美章園駅
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美章園駅 | |
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美章園駅東口(2006年7月撮影) |
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びしょうえん - Bishōen | |
◄天王寺 (1.5km)
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所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■阪和線 |
キロ程 | 1.5km(天王寺起点) |
所在地 | 大阪市阿倍野区美章園1丁目 |
電報略号 | ヒシ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 相対式 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
4,842人/日(降車客含まず) -2006年度- |
開業年月日 | 1931年(昭和6年)6月3日 |
備考 | みどりの窓口 有 |
美章園駅(びしょうえんえき)は、大阪府大阪市阿倍野区美章園1丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅である。
ICOCA・Jスルーカード利用可能駅(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。また、JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。
目次 |
[編集] 駅構造
相対式2面2線のホームを持つ高架駅。改札は通常東側のみだが、朝ラッシュ時には西側の改札も利用できる。
長い間エレベーターが設置されていなかったが、2008年3月から両ホームともエレベーターを備えるようになった。また歩道から改札に上がる階段(3段のみ)にもスロープが設置されるなど、バリアフリー化が進んでいる。
1 | ■阪和線(下り) | 鳳・日根野・和歌山方面 |
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2 | ■阪和線(上り) | 天王寺方面 |
※駅掲示時刻表の路線名は「阪和線・関西空港線」となっているが、当駅への関西空港線発着列車の停車はない。
※詳細型自動放送導入が進んだ阪和線であるが、2007年4月現在、この駅の自動放送は未だ固定音声の簡易型自動放送のままである。
[編集] 利用状況
美章園駅の乗車人員は1日平均4,842人(2006年度)である。 付近に学校が多く、学生の利用者がかなりの部分を占める。
[編集] 駅周辺
- 河堀口駅 - 近鉄南大阪線
- 阿倍野美章園郵便局
- 明浄学院高等学校
- 大阪女子高等学校
- 大阪府立天王寺高等学校
- 大阪市立工芸高等学校
- 大阪芸術大学附属大阪美術専門学校
- 美章園温泉(登録有形文化財指定)※残念ながら取り壊されました。
この他、駅の東側は古くからの商店や住宅が所狭しと軒を連ねている。阪和線の高架下には商店が軒を連ねており、庶民的な雰囲気を醸し出している。周辺道路は交通量が多い上に歩道が狭く、歩行者や自転車が通行するには少し注意が必要。
[編集] バス
- 大阪市営バス(美章園停留所)
東行のりば
- 6 住道矢田 行(白鷺公園前経由)
- 26 住道矢田 行(駒川経由)
西行のりば
- 6・26 あべの橋 行
[編集] 歴史
- 1931年(昭和6年)6月3日 阪和電気鉄道の停留場として開業。
- 1940年(昭和15年)12月1日 南海鉄道への吸収合併により、同鉄道山手線の停留場となる。
- 1944年(昭和19年)5月1日 戦時買収により国有化。国鉄阪和線美章園駅となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。
1945年3月14日のアメリカ軍による空襲では当駅付近に1t爆弾が落下、阪和線の鉄筋コンクリート橋脚が崩壊、周辺民家も含め死傷者30余名を出すという惨禍になった。1951年(昭和26年)、駅東側に当時の駅職員によって「遭難供養之碑」が建てられた。
[編集] 駅名の由来
大阪の財界人、山岡美章が大正年間に設立した美章土地株式会社がこの駅の付近の土地を住宅地として開発したことに由来する。ただし、開発したときの美章土地の経営者は大阪商工会議所第8代会頭、大阪商船(現:商船三井)や日本電力(現在は解散)の社長などを務めた息子の山岡順太郎である(阿倍野区の地名・町名の由来)。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
阪和線 |
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