軍用手票
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軍用手票(ぐんようしゅひょう)とは、戦争時において占領地もしくは勢力下にて軍隊が現地からの物資調達及びその他の支払いのために発行される擬似紙幣である。略して「軍票(ぐんぴょう)」とも呼ばれていることが一般的である。正確には領収書であり、最終的には、その軍隊が所属する政府によって軍票所持者に対し債務支払いを行う必要があるが、敗戦国の場合、支払能力がないため反故にされる場合もある。また第二次世界大戦の敗戦国である日本の場合、かつて戦時国際法上、個人に対する戦争被害を敗戦国が補償する義務がなく、また連合国側が軍票の支払い義務を免除したため、後に国際問題になったことがある。
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[編集] 概要
近代まで、軍隊が占領地から物資を徴発する行為がしばしば横行していた。中には略奪的な場合も含まれていたため、一定の金銭を保証すべきとして、領収書である軍票が発行されるようになった。そのため、近代以降の戦争では各国軍隊が占領地で使用する場合が多くなった。
このように軍隊が所属する国家の通貨制度とは分離して軍票を使用する制度を用いるのは、自国の通貨を使用すると通貨供給量が激増し、結果的にはインフレーションで経済破綻する恐れがあるほか、敵国に自国通貨が渡ると工作資金になる危険性があるなど、戦略面からの要請があるためである。また領収書であるため、手持の貴金属による支払いに比べ、実際の経済力以上の物資の徴発が可能でもある。そのため軍が勝手に印刷して流通させることも出来る。
以上のように、軍票は通貨のような体裁と流通形態をしていて、商品券のような物と誤解される場合があるが、法律上の扱いは法定通貨でも有価証券でもなく領収書であり、最終的には相手国政府当局に提出して現金化する事が必要である。あくまで物資や労働力などを軍が受領し、軍に対して債権を持つことを証明する領収書に過ぎないものである。ただし、期間と場所を限定した場合、軍票が通貨の代わりに流通した例もある。
[編集] 各国の軍票
第二次世界大戦中には連合国側も発行していたほか、第二次世界大戦後もアメリカ合衆国が世界各地の米軍基地の兵士の給料として米ドル建ての軍票を、1970年代ごろまで支給し使用していた。またベトナム戦争に派遣された韓国陸軍もベトナムで使用する軍票を発行していたほか、イギリス軍も世界各国の基地内で使用する軍票を発行していたこともある。
第二次世界大戦中のアメリカではAllied Military Currencyという軍用手票が発行されていた。 第二次世界大戦後からベトナム戦争の終わりまでMilitary Payment Certificates(略称MPC)という米ドル立て軍用手票が発行されベトナムで流通していた。同じくベトナム戦争に派遣された韓国軍も同様の軍票(アメリカ・ドル建)を使用していた。
1990年代になるとアメリカ軍は紙の軍用手票の発行を辞めプリペイドカード方式へと移行した。
[編集] 日本の軍票
日本においては、西南戦争の際に西郷隆盛が使用した西郷札が軍票の最初であるとされ、その後日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦(青島攻略戦)などの対外戦争で日本政府が占領地で発行しており、太平洋戦争では中国および東南アジアの占領地各地で現地通貨建てのものが使用された。また戦後沖縄で使用されたB円も軍票の一種といえる。
前述のように軍票は、大蔵大臣や日本銀行の許可は要らず、軍が勝手に印刷して流通させることが出来る。そのため、第二次世界大戦では日本軍の各軍団が勝手に軍用手票を乱発して経済的混乱を招く結果となった。
中国戦線で使用した日本円以外にもペソやグルデンなどのさまざまな通貨単位の軍用手票が各占領地で発行された。中には南方開発金庫などの日本が設立した現地金融機関が発行した場合もあった。また、対ソ戦を想定しルーブル表示の軍票も試作されたが、実際に使われること無く消滅した。
[編集] 日本の軍票シリーズ
日本貨幣商協同組合『日本貨幣カタログ2007』によれば、日本軍が発行した軍票を次のシリーズに分類している。なお、日清戦争から日華事変甲号軍票までは明治時代に発行された明治通宝とよばれる政府紙幣のデザインを踏襲した縦型のものを使っていたが、その後は銀行券スタイルのものが発行されるようになった。
- 日清戦争軍票(両単位)
- 1895年に勃発した日清戦争で発行、10両、5両、1両、5銭、2銭5分の清時代の通貨単位の軍票を1895年2月に発行したが、戦争が予想よりも速く終結し、あまり軍票を発行することがなかったため、ほぼ全量が回収された。そのため現存するのは1両軍票数枚という珍品である。
- 日露戦争軍票(銀円単位)
- 日露関係険悪化のため、戦争開始前に用意されていたため、日露戦争開始直後の1905年2月に発行。清国や朝鮮で使用するために、朝鮮語(ハングル)による表記がされていた。10円、5円、1円、50銭、20銭、10銭が発行され大量に流通した。戦後多くが回収されたが、従軍した日本軍兵士が低額券を戦勝記念に持ち帰ったため、比較的入手しやすい。
- 戦地で軍票額面価格を維持するために、いつでも正銀貨と引換を希望すれば、戦地所在の横浜正金銀行各支店、内地指定の金庫、韓国金庫派出所、野戦郵便局、韓国、北中国所在の日本普通郵便局、第一銀行出張所で軍票を受入れた。明治38年6月末までに軍票の発行高は金1億4054万5000円であった。
- 青島出兵軍票(銀円単位)
- 第一次世界大戦勃発に伴い、日英同盟に基づき日本はドイツ帝国に宣戦布告。当時ドイツが中国に持っていた山東半島の租借地を占領する軍事作戦を展開したが、この時に占領地で使用するために1914年9月に10円、5円、1円、50銭、20銭、10銭が発行された。1926年の統計によれば青島出兵で発行された総金額は11,812,197円で、そのうち161,956円が未回収とされている。そのため残存数が少なく比較的高価なプレミアで取引をされている。
- シベリア出兵軍票(金円単位)
- 第一次世界大戦末期にロシア11月革命が発生し、史上初の社会主義政権が誕生した。皇帝派と革命政権派が激しい内戦が行われたが、世界の列強がチェコスロバキア軍救援を口実にシベリアに出兵した。日本もシベリアに出兵したが、シベリアや北満州で使用するために1919年8月に金兌換を保証した10円、5円、1円、50銭、20銭、10銭が発行された。そのため、日本語とともにロシア語による表記がなされている。
- 日華事変軍票(銀円単位)
- 1931年の満州事変以後、日本に対する中華民国の排日運動が激化していったが、日本軍部が「治安の維持」を口実に暴走し、中国大陸への派兵と侵略を進めていった。1937年には日華事変が勃発し、事実上全面戦争に突入した。当時の中国では満州では日系の朝鮮銀行券(日本円と等価)が流通しており、上海では日本銀行券も流通していた。そのため、日本軍は戦争の進展に応じて様々な軍票や傀儡政権下の中国聯合準備銀行や中央儲備銀行が発行した銀行券も使用していた。そのため、軍票だけでも多くのシリーズがあり、種類も多い。
- 甲号券 日本軍が従来発行していたスタイルの縦型の軍票。1937年に発行されたが、デザインが陳腐していたため、額面300万円しか使われなかった。
- 乙号券 当時の日本銀行兌換券の文字を抹消し、「軍用手票」と大きく印刷して発行。
- 丙号券 日本銀行の文字を印刷していない紙幣に「大日本帝国政府軍用手票」の文字を印刷して発行。
- 丁号券 鳳凰や龍といったデザインに変更した「大日本帝国政府軍票手票」として発行。
- 戊号券 丁号券の表記を「大日本帝国政府」に変更して発行
- ろ号券 戊号券のうち「ろ」で始まる記号があるもの。仏領インドシナで使う目的の軍票であったが、殆ど使用されなかった。そのため比較的高価なプレミアが付いている。
- 大東亜戦争軍票(各国単位)
- 1941年以後に日本軍が占領したアジア太平洋地域の各地で発行された軍票。各占領地域で発行されたため、軍票の通貨単位も異なり、多くのシリーズがあり、種類が多い。
- は号券 蘭領インドシナで発行。単位はグルテン。
- に号券 英領マラヤで発行。単位は海峡ドル
- ほ号券 米領フィリピンで発行。単位はペソ
- へ号券 英領ビルマで発行。単位はルピー
- と号券 英領太平洋地域で発行。単位はポンド
[編集] 関連法律
ハーグ陸戦条約第52条に「現品を供給させる場合には、住民に対して即金を支払わなければならない」、「それが出来ない場合には領収書を発行して速やかに支払いを履行すること」と書かれており、この領収書として用いられているのが、軍用手票である。
「軍票による支払等の許可の申請手続に関する省令」により、日本人が日本から外国に対して軍票による支払いを行う場合には、財務大臣の許可を受ける必要がある。現在ではこの手続きはオンラインでも受け付けているが、オンライン申請された実績は無い。
[編集] 軍票問題
日本軍が発行した軍票は、敗戦により紙切れと化した。発行数量が多すぎたため、一部ではインフレで実質的価値が消滅したのもあった。特にインフレが激しかった地域では、タバコの巻紙に軍票が使われたといわれている。軍票に対する日本政府の支払い義務は、連合国がサンフランシスコ講和条約で請求権を放棄したため、消滅したとされている。
しかし、戦後もフィリピンや香港で日本軍が発行した軍票に強制的に両替させられた住民による、戦後補償を求める訴えがある。香港では中国中に流通していた日本軍の軍票が一挙に流入させられたため、前述のように強制的に両替させられた住民は大きな経済的損害を受けた。実際に、日本の裁判所で日本政府に対する損失補填を求める民事訴訟が起こされたが、1999年6月17日に東京地方裁判所は、当時の国際法で戦争被害に対する個人の損害を補償しないという原則と、日本の国内法に軍票を交換する法律が存在しないことを理由に訴えを棄却した。
またフィリピン方面で日本軍が発行した軍票のうち、現存するものの中には日本に補償を求めるスタンプを押したものが存在する。これは軍票所持者から信託を受けた団体が受領書を交付し、団体ではスタンプを押して管理するというものであった。しかし、現在では元の所有者に返され、多くの紙幣収集家の手元に納まっている。