金子貴志 (競輪選手)
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獲得メダル | ||
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日本 | ||
男子 自転車競技 | ||
アジア競技大会 | ||
金 | 2002 プサン | 個人スプリント |
金 | 2002 プサン | チームスプリント |
金子 貴志(かねこ たかし、1975年9月5日- )は、愛知県出身で、日本競輪選手会・愛知支部に所属する競輪選手。日本競輪学校第75期生。師匠は樋口和夫。ホームバンクは豊橋競輪場。
[編集] 経歴
1995年4月8日、岐阜競輪場でデビューし9着。トップクラスの選手として確立するのに時間がかかったが、2002年の競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦で決勝進出(6着)を果たしたことが契機となって、競輪のみならず、自転車競技のトラックレースでも活躍の場を広げ、同年、韓国の釜山で開催されたアジア競技大会では、個人、チーム(神山雄一郎、渡邉晴智とともに)の両スプリント種目を制覇。
2003年、全日本自転車競技選手権大会個人スプリント優勝。同年の世界自転車選手権(シュツットガルト)の個人スプリントでは8位に入った。2004年4月に佐世保競輪場で開催されたふるさとダービー決勝では、逃げる井上昌己をバックストレッチから捲りきって優勝。同年のトラックワールドカップ・シドニー大会個人スプリントでは3位に入り、同年開催のアテネオリンピック出場への夢も膨らんだ。しかしメルボルンで開催された世界自転車選手権の個人スプリントでは本選にすら進めず、ここでオリンピック出場の夢は絶たれた。
アテネ五輪出場を逃したことを契機に、競輪選手のトレーニングとしては珍しい、高地トレーニングを取り入れるなどして、なおかつ肉体改造にも努めた結果、2005年のシーズンは選手生活のピークを迎えた。9月、名古屋競輪場で開催されたオールスター競輪決勝では、ホームから果敢に逃げて、神山雄一郎に続いて2着。同年11月開催のワールドカップ・モスクワ大会個人スプリントでは、再び3位入賞を果たした。この他同年のふるさとダービー(豊橋)、共同通信社杯(松山)、全日本選抜競輪(岸和田)でも決勝進出を果たした。また、翌2006年開催のワールドカップ・シドニー大会のチームスプリントでも3位入賞に貢献。
しかし2006年4月開催の世界選手権(ボルドー)では、個人、チームの両スプリント種目に出場するものの、いずれも成績は振るわなかった。またこの結果が競輪にも影響を及ぼし、その後特別競輪では決勝進出も果たせていない。また、自身が目標としていた北京オリンピック出場の夢も絶たれてしまった。