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陳平 - Wikipedia

陳平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

陳平(ちんぺい)

  1. 秦末漢初の政治家・軍師。本項で詳述。
  2. (Chin Pen)。華僑系のマラヤ共産党指導者 王文華の公式名。#備考の節を参照。

陳平(ちんぺい、? - 紀元前178年)は、中国末から前漢初期にかけての政治家軍師

当初は魏咎項羽などに仕官するものの長続きせず、最終的には劉邦に仕え、項羽との戦い(楚漢戦争)の中で危機に陥る劉邦を、さまざまな献策で救った。その後、劉邦の遺言により丞相となり、呂雉亡き後の呂氏一族を滅ぼして劉氏の政権を守るという功績を立てた。

目次

[編集] 生涯

史記』では世家、『漢書』では伝が立てられている。

陳平は陽武戸版(現在の河南省原陽県)の人。生まれつき背が高く、実に見栄えがする容姿をしていた。若いときは兄で農家の陳伯の元で勉学に励んでいた。兄嫁は勉学ばかりに精を出し家業を手伝わない陳平に対して文句を言っていたが、伯はこの嫁を離縁してしまった。伯は陳平の才に感じ入り期待していたのである。

ちなみに次のような逸話がある。地元の有力者で張氏という人物の孫娘がいたが、その孫娘と結婚した相手5人全員が事故や病気などで死亡してしまい、それ以降孫娘を恐れ誰も嫁にしたがらなかった。その話を聞いた陳平は葬儀屋の仕事を手伝い、その勤勉さが張氏の耳に触れることになる。陳平は次の手として、貴族が乗る馬車の車輪を自宅の玄関に置いた。葬儀の仕事が終わった後に家へ帰る陳平の後を付けていた張氏は、その車輪を見るや「陳平には高い志と天性がある」と思い、後日張氏の孫娘を陳平の嫁とした。陳平はその持参金により多大な財産を手に入れ、その財産を元手に交際を広め知人を増やしていった。

陳勝・呉広の乱の乱が勃発すると、魏咎に仕えるようになるが、進言を聞いてもらえず、周りの讒言を恐れて逃亡する。次に項羽に仕えて、謀反を起こした王・司馬卬を降伏させた功績で都尉となったが、司馬卬があっさり東進してきた劉邦に降ったため、項羽の怒りを恐れて再び出奔した。

[編集] 劉邦の名参謀として

陳平は出奔中に野盗などに襲われそうになったりするものの、先んじて自分の服や剣などを渡し命は守る。そして裸一貫で漢にいた旧知の魏無知を頼り、そのつてで劉邦に面会する。劉邦もその話し合いで陳平を気に入り、即日項羽時代と同じく都尉に任じた。

劉邦に長く仕える周勃灌嬰に「兄嫁と密通していた(とは周勃たちが言っているだけなので真実かどうかは不明)」、「賄賂を取って地位を上下させた」などの品行の無さを訴えられるが、その弁明「役目は授かったが必要な経費を頂いておらず、漢楚の状況から待ってはおれず金品を受け取りました」や、「今の漢には才が要であり、品は才の後」という進言もあり、それでもなお劉邦は重用し、更に位を亜将(将軍に次ぐ位)まで上げ、韓王信に所属させた。

まもなく劉邦は項羽に追われ、滎陽城に籠城することとなった。不利な状況の中陳平は、項羽が疑り深い性格であるため部下との離間が容易に出来ると劉邦に進言し、劉邦もその実行に四万金もの大金を与えた。そして范増鍾離昧・竜且・周殷と言った項羽の重臣たちが項羽から自立しようとしているとの噂を項羽の耳に流し込んだ。項羽はそれを信じて疑うようになり、項羽軍に大きなほころびが生じることとなった。 特に范増へは項羽配下随一の智謀の才であったためか念を入れ、項羽へ和平の申し入れを行い、使者を送らせ噂の真偽を確かめるよう仕向けた。そして使者を范増の使わした使者として、豪華な宴席に招き、范増と仲が良いかのように振舞った。しかし使者が項羽の使者であると聞くと、粗末な席に変えさせ、劉邦に「我が方は勝てるが、お情けで和平してもよい」と言わんばかりの横柄な態度で接させた。このため范増は項羽に亜父と称され厚く信頼されていたにも係わらず失脚し、故郷に帰る途中で憤死した。

さらに韓信王を名乗ろうと願い出た際には、憤る劉邦を張良とともに納得させた。また広武山で項羽と和議を結んだ際には、和議を破って疲弊した項羽軍に攻め込むべきであると張良とともに進言し、最終的な漢の勝利を得ることとなった。

紀元前202年、劉邦が項羽に勝利して前漢が建てられると、陳平は故郷の戸版に封じられて戸版侯と成った。

紀元前200年、劉邦は匈奴討伐に自ら出征するが、冒頓単于の作戦で平城(現在の山西省大同付近)の白登山で包囲されて食糧も尽きてしまった。ここで陳平の奇策で何とか和睦をして劉邦は帰る事ができた。この作戦の内容は分からないが、冒頓単于の閼氏(皇后)に中国の美女が単于の物になるかもしれないと吹き込んで、その嫉妬心につけこんだ物と伝わっている。

[編集] 呂氏との闘い

紀元前195年、余命いくばくもない劉邦に、反乱鎮圧に出征していた樊噲に謀反の疑いがあるため捕らえて殺すようにと命じられ、捕らえたものの独断で助命した。樊噲は劉邦の義弟でもあり謀反はありえなく病床の劉邦の気の迷いと思われ、また樊噲はすでに権力を握っていた呂雉の妹婿に当たり、後難を恐れたものである。さらにまもなく劉邦の死去を聞くと、劉邦の棺の傍らにかけつけ、大いに泣き喚くことで呂氏一族の警戒を解こうとした。

紀元前190年曹参が死んだ後で左丞相(副首相格)に任じられて、その後の呂雉の専権時代には面従腹背の姿勢を保ち、呂雉と対立して失脚した王陵の後を受けて右丞相(正宰相格)となった。しかし呂氏が中央の兵権を完全に握っているなど右丞相には権力がなく、実質的に名のみの役職であった。陳平も酒と女に溺れ骨抜きになったふりをし、呂雉や夫を捕らえられた恨みを持つ呂須(呂雉の妹)から警戒心をもたれないようにして粛清の嵐を避け、反攻の機を伏して待った。

紀元前180年に呂雉の死を機として、陸賈の助言により陳平は宴会に見せかけ、宮廷内で大尉周勃を始めとする反呂氏勢力や信頼できる人物を集め、密かに人脈を築き、打ち合わせを重ねていった。監視を徹底していた呂氏も、酒好き女好きの右丞相が行う宴会なので、警戒をしなかった。そして斉王の蜂起と、その討伐に出した灌嬰の寝返りなどに動揺する宮中において策略を用い、周勃などとともに呂氏から軍権を奪い、別の呂氏の帝位簒奪クーデターを鎮圧。これを口実として呂氏を皆殺しにする逆クーデターを実行し、劉邦の子である代王劉恒(文帝)を立てた。その後まもなく引退したが、周勃と文帝に乞われて再び右丞相となった。

なおクーデター鎮圧の際に、兵権は握ったものの兵士が従うか不明だったため、「劉氏に加担するものは左袒(衣の左の肩を脱ぐ)、呂氏に加担するものは右袒(衣の右の肩を脱ぐ)するよう」との触れを出し、兵士は全て左の肩を脱いだことが、味方することを意味する「左袒する」の故事成語となった。

紀元前179年、死去した。

ちなみに陳平の爵位は陳平の曾孫の陳何まで受け継がれていたが、陳何が他人の妻を寝取ったとして処刑され、爵位を奪われた。また、同じく陳平の玄孫の陳掌は霍去病の母と密通をし、霍去病の義理の父となった。

[編集] 評価

劉邦の軍師というと張良をすぐに思い浮かべるが、陳平は張良に比べて謀略に長けていた。そのことから身内にも警戒されることがあり、劉邦は死の直前、「陳平に全てを任せるのは危ない」と述べている。自身も「私は陰謀の罪があるから、子孫は絶えてしまうかもしれない。爵位を失うことがあれば二度と再興はできないだろう」と言っている。

陣平は政治にも優れていた。呂氏粛正後に周勃と共に丞相になった際、周勃が答えに窮した文帝の質問に陳平がすらすらと答え、これを見て陳平には敵わないと思った周勃が丞相を辞退するというエピソードもある。

後世、曹操が世に埋もれた人材を求める際に、「陳平のように兄嫁に手を出したり、袖の下を取ったりした過去がある者でも、才能がある者ならば、そのようなことを気にするな。未だ魏無知に出会えずにいる者よ、自分の下に仕官せよ」と触れを出したことはよく知られる。

[編集] 備考

陳平は中国において策謀家として著名な人物であり、この名を借りたのがマラヤ共産党の指導者でアジア現代史の怪人とされる王文華(1924- )である。公式名は「陳平」。

大英帝国・大日本帝国を相手にゲリラ戦を展開、1953年よりマレー・タイ国境に潜伏した「幻の軍隊」の指導者である。現在は亡命先のタイにおいて故郷のマレーシアへの帰還を願っているが、マレーシア国内での反対勢力の関係から難しいとされる。

生涯を綴った自伝 "my side of history"(2003)がある。

[編集] 関連項目

他の言語


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