留場に改称。
  • 1935年(昭和10年)12月16日認可 - 上郷停留場を駅に格上げ。
  • 1936年(昭和11年)頃 - 上郷駅を伊那上郷駅に改称。

[編集] 国有化後

伊那電気鉄道・三信鉄道・鳳来寺鉄道・豊川鉄道各社の鉄道路線が国有化され、飯田線となったのは1943年である。鉄道路線を失った鳳来寺鉄道・豊川鉄道両社は翌年に名古屋鉄道に吸収合併された。

太平洋戦争最中の1942年に、豊川にあった海軍工廠への物資輸送・通勤用に供するため、豊川鉄道が豊川~西豊川間の支線を開業した。戦後の1956年に廃止され、海軍工廠跡にできた国鉄名古屋工場豊川分工場の専用線となり、さらに同工場廃止後は日本車輌製造豊川製作所の専用線として同所で製作された鉄道車両の搬出などに使われている。

なお、名古屋鉄道には名古屋本線の伊奈駅から分岐して飯田線小坂井駅に至る小坂井支線が、1926年から豊川線の開業する1954年まで存在しており、愛知電気鉄道時代から小坂井駅~豊川駅間で豊川鉄道→飯田線との直通運転を行っていた。初詣シーズンには豊川稲荷への参拝客輸送のため、新名古屋駅(今の名鉄名古屋駅)と近畿日本名古屋駅(今の近鉄名古屋駅)の間に存在した連絡線を用いて近畿日本鉄道(近鉄)からの団体列車が乗り入れたこともあり、その他にも戦前には愛知電気鉄道・豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道の4社線直通を行った行楽列車の「天龍号」、戦後には本長篠駅から分岐していた田口鉄道に乗り入れる紅葉狩り列車などが、小坂井支線を使用して運行されていた。

1955年には、佐久間ダムの建設により線路が水没するため、佐久間~大嵐間が水窪経由の新線に切り替えられた(詳細は佐久間ダム建設に伴う路線変更を参照)。

  • 1943年(昭和18年)8月1日 - 伊那電気鉄道・三信鉄道・鳳来寺鉄道・豊川鉄道の鉄道路線が買収され国有化。飯田線となる。
    • 吉田駅を豊橋駅に統合。貨物支線 豊橋~船町間 (1.7km) を廃止し豊橋駅構内に統合。
    • 停留場を駅に格上げ。信号所を信号場に改称。
    • 新船町停留場を船町駅に、江島渡停留場を江島駅に、川路駅を三河東郷駅に、長篠駅を大海駅に、長篠古城址駅を長篠城駅に、鳳来寺口駅を本長篠駅に、三信三輪駅を三河長岡駅に、伊那川路駅を川路駅に、元善光寺駅を座光寺駅に、南新町停留場を伊那新町駅に改称。
    • 柿平停留場、池場停留場、三信上市場停留場、早瀬停留場、我科停留場、開善寺停留場、高遠原停留場、伊那赤坂停留場、大田切停留場、入舟停留場、西町駅廃止。
    • 全線営業キロ修正で本線が0.4km延長。
  • 1946年(昭和21年)9月1日 - 高遠原駅、大田切駅再開業。
    • 12月1日 - 早瀬駅、池場駅、上市場駅再開業。
  • 1950年(昭和25年)2月15日 - 柿平駅再開業。
    • 5月20日 - 座光寺駅を元善光寺駅に改称。
  • 1951年(昭和26年)8月1日 - 平岡ダム建設のため満島~為栗間経路変更(改キロなし)。同区間の遠山口駅廃止。
  • 1952年(昭和27年)11月15日 - 満島駅を平岡駅に改称。
  • 1954年(昭和29年)11月10日 - 伊那町駅を伊那市駅に改称。
  • 1955年(昭和30年)4月 - 天竜峡~辰野間の架線電圧を1200Vから1500Vに昇圧(他の区間は電化当初から1500V)。
    • 11月11日 - 佐久間ダム建設のため佐久間~天龍山室~大嵐間 (13.3km) が廃止。佐久間~水窪~大嵐間の新線 (17.3km) が開業。相月駅、城西駅、向市場駅、水窪駅開業。豊根口駅、天龍山室駅、白神駅廃止。経路変更に伴い全線で営業キロ修正 (-0.3km)。
  • 1956年(昭和31年)9月15日 - 西豊川支線 豊川~西豊川間廃止。西豊川駅廃止。
    • 12月20日 - 三河長岡駅を東栄駅に改称。
  • 1959年(昭和34年)10月1日 - 赤穂駅を駒ヶ根駅に改称。
  • 1961年(昭和36年)3月1日 - 名古屋~辰野間に準急「伊那」を新設。
    • 10月1日 - 新宿~天竜峡間に準急「天竜」を新設。11月からは長野編成併結。
  • 1963年(昭和38年)6月1日 - 新宿~飯田間に準急「赤石」を新設。
    • 12月17日 - 平井信号場を小坂井駅構内扱いとする。
    • 3月5日 - 準急「伊那」「天竜」「赤石」を急行化。
  • 1966年(昭和41年)3月25日 - 伊那田島~高遠原間に大沢信号場開設。
  • 1968年(昭和43年)10月1日 - 急行「赤石」と「天竜」の新宿編成を「こまがね」に改称。
  • 1982年(昭和57年)6月13日 - 鶯巣~平岡間落石危険地帯迂回のためトンネル経由の新線に切替 改キロ (-0.2km)。
  • 1983年(昭和58年)2月14日 - 119系電車営業運転開始。
    • 2月24日 - 飯田~辰野間CTC化。80系電車運用終了。
    • 7月5日 - 急行「伊那」廃止。
  • 1984年(昭和59年)2月24日 - 豊橋~飯田間CTC化。
    • 6月1日 - 田切駅が豊橋駅方面に0.1km移転。
  • 1986年(昭和61年)11月1日 - 急行「こまがね」廃止。急行「天竜」を「かもしか」に改称、一部は快速「みすず」に格下げ。
  • 1987年(昭和62年)3月28日 - 豊橋~中部天竜間にトロッコ列車「トロッコファミリー号」運転開始。
    • 4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が豊橋~豊川間、元善光寺~辰野間の第二種鉄道事業者となる。豊川~元善光寺間の貨物営業廃止。
  • 1988年(昭和63年)2月1日 - 東海旅客鉄道飯田営業所が発足。
    • 3月13日 - 急行「かもしか」廃止。
  • 1989年平成元年)4月13日 - 北殿駅にて列車衝突事故発生(負傷者138~157名)。
  • 1990年(平成2年)3月1日 - 飯田営業所を飯田支店に格上げ。
  • 1991年(平成3年)12月14日 - 湯谷駅を湯谷温泉駅に改称。
  • 1992年(平成4年)12月29日 - 豊橋~飯田間に臨時急行「伊那路」新設。
  • 1996年(平成8年)3月16日 - 「伊那路」を定期特急化。
  • 2001年(平成13年)3月3日 - 天竜峡~辰野間でワンマン運転開始。
    • 4月1日 - 治水工事に伴う天竜峡~時又間の全面的な線路付替、改キロ (-0.1km)。
  • 2006年(平成18年)5月7日 - 「トロッコファミリー号」がこの日限りで運転終了。


[編集] 駅一覧

[編集] 営業中の区間

記号凡例
●:全列車停車
|・↓・↑:通過(矢印はその方向のみ運行)
◆:下り方向の列車(辰野駅方面行き)が停車、上り方向の列車(飯田駅方面行き)は通過。
▲:一部列車通過。
駅名 営業キロ 普通 快速 快速みすず 接続路線 所在地
東海旅客鉄道・飯田線
豊橋駅 0.0   東海旅客鉄道東海道新幹線東海道本線
名古屋鉄道名古屋本線
豊橋鉄道渥美線新豊橋駅)・東田本線駅前駅
愛知県 豊橋市
船町駅 1.5    
下地駅 2.2    
平井信号場 (3.9)   名鉄名古屋本線との施設上の分岐点。停車場としては小坂井駅構内の扱い。 宝飯郡小坂井町
小坂井駅 4.4    
牛久保駅 6.6     豊川市
豊川駅 8.7   名古屋鉄道:名鉄豊川線豊川稲荷駅
三河一宮駅 12.0    
長山駅 14.4    
江島駅 15.4    
東上駅 17.0    
野田城駅 19.7     新城市
新城駅 21.6    
東新町駅 22.6      
茶臼山駅 23.8      
三河東郷駅 25.0      
大海駅 27.9      
鳥居駅 29.3      
長篠城駅 30.8      
本長篠駅 32.1      
三河大野駅 35.6      
湯谷温泉駅 38.0      
三河槙原駅 40.6      
柿平駅 42.9      
三河川合駅 45.2      
池場駅 50.1      
東栄駅 51.2       北設楽郡東栄町
出馬駅 55.4       静岡県 浜松市天竜区
上市場駅 56.0      
浦川駅 57.3      
早瀬駅 58.5      
下川合駅 59.9      
中部天竜駅 62.4      
佐久間駅 63.5      
相月駅 68.5      
城西駅 70.5      
向市場駅 73.3      
水窪駅 74.3      
大嵐駅 80.8      
小和田駅 83.8      
中井侍駅 87.8       長野県 下伊那郡天龍村
伊那小沢駅 90.1      
鶯巣駅 91.7      
平岡駅 93.8      
為栗駅 98.5      
温田駅 102.2       下伊那郡泰阜村
田本駅 104.2      
門島駅 107.9      
唐笠駅 111.3      
金野駅 113.6       飯田市
千代駅 114.8      
天竜峡駅 116.2      
川路駅 117.5      
時又駅 119.3      
駄科駅 121.1      
毛賀駅 122.5      
伊那八幡駅 123.6      
下山村駅 124.7      
鼎駅 125.7      
切石駅 127.7      
飯田駅 129.3    
桜町駅 130.1    
伊那上郷駅 131.1    
元善光寺駅 133.8    
下市田駅 135.6     下伊那郡高森町
市田駅 136.8    
下平駅 139.5    
山吹駅 140.5    
伊那大島駅 143.1     下伊那郡松川町
上片桐駅 146.9    
伊那田島駅 148.2     上伊那郡中川村
大沢信号場 (149.7)     下伊那郡松川町
高遠原駅 150.7     上伊那郡飯島町
七久保駅 152.3    
伊那本郷駅 155.1    
飯島駅 157.9    
田切駅 160.1    
伊那福岡駅 162.9     駒ヶ根市
小町屋駅 164.4    
駒ヶ根駅 165.6  
大田切駅 167.0    
宮田駅 169.1     上伊那郡宮田村
赤木駅 170.4     伊那市
沢渡駅 173.4    
下島駅 174.5    
伊那市駅 178.0    
伊那北駅 178.9    
田畑駅 181.0     上伊那郡南箕輪村
北殿駅 183.2    
木ノ下駅 185.6     上伊那郡箕輪町
伊那松島駅 187.1    
沢駅 189.7    
羽場駅 191.6     上伊那郡辰野町
伊那新町駅 193.4    
宮木駅 194.6    
辰野駅 195.7   東日本旅客鉄道中央本線塩尻駅方面
東日本旅客鉄道・中央本線
川岸駅 201.7     長野県 岡谷市
岡谷駅 205.2   中央本線:上諏訪駅方面

[編集] 廃止区間

カッコ内は起点からの営業キロ。

1956年(西豊川支線)
豊川駅 (0.0km) - 西豊川駅 (2.4km)
1955年廃止
佐久間駅 (0.0km) - 豊根口駅 (3.0km) - 天龍山室駅 (6.4km) - 白神駅 (10.5km) - 大嵐駅 (13.3km)
1943年廃止(貨物支線)
豊橋駅 (0.0km) - 船町駅 (1.7km)

[編集] 廃駅

#廃止区間にある駅を除く。カッコ内は豊橋駅起点の営業キロ。軌道線時代の廃駅は伊那電気鉄道#駅一覧を参照。

  • 1943年廃止
    • 我科停留場 - 為栗~温田間(100.9km付近)
    • 開善寺前停留場 - 川路~時又間 (118.4km)
    • 伊那赤坂停留場 - 飯島~田切間 (159.1km)
    • 入舟停留場 - 伊那市~伊那北間 (178.4km)
    • 西町駅 - 宮木~辰野間 (195.3km)
  • 1923年廃止
    • 音徳寺坂停留場 - 赤木~沢渡間(172.3km付近)
    • 唐木停留場 - 沢渡~下島間
    • 小黒停留場 - 下島~伊那市間
  • 1918年廃止
    • 駒ヶ原停留場 - 大田切~宮田間(168.0km付近)

[編集] 過去の接続路線

[編集] 佐久間ダム建設に伴う路線変更

[編集] 経緯

天竜川水系は、水量が豊富でなおかつ急流であるというダム建設に適した河川系であったために、戦前から数多くのダムが造られていた。戦後の経済復興にあわせた電力供給の拡充は経済発展の礎となるためにも急務とされ、その一環として、天竜川水系のうちダム建設に適した地形であった磐田郡佐久間町(現:浜松市天竜区佐久間町)に発電用大型ダム佐久間ダムが建設される事となった。

佐久間ダムは、当時日本で最大規模の堤体と発電量を持つ巨大ダムであり、そのダムによって生成された人造湖(佐久間湖)は上流の泰阜発電所付近に至る全長33kmにもなり、当時天竜川左岸を走っていた飯田線の佐久間 - 大嵐間約18kmの部分がダム湖に水没するため、ダム建設に伴う補償としてこの水没区間の路線変更が行われた。

[編集] 概要

佐久間ダムにより水没する部分は佐久間 - 大嵐の約18kmであり、この区間には豊根口駅、天龍山室駅、白神駅の3駅があったが、これらは線路共々廃止となった。

変更路線のプランは、「大入川線」「水窪線」の2ルートが計画された。このうち「大入川線」は、上市場駅から北方、天竜川右岸の山中に進路を取り、途中「大笹」「田鹿」「横林」の3駅を経由した後に大嵐駅に出るルートであった。一方、「水窪線」は、佐久間からトンネルで水窪川水系に出た後、秋葉街道沿いに水窪町まで北上、そこからトンネルで再び天竜川水系に戻り大嵐に至るという現在のルートである。2つのルートを比較すると、「大入川線」は、途中で掘削する長大トンネルはキビウトンネル(延長4,850m)の一本だけで済むものの、曲線とトンネルが連続するなど線形が悪く、また途中の3駅は小和田駅のように人家もほとんど無い山中に建設されるため利用客がほとんど見込めないうえ、現路線が経由している佐久間の町を経由しないという最大の欠点があった。一方、「水窪線」は、佐久間から秋葉街道及び水窪を経由していくため、ある程度の利用客が見込めたが、峯トンネル(延長3,619m)、大原トンネル(延長5,063m)という2つの長大トンネルを掘削しなければならない上に、この付近には中央構造線と天竜川断層という2つの断層地帯が走っており、難工事となることが予想された。

比較検討の結果、「水窪線」ルートでの路線変更が決定され、1953年12月に着工された。前述したように、この付近は2つの断層地帯に挟まれた極めて地盤の不安定な地域であったために、城西 - 向市場間のような工事の難航した箇所もあり、また大原トンネルは当時の日本で十指に入る有数の長大トンネルであったが、関係者らの努力等もあって(大原トンネル掘削に際しては鉄道工事初の全断面掘削工法が採用され、12m/日、260m/月という掘削記録を樹立した)大きな事故も無く工事は終了。1955年(昭和30年)11月11日に路線変更が行われ、豊根口、天龍山室、白神の旧線上の3駅が廃止になる共に、新線に相月、城西、向市場、水窪の4駅が新たに開業した。新線との合流地点となった大嵐駅は、大原トンネル坑口直近に移転し、また、佐久間駅も路線変更に合わせて移転して、旧佐久間駅跡には佐久間発電所が建設されている。

[編集] 難工事の数々

これまでも書いたように、路線変更後の新線沿線となる水窪川沿岸は、右岸(天竜川とを隔てる山系)に中央構造線、左岸に天竜川断層と2つの断層地帯に挟まれた部分を通っており、飯田線付け替え線建設工事に際してもこれらの断層地帯に起因した不安定な地盤に悩まされた。

[編集] 第6水窪川橋梁

「渡らずの橋」や「S字橋」と称され今や飯田線名物の一つとなっている第6水窪川橋梁(城西 - 向市場間)であるが、これは不安定な地盤に対する苦肉の策の結果である。

本来、飯田線は城西 - 向市場間のこの箇所を水窪川左岸側に穿った全長45mの向皆外トンネルで抜ける予定であった。向皆外トンネルは、1954年2月に着工され同年6月に開通したものの、その後の降雨や台風の影響により坑内のアーチ、側壁のコンクリートに剥脱が生じはじめ、ついで地盤の変化によるトンネル中心線の移動、隧道断面の変形が発生し、ついにはトンネル周辺の地山全体が水窪川に向かって滑り始めたため、放棄せざるを得ないと判断された。向皆外トンネルが放棄されたことにより、代替のトンネルをより奥に掘削する事も検討されたが、工期や工費に余裕が無い事や、この付近の地山自体が天竜川断層に近く不安定である事から、たとえ掘削しても「第二の向皆外トンネル」となる可能性も否定できなかったため、最終的には水窪川上にU字形の橋梁を建設し、不安定な箇所を迂回する方法が取られた。

こうして建設された第6水窪川橋梁は、総延長400.7m、半径250m。対岸に近い箇所まで大きく「迂回」しているのは、向皆外トンネルのある部分の地山が更なる大崩壊を起こした場合に備えてのことである。

[編集] 第一久頭合トンネル

不安定な地盤の影響を受けたのは、放棄された向皆外トンネルだけではなかった。同じ城西 - 向市場間、向皆外トンネルの先に建設された第一久頭合トンネルも、完成はしたものの同様の地山の地殻変動により廃棄の危険性が生じていた。

ただ、第一久頭合トンネルが幸いだったのは、トンネル全体が損傷を受けた向皆外トンネルと異なり、危険箇所となったのは城西側坑口付近のみであったため、より城西側からトンネルを再掘削して第一久頭合トンネル内部につなげ、危険箇所周辺部分のみを放棄することで済んだことである。

なお、この放棄された部分は埋め戻される事が無かったため、第一久頭合トンネルは珍しいY字状のトンネルとなっている。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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