神代文字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)とは、漢字が伝来する以前に古代日本で使用されていたとされる日本固有の文字の総称である。江戸時代にはその実在を信じていた学者も少なからず存在したが、近代以降の日本語学界をはじめとするアカデミックの世界では、現存する神代文字は古代文字などではなく、すべて近世以降に捏造されたものであり、漢字渡来以前の日本に固有の文字は存在しなかったとする説が広く支持されている。その一方で、古史古伝や古神道の信奉者の間では、神代文字存在説は現在も支持されているが、神代を語れぬ伊勢派が作り出した偽作であるとして排する者もいる。
目次 |
[編集] 神代文字存在説とその歴史
神代文字の存在の可能性についてはじめて言及したのは鎌倉時代の神道家である卜部兼方である。兼方は『釈日本紀』(1301年以前成立)の中で、父・兼文の説として「於和字者、其起可在神代歟。所謂此紀一書之説、陰陽二神生蛭児。天神以太占卜之。乃卜定時日而降之。無文字者、豈可成卜哉者。」と述べ、神代に亀卜が存在したとの日本書紀の記述から、文字がなければ占いが出来るはずがないとして、何らかの文字が神代に存在した可能性を示した。兼方自身はその候補として仮名を考えていたようであるが、爾来卜部神道の間では仮名とは異なる神代文字の存在を説くようになった。たとえば、清原宣賢(吉田兼倶の子)は『日本書紀抄』(1527年)において「神代ノ文字ハ、秘事ニシテ、流布セス、一万五千三百七十九字アリ、其字形、声明(シャウミャウ)ノハカセニ似タリ」と、神代文字の字母数や字形等の特徴についてかなり具体的に述べている。にも拘らず、室町時代までは神代文字の実物が示されることはなかった。江戸時代に入り、尚古思想が高まるにつれて、神代文字存在説もますます盛んになり、遂に神代文字の実物が登場するに至るのである。
江戸時代以降、神代文字として紹介された文字は実に数十種類にも及ぶ。それぞれ出典となる書籍や発見場所などの名前が付けられている。神代文字存在説側の研究としては、平田篤胤が神代文字否定論から肯定論になって最初の論である『古史徴(こしちょう)』第1巻『開題記』所収「神世文字の論」その後の『神字日文傳(かんなひふみのつたえ)』とその付録『疑字篇』が著名である。また、鶴峯戊申(つるみねしげのぶ)は『嘉永刪定神代文字考』において天名地鎮(あないち)文字を世界のすべての文字の根源であると説いた。これらの存在説を集大成したものが落合直澄の『日本古代文字考』である。
[編集] 神代文字存在説への批判
『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」に、「無文字 唯刻木結繩 敬佛法 於百濟求得佛經 始有文字」とあり中国は倭人に文字=漢字はないと認識していた。
鎌倉時代の『二中歴』に「年始五百六十九年 内卅九年 号無く支干を記さず 其の間刻木結繩し 以て政となす」とある。
神代文字存在説への批判は江戸時代に既に沸き起こっていた。否定説を唱えた者としては貝原益軒、太宰春台、賀茂真淵、本居宣長、藤原貞幹などがいるが、中でも伴信友の『仮字本末(かなのもとすえ)』の付録『神代字弁』は実証的に神代文字を否定し、後世の偽作として排した。以下に否定説の主な論拠を挙げる。
- 古人の証言
- 字母数の問題
- ハングルとの類似
以上の論拠により、神代文字は信憑性に乏しく、後世の偽作であるというのが学界の定説となっている。
なお、神代文字やそれによって書かれた古史古伝が存在することをもって日本に超古代文明が存在していた証拠とする者もいるが、「日本にかつて高度な文明が存在し、独自の文字を使用していたならば、そもそも漢字を輸入する必要がないはず」とする反論がある。また、これらの古史古伝の中にはしばしば近代以降の用語・概念・絵画・字体などが見られ、偽書の疑いが濃厚であることも、神代文字存在説には大きなマイナス材料となっている。
また、近年の考古学の進歩により、昔の遺跡や古墳などから文字の書かれた土器・金属器・木簡などが発見され、こういった出土文字により記紀以前の文字の使用状況が判明しつつある。これによって得られた考古学的な知見から、漢字渡来以前に日本に固有の文字はなかったと見られている。
[編集] 著名文献
- 1) 『上古文字論批判』 新村 出
- 1898年、東京帝国大学在学中に著された。神代文字実在論に最終「判決」を下すために執筆され、西洋の言語理論を応用し、古今の文献を博捜・渉猟した精緻なものである。末尾には、明治初年に登場した『上記』への言及も見える。
- 収載:①『徹底検証古史古伝と偽書の謎』 (別冊歴史読本77号) 新人物往来社(2004年P272-297) ISBN 4404030770
- ②『新村出全集』第1巻の『単行本未収載編』(P563-602)
- 2)『國語学概論』 橋本進吉[1]
- 1925年に「岩波講座日本文学」として刊行され、1946年に「橋本進吉著作集」として再刊された国語学の歴史的名著。橋本は『上代特殊仮名遣い』の研究を大成し、奈良朝期には八母音であるとする説を主張した。神代文字は五母音のため、この説と合致しないとしている。
- 3) 『所謂神代文字の論』 山田孝雄
- 4) 『日本古代文字考』 落合直澄(1888)
- 神代文字支持派の研究集大成。伊勢神宮宮司の田中頼庸が序文を書き、伊勢神宮禰宜の落合直澄が書き著した。伊勢・神宮文庫所蔵の神代文字については全くふれていないので、神宮に古代より伝わる物ではないとはっきり言える。国立国会図書館デジタルライブラリーで閲覧可。
[編集] 神代文字の利用
神代文字がいつどのように作られたかはともかく、一部では外部に秘伝が流出するのを防止するための一種の暗号として使用されたという主張もある。また、現在でも一部の神社では符、札、お守りなど呪術的に使用されているようである。伊勢神宮にも神宮文庫に約百点奉納されている。
また江戸時代に諸侯で使用されていた藩札の中には、偽造防止のため神代文字を意図的に使用したものもある。
[編集] 神代文字の影響
神代文字存在説の影響を受けて明治19年(1886年)『東京人類学誌』10号による琉球古字や明治20年(1887年)『東京人類学誌』18号22号での坪井正五郎によるアイヌ文字などがあったという説も出された。偽銘帯との関連を指摘する説もある。
[編集] 主な神代文字
神代文字と誤認されることが多い文字
- サンカ文字:神代文字を基にした三角寛の創作
[編集] 関連文献
- 原田実『図説神代文字入門』 発行:ビイング・ネット・プレス 発売:星雲社 2007年 ISBN 9784434101656
- 國學院大學日本文化研究所 『神道事典』ISBN 4335160232
- 吉川弘文館『神道史大辞典』 ISBN 4642013407
- 吉川弘文館『国史大辞典』
[編集] 脚注
- ^ 金文吉「神代文字と『六合雑誌』」「宗教研究」2004年3月、日本宗教学会 ISSN:03873293。
[編集] 外部リンク
- 天津教古文書の批判 狩野亨吉
- ホツマツタエ - アワのうた
- たあやんわあるど - 神代文字のフォントがある
- 神代文字総覧
- 国会図書館デジタルライブラリー