立憲民主党
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立憲民主党(りっけんみんしゅとう、Конституционная Демократическая партия)はロシアのリベラル政党。1917年の2月革命後に成立した臨時政府の中心となった。しばしばカデットと略される。
立憲民主党は1905年の第一次ロシア革命に際してパーヴェル・ミリュコーフらにより設立された。メンバーにはゲオルギー・リヴォフ、ピョートル・シュトルーベ、ウラディミール・ナボコフなどが存在する。略称のカデットはロシア語の頭文字KДからきている。ロシア革命時の士官候補生もカデットと呼ばれるため注意が必要である。
議会を通じたロシアの近代化を目指していた彼らの目標は、ロシアに議会制民主主義、議院内閣制を定着させることであった。これに加え、土地の私有権、農産物の自由な生産、工業の発展を望んでいた。
第一次世界大戦の開幕時、カデットは参戦に賛成したが、ロシアの退潮が分かるにつれ意見を後退させていった。2月革命後の臨時政府では5つの閣僚ポストをえて政権の中心となった。しかし臨時政府の権力基盤は安定しておらず、1917年7月にリヴォフ公は首相を辞任し社会革命党のケレンスキーに後を譲った。10月革命ではボリシェヴィキに反対し、1918年に弾圧されている。ロシア内戦では多くの党員が白軍へと参加した。