那珂 (軽巡洋艦)
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艦歴 | |
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発注 | 1920年計画 |
起工 | 1922年6月10日 横浜船渠 |
進水 | 1925年3月24日 |
就役 | 1925年11月30日 |
その後 | 1944年2月17日に戦没 |
除籍 | 1944年3月31日 |
性能諸元 (竣工時) | |
排水量 | 基準:5,195t 常備:5,595t |
全長 | 162.46m |
全幅 | 14.2m |
吃水 | 4.8m (常備) |
機関 | パーソンズ式オールギアードタービン4基4軸 90,000馬力 |
最大速 | 35.3kt |
兵員 | 440名 |
兵装 | 50口径14cm単装砲7門 61cm連装魚雷発射管4基8門 40口径8cm単装高角砲2門 九三式機雷56個 |
装甲 | 水線64mm、甲板29mm |
航空機 | 1機 |
那珂(なか)は、日本海軍の軽巡洋艦。川内型軽巡洋艦の3番艦。艦名は栃木県、茨城県を流れる那珂川に因んで命名された。
目次 |
[編集] 艦歴
川内型の2番艦として横浜船渠で起工されたが、1923年の関東大震災で被災、建造途中の船体を大きく損傷したため解体の上3番艦として改めて起工、1925年11月30日に就役した。なおその際に艦首形状をスプーン型からダブル・カーブド型に改めている
1927年8月24日、島根県美保関沖で行われた夜間無灯火演習において巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」が衝突、それを避けようとして駆逐艦「葦」の左舷後部に衝突し両艦ともに大破した。
1937年の日華事変時においては第2艦隊に所属し作戦活動に従事した。
1941年には姉妹艦の「神通」と共に雷装の強化が行われた。太平洋戦争が始めると西村祥治少将率いる第4水雷戦隊の旗艦としてフィリピン上陸作戦を支援した。
1942年4月1日にクリスマス島沖において潜水艦「シーウルフ」(USS Seawolf, SS-197)の雷撃を受け航行不能となり、「名取」によってシンガポールに牽引される。
その後舞鶴工廠にて修理、近代化改装を行い1943年4月に戦線復帰する。
1944年2月17日、トラック島西方で空母「バンカー・ヒル」(USS Bunker Hill, CV-17)および「カウペンス」(USS Cowpens, CV-25)艦載機部隊による攻撃を受け沈没した。
[編集] 歴代艦長
[編集] 艤装員長
- 井上肇治 大佐(1925年4月15日就任)
[編集] 艦長
- 井上肇治 大佐(1925年11月30日就任)
- 中村亀三郎 大佐(1926年12月1日就任)
- 三戸基介 大佐(1927年4月5日就任)
- 毛内効 大佐(1927年11月1日就任)
- 伴次郎 大佐(1928年12月10日就任)
- 南雲忠一 大佐(1929年11月30日就任)
- 山田定男 大佐(1930年12月1日就任)
- 山本弘毅 大佐(1931年12月1日就任)
- 園田滋 大佐(1932年12月1日就任)
- 後藤英次 大佐(1933年11月15日就任)
- 阿部嘉輔 大佐(1934年11月15日就任)
- 醍醐忠重 大佐(1935年5月25日就任)
- 五藤存知 大佐(1935年11月15日就任)
- 阿部孝壮 大佐(1936年12月1日就任)
- 中邑元司 大佐(1937年8月2日就任)
- 河野千万城 大佐(1937年12月1日就任)
- 宮里秀徳 大佐(1938年11月15日就任)兼任
- 高間完 大佐(1938年12月15日就任)
- 秋山輝男 大佐(1939年11月15日就任)
- 伊集院松治 大佐(1940年10月15日就任)
- 田原吉興 大佐(1941年8月11日就任)
- 中里隆治 大佐(1942年7月10日就任)
- 高木伴治郎 大佐(1942年10月1日就任)
- 今和泉喜次郎 大佐(1943年3月25日就任)
- 末沢慶政 大佐(1944年1月7日就任)
[編集] 同型艦
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
大日本帝国海軍の軽巡洋艦 |
天龍型:天龍 | 龍田 球磨型:球磨 | 多摩 | 北上 | 大井 | 木曾 |
長良型:長良 | 五十鈴 | 名取 | 由良 | 鬼怒 | 阿武隈 |
川内型:川内 | 神通 | 那珂 夕張型:夕張 |
最上型:最上 | 三隈 | 鈴谷 | 熊野 |
阿賀野型:阿賀野 | 能代 | 矢矧 | 酒匂 大淀型:大淀 |
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