篠原ともえ
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篠原 ともえ | |
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基本情報 | |
出生名 | 篠原友恵 |
別名 | しのら、シノラー、tomoe |
出生日 | 1979年3月29日(29歳) |
血液型 | AB |
学歴 | 文化女子大学短期大学部卒 |
出身地 | 日本 東京都青梅市 |
ジャンル | テクノ ロック エレクトロニカ |
職業 | 歌手 女優 デザイナー |
担当楽器 | ギター ベース ハーモニカ サンプラー |
活動期間 | 1995年 - |
レーベル | Ki/oon Sony Records (1994年 - 1998年) DREAM MACHINE (1999年 - 2001年) ポニーキャニオン (2005年) |
事務所 | Sony Music Stars (1994年-1998年) TAKE IT AGENCY (1999年-2006年) クープ (2006年 - ) |
共同作業者 | 石野卓球 KinKi Kids 坂崎幸之助 所ジョージ チボ・マット 松本英子 |
影響 | 石野卓球 チボ・マット ビョーク |
公式サイト | Tomoe Shinohara Offichal Web Site |
篠原 ともえ (しのはら ともえ、1979年3月29日 - )は、日本の歌手、タレント、女優、デザイナー、音楽プロデューサー。1990年代末期に個性的なファッションと強烈なキャラクターで、「シノラー」ブームを巻き起こしたことで知られる。
目次 |
[編集] 略歴
東京都青梅市出身。出生地は東村山市の病院[1]。実家は寿司屋で、3人兄妹の末っ子で長女。幼少時は大人しい性格だったが、小学4年の時にバレエを始めたのを機に明るすぎる性格に変わる。中学1年の時に軽音楽部でバンドを始める(ギター担当)。中学2年頃からデザインに興味を持ち、自作で服を作るようになる。母親の影響で漠然と芸能人を目指すようになり、中学3年の夏休みにソニーの「ちょっとそこまでオーディション」を受けるが落選。しかし、審査員の一人に気に入られ、とりあえずSDグループに出入りするようになった。
1994年4月、東京都立八王子工業高等学校応用デザイン科に進学。しばらく宙ぶらりんの状態が続くが、同年秋、オーディションの時の担当に連れられてモダンチョキチョキズのライブを観に行った際に、ライブ終了後の楽屋でファン意識丸出しではじけまくっていたところを音楽関係者に注目される。まもなくキューン・ソニーの社長石井俊雄(当時)に引き渡され、所属事務所が決まる[1]。
1995年春、キューン・ソニーの事務所で遊んでいたところをソニーのラジカセ「Dr.CHANGER」のCMの企画を持ってきたディレクターに見出され、女性ミュージシャンのプロデュースに興味を持っていた石野卓球[2]に引き渡される。同年7月1日に「篠原ともえ+石野卓球」名義のシングル「チャイム」でデビュー。
1996年春から夏にかけて、シングル「やる気センセーション」「クルクル ミラクル」のプロモーションで積極的に音楽番組に出演し、特異なキャラクターとして注目される。同年10月から音楽バラエティ番組『LOVE LOVEあいしてる』にレギュラー出演し、ゲストの楽屋襲撃コーナー「篠原ともえのプリプリプリティ!!」での機転の利いた傍若無人ぶり、無意味なハイテンションぶりで人気を得ると、数々のバラエティ番組でひっぱりだこになる。
同年末放送の「たけし・さんまの俺たちのワイドショー」の1コーナー(司会:明石家さんま、篠原以外の解答者:ラサール石井、関根勤、村上ショージ)でもその異質なキャラクターを発揮し、「欠如」の読みを石井と関根に「けつにょこう」と教えられると。そのまま発音していた。
1997年3月1日発表のシングル「ウルトラリラックス」を最後に石野卓球がプロデュースから手を引く[3]。同月に東京都立八王子工業高等学校応用デザイン科を卒業。本格的にファッションデザインを学ぶため戸板女子短期大学被服科に進学するが1年で中退、翌年に文化女子大学短期大学部服装学科へ入学し直している[4]。
同年4月-6月、ドラマ『FiVE』で初の連続ドラマ出演。同年8月には映画『デボラがライバル』で銀幕デビューも果たす。
1998年、前年からCMで共演していたユースケ・サンタマリアとのユニット「カロゴンズ」として2枚のシングルを発表。同年8月発表のアルバム『MEGAPHONE SPEAKS』からはセルフ・プロデュースのもと、作曲を始める。同年末に所属事務所を移籍。
1999年、DREAM MACHINEに移籍。女性ミュージシャン用レーベル「Vita Celeste」発足第一弾ミュージシャンとしてシングル「君んち。」を発表。東京都内(23区)の駅構内や列車内中吊りに非売品CDを組み込んだポスターを貼り出し、「ご自由にお持ち帰りください」という前代未聞のプロモーションを行なう。同年3月29日、20歳の誕生日に日本武道館でライブ「篠原ともえお誕生日会 IN しのドーム」を行なう。
2000年1月、自主レーベル「JAGGED APPLE」レーベルを設立し、芳野わかめをCDデビューさせると、同年5月にはレーベルと同じ名を冠したファッションブランド「JAGGED APPLE」を設立し、ファッションショー「しのコレ」を行なう。同年10月に作詞・作曲・衣装デザインを手掛けたミュージカル「天使からの招待状」で初舞台を踏む。
2001年3月5日、アルバムのプロモーションで訪れた台湾で過労のため入院。取材に応じてもらえなかった一部の台湾のマスコミが「泥酔してホテルで大暴れ」と面白おかしく書きたて、日本のマスコミもそれに乗ったため、帰国後、マスコミへの釈明に追われることになった。台湾騒動の最中、3月12日に文化女子大学短期大学部服装学科を卒業。同月末にレギュラーの音楽バラエティ番組『Music Museum』『LOVE LOVEあいしてる』が相次いで終了[5]するとバラエティ番組の一線から身を引き、同年夏、新曲録音中に喉を痛めると音楽活動の一線からも身を引き、篠原ともえ引退説[6]がまことしやかに囁かれることになった。
2002年、日本初のインターネット生中継でのレギュラープログラム 『Happy Store』でパーソナリティーを務める。2003年、親友の松本英子とポップユニットZuTTOを結成、翌年に300円CDを発売し、話題になった。
2004年5月から子供番組『モンすたージオ』に出演し、低年齢のファン層を開拓。同年8月にはアストリッド・リンドグレーンの童話「長くつ下のピッピ」原作のミュージカル『長靴下のピッピ』に主演して好評を得るとともに主婦のファン層も開拓[7]。同年から再び音楽活動も精力的に行い、2005年にはチボ・マットの本田ゆか、chikage、スティーヴ・エトウとのアート・ユニットPANIKARAQS、2007年にはDJのKAGAMIとのエレクトロポップユニットTokyo Flash!!!など様々なジャンルでの音楽活動を行なっている。
[編集] 人物
[編集] シノラー
1996年夏から1999年にかけて、恥ずかしくて誰にも真似できないと思われていた篠原のファッションを模倣するティーンエイジャーの女性が数多く現れて、一種のファッションリーダー化。当時華盛りだった安室奈美恵のファッションの模倣者「アムラー」になぞらえた「シノラー」と呼ばれるファンを多く抱え、まもなくその名が篠原の愛称にも転じた。当時の公式サイトも「SHINORER'S CLUB」という名称で、1997年1月1日にはファンクラブ「SHINORER'S CLUB"ぽよよ~ん"」が設立されている。(公式サイトは2002年に「シノハラトモエ ドットコム」に改名、2004年に再度改名し、現在の形態に定着。ファンクラブは2003年4月にクローズしている。)
シノラーの構成要素は、お団子頭で前髪パッツン、原色のかたまりのような服(初期はSUPER LOVERS)、ハーフパンツにサスペンダー、くしゃくしゃ靴下にごつい靴(初期はドクターマーチン)、変な化粧、100円均一で売っている無意味にキラキラしているアクセサリー、おもちゃの腕輪と指輪、腕時計、縁日で売っている腕パッチン(篠原曰く「ミラクル・パッチン」)とカメレオン棒、おもちゃをいっぱいに詰め込んだポシェット、ゴーグル、そしてランドセル。以上の品をランダムに身に付ける。
トレードマークのお団子頭は、事務所に所属する前に「自分が一番伝わるスタイル」と自分で考え出したもの[1]で、前髪パッツンは切ると気合が入るから[8]。その他の髪型はヘアメイクさんによるもの。服装は初期はスタイリストさんの手によるもの[9]だったが、シノラーファッションが定着した後は自作の服に移行している。
篠原本人は、1997年12月に発表した初のバラード「ココロノウサギ」からランドセルを背負わなくなり、それ以降、曲調によって脱シノラー(客席にシノラー禁止令が出るほど)することが増え、デビュー当時のようなファッションをすることは徐々に少なくなっていった。しかし、レギュラー番組『LOVE LOVEあいしてる』の人気コーナー「篠原ともえのプリプリプリティー!」では番組の性格上ハイテンションのキャラクターを演じ続けなければならず、その結果、「篠原ともえ=シノラー」というパブリックイメージが完全に定着、台湾事件の釈明会見時にも、痛々しい姿にも関わらずそのキャラクターを強いられることになった。
その後、デビュー10周年を迎えた2005年の10月に改めてシノラー卒業宣言を行なっている。2008年1月9日には小学校時代から伸ばしていたロングヘアーを切り、シノラーのトレードマークのお団子頭をする事が不可能になった。
現在、シノラーは「デコラ」という名前で存在している。ただし元々シノラーとデコラは別々であり、シノラーは赤に黄色などと言った原色系の服装や上記のジャラジャラとしたアイテムが中心であり、デコラはピンクや水色言った淡いパステルカラーの服装やレースなどを用いたガーリーなアイテムが中心だった。しかし、篠原本人がシノラーを卒業したことで知名度が下がりいつしかシノラーとデコラは両方を指す事になる。その後、2006年あたりからファッション雑誌KERAで取り扱われることになる。
また、デコラにもロリータ・ファッションやゴシック・アンド・ロリータのように派生ジャンルが存在し、元々のパステルカラー中心とした「フェアリーデコラ」、ロリータ・ファッションと合わせた「デコロリ(別名:姫デコラ)」、パンク・ファッションと合わせた「デコパン」と言ったジャンルが存在する。
なお、デコラの語源は装飾過剰を意味する「decorative(デコラティブ)」が語源である。
[編集] JAGGED APPLE
篠原プロデュースのインディーズ・レーベル、ファッション・ブランドの名称。「(地球に見立てた)りんごをかじる」が名前の由来。
インディーズ・レーベルとしてのJAGGED APPLEは1999年末、所属事務所の後輩(当時)の芳野わかめをプロデュースするために設立。2000年1月、シングル『2000★』を発表し、レーベルとしての活動は終了。同年10月、芳野わかめが企画物でメジャーデビューした際に、クレジットでJAGGED APPLEにスペシャルサンクスを贈っている。
ファッション・ブランドとしてのJAGGED APPLEは2000年5月、ファッションショー「しのコレ」を開く際に設立。その際に篠原がデザインした服は新宿のマルイザッカや自らの公式サイトで販売された。所属事務所移籍にともない現在は活動を中断している。
[編集] エピソード
- 高校3年の時に、ある産業組合のポスターのコンテストで全国1位を獲り、表彰されている。しかし、応募者が7人[10]。
- 篠原が一時期よく使っていた「チェキー(Check it)」という言葉を番組プロデューサー水口昌彦が気に入り、企画していたアイドルグループの名前をチェキッ娘に決定。
- 『LOVE LOVEあいしてる』のレギュラー企画の特別版「篠原ともえのプリプリプリティ!!! International」で、海外ミュージシャンとの交流が多数あり、その一部は単体の企画以上の成果を上げた。以下は一例。
- フリオ・イグレシアス - 1997年に突撃。それがきっかけになり、彼の1999年のベストアルバム『マイ・ライフ』で「ジェガステ・ア・ミ・ヴィダ 晴れた空そんな日に」をデュエットすることになった。日本盤のみの収録。
- エアロスミス - 1998年に突撃し、その際の映像が、彼らの1998年のシングル「FULL CIRCLE」のプロモーションビデオに使われている。一方、篠原は同企画直後に、スティーブン・タイラーとの出会いと別れをテーマにした「ハロー・スティーブン」(作詞:篠原ともえ/作曲:篠原ともえ、長谷川智樹)という楽曲を製作、スティーブン・タイラーからもらったブルースハープを全面にフィーチャーしている。
- ショーン・レノン - 1998年に突撃し、何故か意気投合。同年9月17日に、ショーンのライブに飛び入り参加している。のちに、彼のパートナーチボ・マットの本田ゆか、彼の母親ヨーコ・オノとも交流が広がっている。
- 2005年頃、アニメ『こどものおもちゃ』がフランスでヒット。篠原が歌っていた後期OP曲「ウルトラリラックス」にも注目を集まり、クラブで頻繁にプレイされるなど話題になった。そのため、篠原は2005年11月、2006年3月・6月に渡仏、パリでライブを行なっている。
[編集] 受賞歴
- 1996年 第34回 ゴールデン・アロー賞 新人賞 (芸能)
- 2000年 第17回 ベストジーニスト 協議会選出部門
[編集] 音楽
初作詞は「忘れちゃうモン」(シングル「やる気センセーション」のカップリング)。初プロデュースはしのランドPUNKの「まるもうけ」。 アルバム『MEGAPHONE SPEAKS』製作時、1997年9月に初めて機材(TASCAM PORTASTUDIO 414)を購入し、作曲を始めている、その後、1999年秋までにOMNICHORD、YAMAHA MD8、ローランド・MC-303などを購入。作曲の際は、鼻歌をサンプリングして少しずつ加工し、その音源をプロの編曲家、あるいはコラボレーションするミュージシャンに渡し、補作曲・編曲してもらうというスタイルを取っている[11]。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] アルバム
- スーパーモデル (1996年10月2日)
- MEGAPHONE SPEAKS (1998年8月5日)
- BLUE (1998年10月7日) - リミックスアルバム
- DREAM & MACHINE (1999年3年25日) - 20歳記念のメモリアル・プチ・アルバム
- DEEP SOUND CHANNEL (1999年11月25日) - リミックスアルバム
- VIRGIN DRINKS REMIX (2001年2月) - 台湾デビュー作、日本発売無し
[編集] シングル
- チャイム (1995年7月1日) - 石野卓球+篠原ともえ
- やる気センセーション (1996年3月21日)
- クルクルミラクル (1996年8月1日)- PVに丹古母鬼馬二が出演。
- ウルトラリラックス (1997年3月1日)
- まるもうけ (1997年8月1日) - しのランドPUNK
- ココロノウサギ (1997年12月8日)
- カロゴンズのテーマ (1998年1月21日) - カロゴンズ
- カロゴンズのラブソング (1998年5月21日) - カロゴンズ
- 君んち。 (1999年2月24日)
- HAPPY POINT (1999年10月14日)
- an Audio (2000年5月24日)
- I wanna say to... (2000年8月9日) - tomoe
- キャラだもん (2001年1月24日) - 篠龍
- 月灯り (2004年7月7日) - MOLMOTT+S
- ★遊FEVER★ (2005年10月19日) - デビュー10周年記念シングル
[編集] ユニット
[編集] しのランドPUNK (1997年)
学生援護会 『an』のCMでのNOISE FACTORYのメンバー(ベーシストとキーボーディストとドラマー)との共演をきっかけに、NOISE FACTORYと結成したバンド。唯一のシングル「まるもうけ」は篠原にとって初となるセルフプロデュース作品。プロモーションビデオでは1分以上の寸劇が繰り広げられた。1997年10月から11月にかけて学園祭ツアーを行なうが、同年12月5日のNOISE FACTORYの解散ライブ (しのランドPUNKも出演)で共に解散した。なお、2006年のZuTTOのコンサートの際、元NOISE FACTORYのメンバー (キーボーディストとドラマー)がバックバンドを務めている。
[編集] カロゴンズ (1997-1998年)
所属事務所の先輩(当時)ユースケ・サンタマリア (ビンゴボンゴ時代から仲がよかった)とのユニット。トヨタ自動車 「カローラツーリングワゴン」のCMで、ノベルティ・ソング気味のCMオリジナルソングを歌ったところ、視聴者からの問い合わせが徐々に増えてCD発売の運びになった。プロモーションで数々の音楽番組に多数出演し、ユースケがバラエティ番組に進出するきっかけを作った。ユースケの大ブレイク後、篠原は「ユースケ・サンタマリアは私を踏み台にした」というネタを頻繁に使用している。CM期間終了に伴いユニット解消。なお、カロコンズのテーマのプロモーションビデオには、「しのランドPUNKの学園祭ツアー」の際に撮影した映像が使われている。
[編集] しのコーン (1997年-1998年)
フジテレビ系 『LOVE LOVEあいしてる』で手島いさむと共演したのをきっかけに結成したライブバンド。当初は手島とのユニット「しのてっしー」だったが、すぐにEBI (ベース)が加入。EBI、手島の元所属バンドユニコーンのコーンをとり、「しのコーン」という名前になった。1997年12月から1998年2月にかけてライブハウスツアー 『しのコーン』を行なったのちに解散。オリジナル曲はないが、ユニコーンの曲を多数カバーしている。手島はその後、篠原のバックバンド「TEAM DREAM&MACHINE」のバンマスを務めた。
[編集] ビートルーズ (1998年)
フジテレビ系 『LOVE LOVEあいしてる』内の企画「GO! GO! BAND KIDS」で結成したバンド。メンバーは堂本剛 (ギター)、堂本光一(ギター→ドラム)、篠原ともえ(ベース)、吉田拓郎(ドラム)。結成まもなく吉田拓郎が多忙を理由に脱退し、堂本光一が急遽ギターからドラムにコンバート。その際に「ドラムのビートがルーズ」というところからバンド名が決まった。
1998年7月18日、『27時間夢列島 生LOVE LOVEあいしてるスペシャル』内でオリジナル曲「The Night before your Birthday」(プロデュース:松任谷正隆)を披露して解散。その後、2001年3月31日、『LOVE LOVEあいしてる』の最終回「LOVE LOVE ALL STARSさよならコンサート」の際に再結成。堂本剛 (ギター)、篠原ともえ (ベース)、堂本光一・吉田拓郎 (ドラム)で同曲を披露し、その際に製作時の裏話なども明かされた。2005年12月、篠原が『新堂本兄弟』にゲスト出演した際にも同曲は披露されたが再結成という形は取っていない。
- The Night before your Birthday (1998年)
番組内では「作詞・作曲:ビートルーズ」とクレジットされていたが、実際は「作詞:堂本剛/作曲:堂本光一」。未CD化。
[編集] ねずみがえし (1999年-2001年)
フジテレビ系 『LOVE LOVEあいしてる』内で生まれたガールポップユニット。堂本光一による命名。メンバーは篠原ともえ、下川みくに (LOVE LOVE ALL STARS)、藤田陽子 (LOVE LOVE ALL STARS)。全員ボーカルのため、伴奏はLOVE LOVE ALL STARSに頼っている。
1999年秋に結成し、主に番組内の音楽コーナーの際に活動していたが、2000年7月31日、chee'sのライブにゲスト参加。翌8月1日にLOVE LOVE ALL STARSを従えて、ライブ『ねずみがえしとLOVE LOVE ALL STARS Live 2000 「LOVE LOVE GIRL POP」』を行い、この際にオリジナル曲「LOVE LOVE GIRL POP」を披露している。同曲は同月8日のともえちゃんまつりにおいて、「篠原ともえ+下川みくに+chee's」の構成でも披露された。その後、当の『LOVE LOVEあいしてる』内で披露するタイミングを逃し活動休止状態になるが、2001年3月31日、『LOVE LOVEあいしてる』の最終回「LOVE LOVE ALL STARSさよならコンサート」の際に再び集結し、同曲を披露している。
- LOVE LOVE GIRL POP (2000年)
作詞・作曲:篠原ともえ、未CD化。
[編集] 篠龍 (2001年)
アニマックス 『ドッとKONIちゃん』のテーマソングの作曲の依頼を受けた宇崎竜童が篠原に歌のオファーを出したのがきっかけになって結成したユニット。同アニメのテーマソング「キャラだもん」をリリースし、音楽番組にも多数出演。篠原と宇崎のミスマッチさが話題になった。宇崎がかなり乗り気で新曲も作っていたが、そのレコーディング前に篠原が歌手活動を休業したためにユニットは立ち消えになった。
[編集] ZuTTO (2003年 - )
ともえちゃんまつりで共演して以降親友になった松本英子とのポップユニット。2004年1月28日にドリームミュージック内「ZuTTOレーベル」からシングル「明日に続く空」でデビュー。制作費を抑えて製作、300円というメジャー会社としては最小価格での販売や、卒業シーズンに合わせて小学生がクラス単位で購入する現象が起こるなどして話題になった。2006年にはシングル「恋につづく街」をライブ会場で限定販売、のちにダウンロード販売している。2007年には「フワフワの空」が映画『コーラスたい』の主題歌として起用され、ZuTTOの2人も特別出演した。
[編集] MOLMOTT+S (2004年)
MOLMOTTとのユニット(ゲスト・ヴォーカル)。MOLMOTTのインディース時代の曲のカバー「月灯り」をリリース。なお、MOLMOTTは2005年10月29日に活動停止を発表している。
[編集] PANIKARAQS (2005年)
篠原の発案で「音楽とダンスの融合」を目指して結成されたアート・ユニット。ユニット名はウルドゥー語で「水のバレエ」の意味。メンバーは篠原ともえ (ボーカル)、一時帰国中の本田ゆか (音楽監督)、スティーヴ・エトウ (パーカッション)、chikage (ダンス)。同年にライブを数回行なうものの、本田がニューヨークに戻り活動停止した[12]。ライブの一部は篠原ともえのYouTubeのチャンネルtomoeight channelで視聴できる。活動停止後まもなく、篠原ともえ (ボーカル、サンプラー)、スティーヴ・エトウ (パーカッション)、KenKen (ベース)という面子でセッションバンドを結成している。
[編集] Tokyo Flash!!! (2007年 - )
電気グルーヴのレコーディングで一緒になったり、シングル「★遊FEVER★」の編曲を手掛けてもらったりと交流のあったDJKAGAMIとのエレクトロポップユニット。ライブの一部は篠原ともえのYouTubeのチャンネルtomoeight channelで、楽曲の一部はMySpace内のTokyo Flash!!!のチャンネルhttp://www.myspace.com/tomoeshinoharaで視聴できる。
[編集] 楽曲提供・プロデュース
- NHK 『週刊こどもニュース』 オープニングテーマ (1996年) - 作詞
- ともえちゃんまつりテーマソング 「ともえちゃん音頭」 (1999年) - 作詞・作曲
- 広末涼子 「大人にならないように」 (1999年) - 作曲
- 高木ブー 「僕の大好きな場所」 (1999年) - 作詞
- 大森玲子 「いつかどこかで」 (1999年) - 作詞
- WAKAME YOSHINO シングル『2000★』 (2000年) - プロデュース
- 「2000★」 作曲、「TIP TOP PAL」「P.M DIARY」 - 作詞(WAKAMEとの共作)・作曲
- 野宮真貴 「スター・ストラック」 (2000年) - 作詞 (ショーン・レノン、チボ・マットの本田ゆかと共作)
- 芳野わかめ シングル『ハムスター倶楽部』 (2000年) - アーティスト・プロデュース
- 「☆LUCKY STAR☆」 「DREAM SKY」 - 作詞(芳野との共作)・作曲
- ミュージカル「天使からの招待状」 劇中音楽 (2000年) - 作詞・作曲
- キッズステーション 『モンすたージオ』 番組内楽曲「ありえなぁ~い?!」「キッス☆キッス☆キッス(大好きKISS)」 (2004年) - 作詞・作曲
- 鈴木亜美 「Stereo Love」 (2008年) - 作詞・作曲・編曲
[編集] コラボレーション
- オムニバスアルバム 『ポイズンジャンキー』 (1997年3月31日)
- アリラン明電 with T 「現代音楽 (明和電機メドレー)」
- 所ジョージ 『トンカチ』 (1998年9月16日)
- 「DEEPER UNDER VTR」「たなボタ様」「坂崎くんは44歳」「京大卒の夢は何処へ」
「めざせタイヤキIII」「篠原くんは変な化粧」「めざせタイヤキIV」
- 松たか子 『アイノトビラ』 (1998年9月23日)
- 「on the way home」「恋するギョーザ」
- フリオ・イグレシアス 『マイ・ライフ』 (1999年6月2日)
- 「ジェガステ・ア・ミ・ヴィダ~晴れた空そんな日に」
- 所ジョージ 『洗濯脱水』 (1999年8月21日)
- 「駅前のワシントン条約」「恋の唄」
- トリビュートアルバム 『tribute to REBECCA DREAM DISCOVERY』 (1999年11月10日)
- 「76th STAR」 - SHINO-娘
- 「愛のクライネメロディー」
- 所ジョージ 『LIVE 絶滅の危機』 (2000年3月17日)
- 「恋の唄」「農家の唄」
- トリビュートアルバム 『美空ひばりトリビュート』 (2000年7月20日)
- 「お祭りマンボ」
- 千秋 『青い童話』 (2001年11月7日)
- 「青い童話」 - Miss ミラクル"T"
- トリビュートアルバム 『トリビュート トゥ シェリルクロウ』 (2006年12月20日)
- 「SOAK UP THE SUN」
- 電気グルーヴ 『J-POP(電気グルーヴのアルバム)』 (2008年4月2日)
- 「少年ヤング(Album Mix)」
[編集] タイアップ/CM使用楽曲
- チャイム - ソニー Dr.CHANGER ZSX-7000 イメージソング (1995年)
- やる気センセーション - ベネッセコーポレーション 進研ゼミ小学講座 (1996年)
- 忘れちゃうモン - テレビ朝日系 『炎のチャレンジャー』 テーマソング (1996年)
- クルクル ミラクル - テレビ東京系 『ようこそ! ペットの国』 エンディングテーマ、多摩テック (1996年)
- レインボー・ララ・ルー - 学習研究社 『TV LIFE』 (1996年)、フジテレビ系 『中山秀征の写せっ!』 エンディングテーマ (1996年-1997年)
- ウルトラリラックス - フジテレビ「春はおもしろフジテレビ」(1997年)、テレビ東京系アニメ 『こどものおもちゃ』 オープニングテーマ (1997年-1998年)
- まるもうけ - 学生援護会 『an』 (1997年)
- ココロノウサギ - 不二ビューティ たかの友梨ビューティクリニック (1997年)
- カロゴンズのテーマ - トヨタ自動車 「カローラツーリングワゴン」 (1997年-1998年)
- カロゴンズのラヴソング - トヨタ自動車 「カローラツーリングワゴン」 (1998年)
- 会いにいくの。 - NHK 『みんなのうた』 (1998年8月-9月)
- anything - 学生援護会 『an』 (1998年)
- メトロの娘 - NTTドコモ東海 得トークセット (1998年)
- ハロー・スティーヴン - 公共広告機構 いじめバイバイ (1998年)
- HAPPY POINT - フジテレビ系 『LOVE LOVEあいしてる』 「篠原ともえのプリプリプリティ!」テーマソング (1999年-2001年)
- 君んち。 - ロッテ スムージー、日本テレビ系 「TVおじゃマンボウ」 エンディング・テーマ (1999年)
- すてきな日曜日 - NTTドコモ東海 得トークセット (1999年)
- THE BEST OF MINE - TBSテレビ系 「はなまるマーケット」 エンディング・テーマ (1999年)
- Story Book - フジテレビ系 『ウチくる!?』 エンディングテーマ、学生援護会 『an』 (1999年)
- Women in Life - サッポロビール 「ミネア」 (2000年)
- an Audio - TBS系 『ワンダフル』 エンディングテーマ (2000年)
- LOOP PEOPLE - サークルK (2000年)
- I Wanna Say to... - フジテレビ系 『花村大介』 挿入歌 (2000年)
- Sailing Dream - フジテレビ系 『花村大介 SPドラマ ナースを救え!!」』 挿入歌 (2001年)
- キャラだもん - アニマックス 『ドッとKONIちゃん』 テーマソング(2001年)
- 月灯り - 日本テレビ系 『サルヂエ』『少年チャンプル』 (2004年)
- ★遊FEVER★ - フジテレビ系 『金色のガッシュベル!!』 エンディングテーマ (2005年-2006年)
[編集] ライブ
[編集] 主要ライブ
- WILD SUMMER LIFE '96 (1996年9月1日)
- 渋谷CLUB QUATTROで行なわれたBINGO BONGOのライブにゲスト出演、初ステージ。
- ULTRA RELAX DAY (1997年3月30日) - バックバンド:シノラーオールスターズ(LOVE LOVE ALL STARS)
- ファーストライブ。
- しのランドPUNK 学園祭ツアー (1997年10月-11月) - バンド:しのランドPUNK (篠原ともえ+NOISE FACTORY)
- ライブハウスツアー しのコーン (1997年12月-1998年2月) - バンド:しのコーン (篠原ともえ+手島いさむ+EBI )
- 学園祭ツアー'98 メガフォン・スピークス (1998年10月-11月)
- 篠原ともえお誕生日会 IN しのドーム (1999年3月28日) - バックバンド:TEAM DREAM&MACHINE、LOVE LOVE ALL STARS
- 日本武道館で行なわれた「0円」ライブ。シングル「君んち。」に同封された入場応募券の指示(篠原への誕生日プレゼント持参)に従えば入場出来るというもの。
- DREAM&MACHINE TOUR '99 (1999年5月-6月) - バックバンド:TEAM DREAM&MACHINE
[編集] ともえちゃんまつり
きくち組(2004年に音組に改称)の全面プロデュースで、1996年から、毎年8月8日(フジテレビの日)にフジテレビの夏の総合イベントの一環として行なわれているジョイント・コンサートの通称。名称は、本名の由来の一人である山口百恵が行なっていたイベント「百恵ちゃん祭り」のパロディと思われる。1999年からは篠原作詞・作曲の「ともえちゃん音頭」がテーマソングとして使われている。篠原は初回から出演。1996年は米米CLUBの石井竜也とともに司会を務め、1997年、1999年はメインアクター。2000年以降はアシスタントを務めている。
- 1996年 888スペシャル フジテレビまつり! お台場 LIVE CLAMPs
- 1997年 お台場 Do Don'Pa! 篠原ともえとおともだち
- 1998年 /
- 1999年 篠原ともえと夏休み 1999 ともえちゃんまつり
- 2000年 篠原ともえ.com 20世紀最後のともえちゃんまつり
- 2001年 篠原ともえ.com 21世紀最初のともえちゃんまつり
- 2002年 フォークデイズ夏まつり 第1回 ともえちゃんフォークジャンボリー
- 2003年 フォークデイズ夏まつり 第2回 ともえちゃんフォークジャンボリー
- 2004年 フォークデイズ夏まつり 第3回 ともえちゃんフォークジャンボリー
- 2005年 フォークデイズ夏まつり 第4回 台場北口 ともえちゃんフォークゲリラ 坂崎幸之助商店
- 2006年 フォークデイズ夏まつり 第5回 ともえちゃんフォークジャンボリー 坂崎幸之助商店
- 2007年 フォークデイズ夏まつり 第6回 千秋ちゃん×ともえちゃんフォークジャンボリー 坂崎幸之助商店
[編集] デザイナー
- ファッションショー「しのコレ開催」(2000年)同時期に雑誌「装苑」に連載
- ミュージカル「天使からの招待状」衣装担当(2000年)
- 舞台「ありがとうサボテン先生」コーディネート、コスチュームデザイン(2002年)
- 「リトルジェニー人形」の服3着デザイン(2002年)
- 「和のキルト展」着物ドレス、キルト作品展示(2003年)
- 「リカちゃん人形」の服デザイン(2003年)
- パニカラックスT シャツデザイン(2005年)えんびT シャツ考案
- 六本木「ピナサーカス」でデザインした服販売(2005年)
- エコTシャツデザイン「しの個10」開催(2005年)
- NHK-BS hi 「熱中時間」友禅ドレスデザイン(2005年)
- ピッピT シャツデザイン(2006年)
[編集] 女優
[編集] 舞台出演
- ミュージカル 「天使からの招待状」 (2000年11月) - 演出:伊藤由美子
- ありがとうサボテン先生 (2002年3月) - 演出:水田信生
- 月光のつゝしみ (2002年12月) - 竹中直人の会 第9回公演 - 演出:岩松了
- ブラッド・ブラザーズ (2003年10月) - 演出:グレン・ウォルフォード
- 音楽劇 「ファウスト」 (2004年3月) - 演出・構成:白井晃
- ミュージカル 「長靴下のピッピ」 (2004年8月) - 演出:宮田慶子、主演のピッピ役
- ミュージカル 「ピッピ」 (2006年7月~9月) - 再演
- Piper 第5回本公演 「SPOOKY HOUSE」 (2004年12月) - 演出:後藤ひろひと
- パルコプロデュース 「LOVE LETTERS」 (2005年8月) - 演出:青井陽治
- 愛・地球博EXPOドーム公演 名鉄リーオ 「ゆめのちから」 (2005年8月)
- BIGGEST BIZ~ハドソン川を超えろ~ (2006年1月-2月) - 演出:G2
- JAILBREAKERS~ジェイルブレイカーズ~ (2006年10月) - 演出:G2
- 音楽劇 「三文オペラ」 (2007年10-11月) - 演出:白井晃
[編集] 映画出演
- デボラがライバル (1997年)
- 秘密 (1999年) - 木村邦子役
- ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 (2001年) - カメオ出演
- 恋に唄えば (2002年)
- ゴジラ FINAL WARS (2004年) - テレビ討論会パネラー役
- いらっしゃいませ、患者さま。 (2005年) - 患者の一人、青木役
- コーラスたい (2007年) - 音楽教師役、特別出演
[編集] ドラマ出演
- フジテレビ 『踊る大捜査線』 第6話「張り込み・彼女の愛と真実」・特別編 湾岸署事件ファイル (1997年) - 篠原ともえ役、湾岸署1日署長という設定
- テレビ朝日 『川の見える病院から 幼い命を救いたい! 熱血先生とがんと闘う子どもたちの涙の記録』 (1997年) - 弘子役
- 日本テレビ 『FiVE』 (1997年) - コスギカヨ役
- 日本テレビ 『新宿暴走救急隊』 第5話「恋する胃潰瘍! マダムパパの大変身!!」 - ゲスト
- (秘)恋愛ドラマ Suite Rooms203号室「アレルギー」
- TBS 『先生知らないの?』 (1998年) - 金沢愛子役
- 日本テレビ 『夜逃げ屋本舗』 (1999年) - 深町小糸役
- 日本テレビ 『今夜は営業中!』 (1999年)
- 日本テレビ 『バーチャルガール』 (2000年) - 水野ハナ役
- BS-i 『恋する日曜日』 第4・5話 「もう一度夜を止めて」 (2003年) - 宇佐見琴子役
- BS-i 『恋する日曜日』 「僕の部屋から」 (2005年) - 白鳥清美役
- TBS 『月曜ミステリー劇場』 「女タクシードライバーの事件簿」 (2005年)
- BS-i 『スパイ道』 (2005年)
- BS-i 『佐藤四姉妹』 (2005年) - 佐藤ともえ役
[編集] CM出演
- パナソニック 「MX2」 (1997年)
- 学生援護会 「an」 (1997-1998年)
- トヨタ自動車 「カローラツーリングワゴン」 (1997年-1998年) - カロゴンズ
- 永谷園 「トッピー」「おとなふりかけ」「さまさまふりかけ」「減塩みそ汁」 (1997年-1999年) - トッピー初代イメージキャラクター
- 資生堂 「リシェール キューティクルメイク」「フェルゼア」「キッチンきれい」 (1997年-1999年)
- ローソン 「ローソンに行かなくちゃ」編 (1997年-1998年)
- 不二ビューティ たかの友梨ビューティクリニック (1997年)
- 雑誌『広告批評』の2001年6月7日号、創刊250号記念の企画「日本のコマーシャルBEST100」で90位にランクイン。
- ロッテ 「怪盗フリージア」シリーズ 「スムージー」「モナ王」 (1998年-1999年)
- NTTドコモ東海 (1998年-2000年)
- タムソフト 「KNIGHT & BABY」 (1998年)
- サッポロビール 「ミネア」 (1999年)
- ヴァージン・ドリンク 「ヴァージン・コーラ」(2000年)※台湾での出演
- サークルK (2000年)
- 学生情報センター (2000年)
- NTT ダイナミックテレマ 「プレゼントライン」 (2001年)
- 旭化成 酎ハイ 「WARU」 (2001年)
- JR西日本 (2001年-2002年)
- 大正製薬 「ヴイックス メディケイテッド ドロップ」 (2003年)
- マルサン 「ラブ・お味噌」篇、「ZuTTOの丘で」篇、「大豆畑」篇 (2003年-2007年)
- 首都高速 ETCキャンペーン 「カレージョのお出かけ」篇 (2008年) - CMソング歌唱のみ
[編集] 声優・ナレーション
- フジテレビ系 『LOVE LOVEあいしてる』 (1996年-2001年) - スポンサー読み(週代わりで)
- テレビ東京系 『こどものおもちゃ』 第52話「トイレで出会った大親友」 (1997年) - スペシャルゲスト
- フジテレビ系 『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』 (1999年?) - オープニング
- スタジオジブリ映画 『ギブリーズ episode2』 (2002年) - 蛍ちゃん役
- 北海道テレビ放送 『onちゃん 夢パワー大冒険!』 (2003年) - onちゃん役
- NHK 『課外授業ようこそ先輩』 (2003年-2004年)
- BS2 『熱中時間』 (2004年-)
- 日本テレビ系 『元気が出るごちそうバラエティー たべごろマンマ!』 (2005年-2007年)
- 東海テレビ 『夢のちから』 (2006年-2007年)
[編集] テレビ (バラエティ)
- フジテレビ系 『LOVE LOVEあいしてる』 (1996年-2001年)
- テレビ朝日系 『VIDEO JAM』 (1996年)
- フジテレビ系 『新春かくし芸大会』 (1997年-1999年)
- スペースシャワーTV 『POWDER』 (1997年
- スペースシャワーTV 『パパイヤアルマジロ』 (1997年)
- フジテレビ系 『MUSIC HAMMER』 (1998年-2000年)
- フジテレビ系 『おとこのこおんなのこ』 (1998年)
- フジテレビ系 『Music Museum』 (2000年-2001年)
- フジテレビ系 『森田一義アワー 笑っていいとも!』 (2000年) - 隔週レギュラー
- フジテレビ系 『ものまね王座決定戦』 (2000年) - 司会
- 日テレ系 『ピンパパ』 (2001年)
- NHK教育 『篠原ともえのウキウキ百人一首』 (2002年)
- so-net インターネット番組 『Happy Store』 (2002年-2003年)
- BS朝日 『ニューズメーカー』 (2003年)
- キッズステーション 『モンすたージオ』 (2004年-)
- BS2 『デジタル・スタジアム』 (2005年-2006年)
- フジテレビ系 『平成教育予備校』 (2005年-2006年)
- テレビ朝日系 『虎の門』 (2006年) - 125代ゲストMC(毎回ゲストMCの名が番組名に冠せられる)
[編集] ラジオ
- TOKYO FM 『スーパーフライデーオールジャパンベスト20』 (1996年-1997年)
- ニッポン放送 ゲルゲットショッキングセンター内 『全国出店篠原ともえ寿司』 (1997年-1999年)
- FMヨコハマ 『つながってモビマジック』 (2003年)
- FM広島 『青空気分で』 (2003年) - ZuTTO
- JFN系 『ZuTTOおしゃべり』 (2004年2月) - ZuTTO
- NACK5、FMヨコハマ 『シノハラ・フードコート』 (2003年-2006年)
[編集] 書籍
- TOKYO FM出版 「ウルトラリラックス」 (1997年) - フォトエッセイ
- マガジンハウス 「100%!!! SHINOHARA TOMOE」 (1999年) - フォトエッセイ
- シンコーミュージック 「篠原ともえのハッピィトーク」 (2001年) - B・PASSの連載をまとめたもの。
- 小学館 「おばあちゃんのおくりもの」 (2000年) - 絵本、翻訳
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 月刊カドカワ 1997年2月号
- TOKYO FM出版 「ULTRA RELAX a girl on the future」 (1997年)
- アルバム 『MEGAPHONE SPEAKS』付属ブックレット「MEGAPHONE SPEAKS LIKE THIS」(1998年)
- マガジンハウス 「100% SHINOHARA TOMOE!!!」 (1999年)
[編集] 注釈
- ^ a b c 「ULTRA RELAX a girl on the future」 篠原ともえのクルクル・バイオグラフィー
- ^ 「ULTRA RELAX a girl on the future」での篠原の証言によると他に2名候補がいたらしい。
- ^ 電気グルーヴでの活動が忙しくなり、中途半端なプロデュースになってしまうのを避ける為。
- ^ 戸板女子側が文化女子への転学を認めなかった為、文化女子の一般入学試験を受けた。
- ^ 『LOVE LOVEあいしてる』終了は台湾の事件とは全く関係なく、2月末に公式ホームページ上で終了がアナウンスされていた。
- ^ バラエティ番組の出演は激減したが、CMには普通に出演していた。無責任なワイドショーは「篠原は引退した」と断言。
- ^ 同ミュージカルは2006年には『ピッピ』のタイトルで全国5ヵ所(東京、神奈川、愛知、大阪、福岡)をまわっている。
- ^ 「100% SHINOHARA TOMOE!!!」 P.21
- ^ デビュー当初に、篠原のスタイリストがTHE BIG BAND!!のMCDRAGON(当時SUPER LOVERSのスタッフ)に服を借りに来た話 LOVE LOVEあいしてる THE BIG BAND 出演回のトーク部分の書き起こし
- ^ TOKYO FM出版 「ウルトラリラックス」
- ^ 「100% SHINOHARA TOMOE!!!」 P.6-8
- ^ PANIKARAQSインタビュー
[編集] 外部リンク
- Tomoe Shinohara Offichal Web Site
- Tomoe Shinohara Official Blog
- Tokyo Flash!!! 公式 MySpace 篠原の音楽プロジェクト
- Tomoe arts! 公式 MySpace 篠原のアートプロジェクト
- tomoeight channel 公式 YouTube チャンネル 篠原のYouTubeチャンネル