芙苑晶
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芙苑 晶(ふぞの あき、1969年11月20日 - )は音楽家。シンセサイザーやコンピューターを用いた幻想的大作が多い。電子音楽、トランスなどで国際的に知られる。世界的に活動し、国境とジャンルを超えたファン層を持っている。
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[編集] 概要
ジャンルをクロスオーバーさせた新手法や壮大なスケールを持つ楽曲によって構成されたノンジャンル電子音楽または「総合音楽」としての「シンセサイザー・シンフォニー(Synthesizer Symphony)」と呼ばれる連作ソロ・アルバム・シリーズが有名であり、このジャンルの創始者とされる。このスタイルとリンクした「シンフォニック・テクノ」「アシッド・ミュージック」といった新ジャンル・新手法を提唱・開発したパイオニアとしても評価され、独自のスタイルを持つエレクトロニック・ミュージックで、ワン・アンド・オンリーな存在である。
作風としては、電子音楽、トランス、アンビエントサイケ等が主体となっているが、本来ジャンルにおさまりきらないケタ外れなスケールを持つアーティストであり、アルバムごとに多様なスタイルに挑戦し、テクノやトランス以外にもロック(おもにプログレッシブ・ロック)、クラシック等、多種多様なジャンルのリスナーたちに熱烈なファンを持っている。
一方、トランス前史時代の1980年代後半より、幻覚植物研究所、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット等で、トランス的な手法による作品(おもにサイケデリック・トランス、アシッド・トランス的な楽曲)も発表しており、近年ではトランス音楽の先駆者としての評価も出てきている。また、活動初期にすでにミュージック・コンクレートや、今で言うIDMの先駆のような作品、さらにクラシック寄りの作品まで制作・発表しており、世界は幅広く奥深い。
[編集] 作品世界 (ソロアルバム)
ソロアルバムでは、宇宙的で「アシッド感」の強い壮大なヴィジョンの世界があり、エレクトロニクスを駆使したサイケデリックな色彩感溢れるサウンドとシンフォニックな音響美の融合が特徴的である。 また、幻想的で耽美的なメロディラインを持つ楽曲も多く、全体の雰囲気はテクノと言うよりも「トランス」ないしは「アンビエントサイケ」に近いが、アルバムの多くは組曲スタイルで構成されており、映画のような壮大なイメージも同時に持っている。
また、(とくに初期の作品では)しばしばサイケデリックな幻覚のビジョンを音で描写するという特異なテーマを持ち、この手法も芙苑晶のオリジナルとも見なされている。これの発展形として、アルバム全体を通して聴くことで映像的なストーリー性を感じさせる構成により、壮大なヴァーチャル・リアリティへのトリップ感覚(変性意識状態)を生み出すという独自な手法「アシッド・サウンド・ムービー(Acid Sound Movie)」を提唱している。こうした特徴から、古くからのファンの間では「幻想派プログレッシブ・トランス」あるいは「アシッド・シンフォニー」等といった呼ばれ方をしていた。
シンセサイザーやコンピューターを中心にしたシステムを採用しているが、他にもパイプオルガン、ハープシコード等々、あらゆる種類のキーボードも使用するマルチ・キーボード・プレイヤーであり、一人でほとんど全パートを多重録音・演奏して構成する。また、プロジェクトによってはシタール、ディジュリドゥなどの民族楽器等も使用することがある。映画制作にも例えられる大がかりなレコーディングのため、キャリアの割に寡作であるが、どのアルバムも大作揃いであり、完成度の高さには定評がある。
[編集] ソロ活動以外
ソロ活動以外でも華々しく活動し、数々の伝説を残している。 トランス・ユニット 幻覚植物研究所(1987年 - )主宰。日本のレイヴ・バンド、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet)の元・メンバー(バンド・リーダー、キーボード、作曲担当)(1988年-1997年)。これらのバンド、ユニットでは、野外レイヴ・パーティのプランナーとしても、予言者的存在であった。
[編集] 経歴
[編集] プロ・デビュー以前(クラシック・現代音楽時代)
- 幼少期に両親が離婚、母子家庭に育った。上に姉がいる。左利き。
- 4才からピアノを始め、6才頃から作曲を始める。作曲家・黛敏郎に才能を見出され、幼少よりクラシック音楽の英才教育を受ける。当初はクラシック作曲家志望であり、十代前半で作曲家として活動を始め、いくつかのクラシック作品の習作を発表。一部で天才少年と評価されていた。また、この頃より電子音楽・前衛音楽に傾倒する。
- 高校在学中、全て電子楽器のみによるアンサンブル・オーケストラ「エテロフォニック・オーケストラ(Etherophonic Orhcestra)」結成、図形楽譜等を用いた前衛的コンサート活動をおこなう。恐らく日本(ないし東洋)初と推定される革命的なものであった。一方、当時からポピュラー音楽にも関心を示し、サイケデリック・ロック・バンド「淫心」等でも活動していた。
- 和声学、対位法、管弦楽法等のクラシック音楽の基礎理論を高校時代までにほぼ独学でマスターしてしまった。高校の途中まで芸大の作曲科進学志望だったが、やめたのは、作曲の教師に「もう教えるべきことは何もない」と言われたからであるという。
- 高校三年の春、海外単独放浪の生活を挙行。インドやネパール等アジア各地を回る。先住民文化や原始宗教などに関心を寄せており、古代音楽・民族音楽などを探究する。しかしこの放浪の旅は予定より長引き、一ヶ月半にも及んだため、「無断での長期欠席と法外な課外活動」を理由に、高校を退学処分となる。
- 日本の高校を中退後、17才で単身ヨーロッパに渡り、神智学等の神秘主義思想・哲学を学んだ。おもにドイツ(旧・西ドイツ)に滞在。ケルン大学に通ったほか、専門家に私淑した。これらの一連の経験により、クラシック音楽以外の音楽へも目を開かれると同時に、のちのトランス・ミュージックの発見につながった[1]。
- 1988年、初のソロ電子音楽プロジェクト・幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)(タイトルなし・『幻覚植物研究所』)自主制作盤で200部のみカセット・リリース。「淫心」の初期作品と並んで、トランス (「アシッド・トランス」)の予言的作品と評されている(~このプロジェクトは現在に至るまで継続されている)。
[編集] ソロ・デビュー~初期
- 1988年、淫心のメンバーで渡欧。ロンドンに滞在中、セカンド・サマー・オブ・ラブと呼ばれるアシッド・ハウス・ムーヴメントに遭遇、グループ名をファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット( Far East Acid House Quartet)と変更して再出発。当初の予定では、四人のメンバー中、芙苑晶のみがドイツへ戻り、大学に復学する予定だったが、この時点でレーベル契約の話が浮上し、芙苑晶は音楽活動を取ったため、果たさなかった。
- 以後、同バンドは日本とヨーロッパのアンダーグラウンド・シーンを中心に活動し、サイケデリックトランス、レイヴ・バンドの草分けとしてカルト的評価を得た(〜1997年解散)。
- 同1988年、初のソロ・アルバム『燐光(Phosphorescence)』をニューヨークのNerve Nets Recordsより発表(「Siamese Twin)」名義)、ソロデビュー。デビュー当時は覆面作家であり、Siamese Twinとは日本語で「シャム双生児」を意味する不気味なペンネームで、プロフィールなども一切明かされなかった。
- 1989年、世界単独放浪の旅を挙行。数ヶ月にわたる住所不定・無職のバッグパッカーとしての、本格的な無銭旅行であった。ヨーロッパ、アジア各地を巡り、アメリカに渡る。ニューヨーク滞在中、現地でトランス・ユニット「Psychedelic Plants Research Laboratory」(幻覚植物研究所)名義での野外ゲリラ・ライブをニューヨーク各地でおこなう。のちに野外レイヴの先駆と見なされている。また、これがのちのファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットでの野外レイヴ・シリーズへとつながり、発展した。
- 一方、ソロ・アーティストとして、『木霊(Echoes)』(1990年)、『荒廃(Ruins)』(1993年)、『伽藍(Cathedral)』(1995年)などのソロ・アルバムを発表。これらの三作は「シンフォビエント三部作(Symphobient Trilogy)」として完結。アンビエントサイケ、トランス、クラシックなどを独自な手法で合成したような神秘的ムードの作品群であった。
- これらのソロ活動と並行してインターナショナル・ユニット幻覚植物研究所、日本のファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットなどで活動、トランス・ミュージックの先駆者としての功績を打ち立てた。
[編集] ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット
- ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットでは作曲、シンセサイザー、キーボードを担当、バンド・リーダーでもあった。「ファー・イースト」においては、「原始回帰の秘儀としての野外レイヴ」というテーマを考案・提唱、「巫女役」とも呼ばれたダンサーであったメンバー・田嶋エリサとともに「ファー・イースト」独自のスタイルによる野外レイヴを考案した。他にも、「ファー・イースト」の原型となるアイディアの多くを考案したのは芙苑晶であったといわれており、バンドにおける創作面・思想面での中心人物と見なされた。
- これらのことから、日本で初めて野外のレイヴを計画した人であるという説がある。また、(とくに初期の)数奇なライフスタイルや、商業主義に対して徹底的に背を向けた独自の活動、物質文明への批判とも受け取れる思想的発言等から、のちに、ネオ・ヒッピーという言葉の誕生のきっかけともなった人物であったという説もある。また、それらのイメージから、「ファー・イースト」全盛期(90年代前半頃)「には「ネオ・ヒッピーの元祖」といった呼び名でファンにカリスマ的支持を得た。
- 「ファー・イースト」の活動においてはトラブルも多く、バンド後期(1994年以降)は、メンバーの逮捕、堕落や死によって活動自体が困難になっていった。1997年には田嶋エリサがドラッグのオーバードーズにより死亡するという悲劇的な顛末を迎え、これがバンド解散へつながった。「ファー・イースト」の四人のメンバーのうち、他の三人は死亡したり引退しているため、芙苑晶が唯一の現役アーティストである。
- 片や、芙苑晶自身はこの時期(90年代半ば以降)、作曲家として数々のトランスの名作とも呼ばれる曲を書き残している。ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット の「Ibiza Breakfast」、幻覚植物研究所の「Mrs. Cyborg」などはその代表作である。ソロ・アルバムからは「Cosmology 5」「Ruins 2」等のクラブ・ヒット的作品も生み出し、次第に知名度を上げた。
[編集] 引退と復帰~現在
- 1998年にリリースした5作目のソロ・アルバム『宇宙論(Cosmology)』では、それまでに世界的にも例を見ない独創的なアレンジと映像的なストーリー性を感じさせる構成により、シンフォニック・テクノ(シンフォニック・アシッド)」という新ジャンル・新手法を確立した世界初のアルバムとなった。独自な手法とハイ・クオリティな音楽性は衝撃を与え、発売以来現在に至るまで、ロング・セラー・ヒット・アルバムとなっており、芙苑晶の代表作とも言われる。
- しかし、『宇宙論(Cosmology)』発表直後の1998年、アメリカのファンジンで突然引退を表明。その後、行方をくらましてしまい、日本のファンの間では失踪説、死亡説まで流れた。元々海外が拠点であったこと等もあって、一時は完全に忘れ去られた存在となり、「幻のアーティスト」として語られたこともあった。
- この時期、実質的には2000年にトランス・レイヴ・ドーターズをプロデュースしたのみで、それ以外は一切仕事をやめてしまい、数年間リタイアしていたが、2003年、5年ぶりに発表された大作『年代記(Chronicle)』でシーンに復帰した。『年代記(Chronicle)』は、とくに欧米を中心に先に評価され、国内でもテクノ系リスナー以外にも高く評価した人が多く、ファン層と国際的評価をさらに拡大した。
- 2007年には、芙苑晶の80-90年代の代表曲(主にトランス系の楽曲が中心)をトランス・レイヴ・ドーターズをはじめとする内外のDJがリミックスを手がけたクラブ・リミックス・アルバム『恍惚的宇宙論 / トランス・レイヴ・コスモロジー (Trance-Rave Cosmology)』がリリースされた(芙苑晶 with トランス・レイヴ・ドーターズ名義)。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] オリジナル・アルバム
- 『燐光(Phosphorescence)』(1988年)
- 「Siamese Twin」名義でリリースされた最も古い音源。
- 『木霊(Echoes)』(1990年)
- このアルバム以降は「シンセサイザー・シンフォニー(Synthesizer Symphony)」のサブタイトルが冠され、『木霊(Echoes)』を「Synthesizer Symphony No.1 シンセサイザー・シンフォニー第1番」として、以降、No.2、3、4・・・・と通し番号が振られている。また、このアルバム以降は「AQi Fzono(芙苑晶)」名義でリリースされている。
- 芙苑晶の国際的ブレイク作で、現在もロング・セラー・ヒットとなっている。テクノのスタイルを基本に、トランス、アンビエントサイケ、ハウス、IDM、サイケデリックロック、クラシックなどを素材とした楽曲を縦横無尽に融合しシンフォニック・テクノ(シンフォニック・アシッド)」という新ジャンル・新手法を確立した世界初のアルバムとなった。「Cosmology 5」はクラブ・ヒットとなった。
- 初めて聴くとそのクオリティの高さと完成度、壮大なスケールに驚く人も多いと言われるほどのアルバムである。
- 2006年にはリマスター盤が再発された。
- 『年代記(Chronicle)』(2003年)
- それまでのダンス/エレクトロニカ的サウンドから一転、オーケストラ、合唱、民族楽器などをフィーチャーし、芙苑作品の中では最高度に壮大なスケールとドラマティックな展開を持った交響詩的大作として新境地を切り開いた。スタイルはクラシックに近づきながらも、様々な電子音、ノイズ、インダストリアル・サウンドやテープ・コラージュ等、エレクトロニカ・IDM的な斬新な手法も大胆に導入され、話題を呼んだ。
[編集] リミックス・アルバム
- 『宇宙論入門(A Guide To Cosmology)』(2000年)(リミックス:ヒプノティック・ツイン、 トランス・レイヴ・ドーターズ)
[編集] リミックス・アルバム/ベスト・ヒット・アルバム
- 『恍惚的宇宙論/トランス・レイヴ・コスモロジー(Trance-Rave Cosmology)』 - AQi Fzono Club Hits Dance Remixes Best(2007年)(芙苑 晶 with トランス・レイヴ・ドーターズ)
- 芙苑晶の過去のソロ・アルバムからの代表曲をはじめ、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット等の彼の初期のバンド・プロジェクトの代表曲も収録され、なおかつ全曲がトランスのコンピレーションCDのようにつなげられているという、一種のベスト・ヒット・アルバム的な性格も持った作品集となった。
[編集] バンド、ユニット
- ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット、もしくはLSD解放同盟(Far East Acid House Quartet, Otherwise the LSD Liberation Front)(日本 、1988年 -1997年)
- 幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)(インターナショナル、1987年 - )
[編集] 関連人物
- トランス・レイヴ・ドーターズ – 芙苑晶がプロデュースした最初のアーティスト。
- ダモ鈴木 -友人。芙苑晶はダモの2005年のジャパン・ツアーで共演している。
- コニー・プランク
- カールハインツ・シュトックハウゼン
- 黛敏郎
[編集] 外部リンク
- フゾノドットコム:芙苑晶オフィシャル・サイト
- 芙苑晶 幻想音楽大鑑 − 芙苑晶ファンサイト/資料館
- 無法的熱狂祭 - ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット( Far East Acid House Quartet):ファンサイト/資料館
- 淫心
- Lavalamp Records
- 芙苑晶 掲示板