長沼ナイキ事件
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最高裁判所判例 | |||
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1982年(昭和57年)9月9日 | |||
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裁判要旨 | |||
代替施設の建設により洪水の危険が消滅したと認められるときは、保安林解除処分の取消しを求める訴えの利益が消滅する。 |
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第一小法廷 | |||
裁判長:団藤重光 陪席裁判官:藤崎万里 本山亨 中村治朗 谷口正孝 |
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意見 | |||
多数意見:本山亨 中村治朗 谷口正孝 意見:藤崎万里 反対意見:団藤重光 |
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参照法条 | |||
森林法27条、行政事件訴訟法9条 |
長沼ナイキ事件(ながぬまないきじけん)とは、自衛隊の合憲性が問われた事件である。長沼訴訟、長沼事件、長沼ナイキ基地訴訟とも呼ばれる。
北海道夕張郡長沼町に航空自衛隊の「ナイキ地対空ミサイル基地」を建設するため、農林大臣が1969年、森林法に基づき国有保安林の指定を解除。これに対し反対住民が、基地に公益性はなく「自衛隊は違憲、保安林解除は違法」と主張して、処分の取消しを求めて行政訴訟を起こした。
一審の札幌地裁は「平和的生存権」を認め、初の違憲判決で処分を取り消した。国の控訴で、二審の札幌高裁は「防衛施設庁による代替施設の完成によって補填される」として一審判決を破棄、「統治行為論」を判示。住民側・原告は上告したが、最高裁は憲法に触れず、原告適格がないとして上告を棄却。
一部の政財界による青年法律家協会への圧力との絡みや、また申立て却下を札幌地裁所長が裁判長に示唆したり、さらには当時の70年安保闘争下に全国で裁判長の激励集会が行なわれるなど、裁判の動向は注目を浴びた。
目次 |
[編集] 裁判の流れ
[編集] 発端
日米安保問題が注目を浴びていた1969年、北海道夕張郡長沼町馬追山に航空自衛隊のナイキJ地対空ミサイル基地建設のため、農林大臣・長谷川四郎は森林法第26条第2項に基づいて国有保安林の指定を解除。一部の地域住民が、自衛隊は違憲の存在であること及び洪水の危険を理由に「基地建設に公益性はない」として、保安林解除は違法だと主張し、行政処分の取消しを求めて行政訴訟を提起した。
札幌地方裁判所所長・平賀健太が1969年9月14日、訴訟審理中の裁判長・福島重雄に訴訟判断の問題点について申立て却下を示唆する詳細なメモを出した事実が発覚したため、裁判官の独立性をめぐって裁判干渉が問題となり、最高裁は所長・平賀を注意処分とした(平賀書簡問題)。
裁判長裁判官・福島重雄が青年法律家協会(青法協)の会員だったことで、青法協は「反体制の左傾団体」であるとする一部の保守系ジャーナリズム・政治家から非難を浴び、被告・国(=法務省)は1970年4月18日、福島重雄を青年法律家協会(青法協)所属を理由に忌避申立てをする。しかし札幌高裁は同年7月10日、「青法協加入は裁判の公正を妨げない」とし、忌避申立てを退け却下決定。しかし、1971年4月13日に最高裁判所は、青法協所属の裁判官・宮本康昭判事補を理由告知なしに再任を拒否し、このことは青法協に対する見せしめではないかと疑われた(宮本判事補再任拒否問題)。
[編集] 第一審判決
札幌地方裁判所(裁判長・福島重雄)は1973年9月7日、「自衛隊は憲法第9条が禁ずる陸海空軍に該当し違憲である」とし「世界の各国はいずれも自国の防衛のために軍備を保有するのであって、単に自国の防衛のために必要であるという理由では、それが軍隊ないし戦力であることを否定する根拠にはならない」とする初の違憲判決で原告・住民側の請求を認めた。「保安林解除の目的が憲法に違反する場合、森林法第26条にいう『公益上の理由』にはあたらない」ため「保安林の解除処分は取り消しを免れない」との理由から、主文で国有保安林の解除を取り消すと判示。保安林指定解除処分とナイキJの発射基地の設置により、有事の際には相手国の攻撃の第一目標になるため、憲法前文にいう「平和のうちに生存する権利」(平和的生存権)を侵害されるおそれがあるとし、原告の訴えの利益を認めた。平和的生存権については、「国民一人ひとりが平和のうちに生存し、かつその幸福を追求することができる権利」と明確に判示した。(札幌地判昭48・9・7、判時712・249)
[編集] 第二審判決
札幌高等裁判所は1976年8月5日、「住民側の訴えの利益(洪水の危険)は、防衛施設庁の代替施設建設(ダム)によって補填される」として、一審判決を覆し、原告の請求を棄却。また、自衛隊の違憲性について判決は、砂川事件と同様に「本来は裁判の対象となり得るが、高度に政治性のある国家行為は、極めて明白に違憲無効であると認められない限り、司法審査の範囲外にある」とする統治行為論を併記した。(札幌高判昭51・8・5、行裁例集27・8・1175)
[編集] 最高裁判決
最高裁判所は1982年9月9日、行政処分に関して原告適格の観点から、原告住民に訴えの利益なしとして住民側の上告を棄却したが、二審が言及した自衛隊の違憲審査は回避した。(最一小判昭57・9・9、民集36・9・1679)
[編集] 年表
- 1969年7月7日 - 農林大臣、保安林指定解除を告示
- 9月20日 - 高裁、平賀書簡問題で異例の厳重注意処分
- 12月2日 - 衆議院解散(沖縄解散)
- 1970年1月14日 - 第3次佐藤内閣成立
- 1971年4月13日 - 最高裁、裁判官・宮本康昭の再任を拒否
- 1971年6月17日 - 沖縄返還協定調印
- 1972年5月15日 - 沖縄返還
- 10月9日 - 第4次防衛力整備計画(総額4兆6300億円)
- 1973年9月7日 - 一審・札幌地裁、自衛隊違憲判決
- 1976年8月5日 - 二審・札幌高裁、逆転判決
- 10月29日 - 1977年度以降の「防衛計画の大綱」を閣議決定
- 1977年2月18日 - 読売新聞社説、一審の違憲立法審査権の存在意義を評価
- 11月30日 - 米軍立川基地(立川飛行場)全面返還
- 1981年7月8日 - 読売新聞社説、二審の統治行為論を支持
- 1982年9月9日 - 三審・最高裁第一小法廷、上告棄却判決
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 平和通信: 長沼判決全文@北海道平和委員会
- 日弁連
- 臨時総会・平賀・福島裁判官に対する訴追委員会決定に関する決議(1970年12月19日)