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台湾 屏東県 車城郷 |
地理 |
|
位置: |
北緯--°--'
東経--°--' |
面積: |
49.8517km² |
各種表記 |
繁体字: |
車城郷 |
日本語読み: |
しゃじょう |
漢語ピン音: |
Chēchéng |
通用ピン音: |
Chēchéng |
注音符号: |
ㄔㄜ ㄔㄥˊ |
片仮名転写: |
チャーチェン |
行政 |
|
行政区分: |
郷 |
上位自治体: |
屏東県 |
下位行政区画: |
11村131鄰 |
政府所在地: |
- |
車城郷長: |
林顕水 |
公式サイト: |
車城郷政府 |
情報 |
総人口: |
10,340人(2006年8月) |
戸数: |
3,386戸(2006年8月) |
郵便番号: |
944 |
市外局番: |
08 |
車城郷の木: |
- |
車城郷の花: |
- |
車城郷の鳥: |
- |
別称: |
柴城 |
車城郷(しゃじょうきょう)は台湾屏東県の郷。
[編集] 地理
車城郷は屏東県南西部に位置し、北は枋山郷、獅子郷、牡丹郷と、東は牡丹郷、満州郷と、南は恒春鎮とそれぞれ接し、西は台湾海峡に面している。恒春半島に位置する車城郷は、緩やかな丘陵地帯により形成され、四重渓、保力渓が郷境を流れている。熱帯モンスーン気候に属し、每年10月から翌年2月に掛けては地形の影響で強い颪を受ける。
[編集] 歴史
車城郷は旧名を「柴城」と称し、明末鄭成功の時期に武将である陳文華がこの地に入植し集落が漸次形成され、恒春半島における漢人入植のための中心地としての地位を形成した。清代になると漢人入植者が増加し、それにともない原住民との衝突が発生、原住民からの防衛を目的に地域の東南に柴で柵を築き、これを住民が「柴城」と称したことに由来する。後に可燃性の柴に代わり、十数台の牛車を場外に配置したことから、現在の「車城」と称されるようになった。
1920年の台湾地方改制の際、この地には「車城庄」が設けられ、高雄州恒春郡の管轄となった。戦後は高雄県車城郷に改編され、1950年に屏東県に帰属するようになり現在に至っている。
[編集] 経済
[編集] 行政区
[編集] 歴代郷長
[編集] 教育
[編集] 国民中
[編集] 国民小学
[編集] 交通
種別 |
路線名称 |
その他 |
鉄道 |
恒春線 |
計画線 |
鉄道 |
海生館線 |
計画線 |
省道 |
台26線 |
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[編集] 観光
- 国立海洋生物博物館
- 車城福安宮
- 石門古戦場
- 四重渓温泉
- 関山夕照
- 海口沙漠
- 白猴瀑布
[編集] 外部リンク