金剛型コルベット
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金剛型コルベット | |
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艦級概観 | |
艦種 | コルベット(巡洋艦) |
艦名 | 山の名 |
前級 | 日進 |
次級 | |
要目 (金剛、新造時) | |
排水量 | 常備:2,250トン |
全長 | 水線長:70.41m (231ft) |
全幅 | 12.42m (40ft 9in) |
吃水 | 5.33m (17ft 6in) |
機関 | 円缶6基 横置式2気筒2段膨張レシプロ1基 1軸、2,035馬力 |
速力 | 13.7ノット |
航続距離 | |
燃料 | 石炭330トン |
乗員 | 286名 |
兵装 | 17cm砲3門 15cm砲6門 7.5cm砲2門 25mm4連装機銃4基 11mm5連装機銃2基 36cm水上魚雷発射管1門 |
装甲 | 舷側:4"1/2(=114mm)鉄 |
金剛型コルベット(こんごうがたコルベット)は日本海軍のコルベット。同型艦2隻。日本海軍で初めての新造巡洋艦である。また両艦はエルトゥールル号遭難事件の生存者をトルコまで送り届けている。
目次 |
[編集] 概要
1872年(明治5年)当時、日本海軍の所有する艦船は江戸幕府や各藩から引き継いだ軍艦14隻、輸送船3隻しかなく、多くは練習船として使用され、警備活動に使用できるのは「日進」1隻程度だった。そこで1875年(明治8年)に日本海軍はイギリスに3隻の軍艦を発注した。それが「扶桑」とこの金剛型2隻だった。
金剛型の設計は近代海軍の父と言われたサー・エドワード・リードであり、鉄骨木皮の船体に長期航海を想定して石炭を多く搭載していた。イギリスでの建造であるが兵装にはドイツのクルップ砲を搭載するなど当時最新鋭の艦であった。
「金剛」は1878年(明治11年)1月に英アール社で竣工、「比叡」も同年2月に英ミルフォード社で竣工し、2艦とも5月に日本に到着した。日本に引き渡し後は警備活動に従事していたが1889年(明治22年)度から1902年(明治35年)度まで少尉候補生の遠洋航海に従事している。また1890年(明治23年)から翌年にかけて、日本で遭難したエルトゥールル号の生存者をトルコまで送り届ける遠洋航海を実施した。
日清戦争には両艦とも従軍、旅順攻略戦などに参加した。1898年(明治31年)に海防艦となり1905年(明治38年)の日露戦争に参加、旅順港の警備などに従事した。
その後は測量任務に従事し、1909年(明治42年)に金剛が、1911年(明治44年)に比叡がそれぞれ除籍され、後に解体された。
[編集] 同型艦
[編集] 参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡I』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5
- 福井静夫『福井静夫著作集第4巻 日本巡洋艦物語』(光人社、1992年)ISBN 4-7698-0610-8