藤堂高陳
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藤堂 高陳(とうどう たかのぶ)は、江戸時代の大名。伊勢久居藩の第3代藩主。久居藩藤堂家3代。
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 元禄14年8月26日(1701年9月28日) | |||
死没 | 享保17年6月14日(1732年8月4日) | |||
別名 | 富之助、主水(幼名) | |||
戒名 | 聖諦院殿郭然義空大居士 | |||
官位 | 従五位下、主水正、佐渡守、備前守 | |||
藩 | 伊勢久居藩主 | |||
氏族 | 藤堂氏 | |||
父母 | 父:藤堂高堅、母:小林氏(春光院) | |||
兄弟 | 辰、冬、藤堂高陳 | |||
妻 | 婚約者:松平信庸の娘(婚儀前に没) 側室:なし |
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子 | 実子なし 養子:藤堂高治 |
元禄14年(1701年)8月26日、第2代藩主・高堅の長男として久居で生まれる。正徳5年(1715年)、父の死去により後を継ぎ、12月に従五位下、主水正に叙任する。享保元年(1716年)、享保4年(1719年)に江戸本所防火使となった。しかし享保6年(1721年)に江戸藩邸が焼失し、それによって藩財政難のために4ヵ年の倹約令を出している。享保3年(1718年)に佐渡守に転任する。
享保8年(1723年)9月13日、養嗣子の高治に家督を譲って隠居する。享保13年(1728年)、再び備前守に転任する。享保17年(1732年)6月14日、久居で死去。享年32。
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