竹村泰子
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竹村 泰子(たけむら やすこ、1933年12月5日 - )は日本の政治家。
[編集] 概要
神戸市で出生し最終学歴は聖和女子短大中退。札幌市に転居後に市民運動家として平和・人権・環境・民族問題に取り組み83年北海道知事に就任して間もない横路孝弘から地盤を預かる形で旧北海道1区で無所属・日本社会党推薦で出馬し衆院初当選。86年の総選挙では次点(旧北海道1区の地盤は伊東秀子が継承、小選挙区制導入後に横路が国政復帰)。
89年北海道選挙区で参院初当選~95年社会党比例代表で再選。
いわゆる教科書問題では、朝日新聞の報道に従い、文部省が、「中国侵略」を「進出」と教科書検定で書き換えさせたとして追及を行った。
昭和60年11月21日に開かれた第103回国会衆議院社会労働委員会において、ある病院の病院長が精神病患者に対してわいせつ行為を繰り返していると指摘し、病院長は翌日、「死をもって抗議する」と遺書を残し、自殺した。遺族は、国家賠償請求訴訟を起こしたが、棄却された。 竹村議員は、病院に直接出向むき調査を行ったわけではなく、精神病患者の虚言を鵜呑みにして、実名をあげ病院長を糾弾したものである。しかしながら、国会議員の免責特権により、竹村議員は法的責任を問われることはなかった。
議員在任中はクリスチャン議員(プロテスタント系)が構成している国会祈祷会の中心メンバーの1人であった。