相楽左之助
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相楽左之助(さがら さのすけ)は、和月伸宏著作の少年漫画『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』に登場する架空の人物。
注意:以降の記述で物語・作品に関する核心部分が明かされています。
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声優
人物
プロフィール
緋村剣心が最も信頼する人物の一人。
容姿
服の背中に「惡」という文字を入れている(作中は「悪一文字」と呼ばれる)。
逆毛だった髪型をしており、「トリ頭」と呼ばれる事も多いが、左之助自身は「自慢の髪型」と発言しており、馬鹿にされるのを嫌っている。
魚の骨をくわえていることが多い(その後は頭の無い魚の骨を吐く事から、頭も食べている事が分かる)。
完全版第5巻の再筆:斬馬刀が実在のものに近い普通の日本刀形状となり、それに合わせ服装も変わっている。悪一文字は入れ墨。
性格
直情的な熱血漢で、気風のいい兄貴肌の人物。その性格を慕う舎弟も数多く存在する。後述の理由から明治政府や維新志士を基本的に毛嫌いしている(剣心は特別)。 斎藤や恵にやたらと馬鹿呼ばわりされているが、旧友である月岡津南のテロは成功しないと看破したり、雷十太の真古流の理念も頭から否定する薫とは逆に一定の理解を示しているなど、意外と頭が切れる一面も見せている。また、喧嘩屋時代は喧嘩をする事になった相手について調べ上げてから戦い方を考えていた(剣心との戦いの際も京都まで出向き、二週間もかけて経歴を調べ上げた)。これらの事から、剣心・斎藤一・四乃森蒼紫がそれぞれ高い洞察力を持っているために埋もれている感はあるが、実際はかなりの切れ者として作中で描かれている。なお、薫の料理を最初に不味いと言ったのは左之助である。
「ヒゲメガネ」(浦村署長)・「エセ恵比寿」(比留間喜兵衛)・「ブタ饅頭」(谷)・「エムっ禿げ」(不動沢)・「デコっ禿げ」(川路利良)・「半デコ」(右喜)など人にあだ名をよくつける。
- アニメ版では蒸気機関車や写真が苦手で、横浜に行くときは「湯気で動く訳がなく、狐か狸にだまされている。」というようなことまでいっていた。(しかし、劇場版では蒸気機関車にはしゃいでおり、矛盾が生じている)。
来歴
万延元年(1860年)2月父・東谷 上下ェ門(ひがしたに かみしもえもん)と母・奈々芽(ななめ、本編では既に故人)との間に生まれる。信州出身で、赤報隊に憧れて家出し準隊士となった。隊長の相楽総三を師と仰ぎ、維新後も彼と同じ相楽の姓を名乗るほど尊敬している。その後、赤報隊が「偽官軍」として汚名を着せられ抹殺されたことで、維新志士や明治政府を憎み、敵対視していた。
明治となってからも、その恨みは消えず、喧嘩屋斬左(「斬馬刀の左之助」に由来)の異名の下、喧嘩屋(喧嘩の代行人)としての裏稼業で生計を立てていたが、剣心と出会い徐々にその心を変化させていく。
喧嘩屋を廃業してからは収入が無いため、普段は神谷道場にたかりに行ったり、赤べこでツケにしてもらったりして生活していた。
『京都編』では自分を完膚なきまでに倒した斎藤を一方的にライバル視し、決着を付ける事を望んでいたが、志々雄との戦いの後、斎藤が行方不明になってからは決着を付けるのではなく、彼を超える事を目標にするようになり、『人誅編』では斎藤に対する対抗心を見せなくなった。
数々の戦いの後、故郷の家族を助ける為に、政府高官に立ち向かった事でお尋ね者となり、それを逃れる為にアメリカ・ヨーロッパ経由で(つまり地球一周して)モンゴルに渡り馬賊となる。彼の「悪一文字」は弥彦と弟の央太に受け継がれた。
家族構成は
- 父親・上下ェ門(かみしもえもん)
- 妹・右喜(うき)
- 弟・央太(おうた)
となっている。弟央太は左之助が家出した後に生まれる。
なお、他の家族と姓が違うのは四民平等の際、左之助が実家から離れており、上下ェ門らは東谷姓を名乗り、左之助は相楽姓を名乗ったため。なお、回想場面で赤報隊時代の左之助が「四民平等の世になれば俺も姓を名乗れる」と語っているように当時の左之助は姓がない。
- アニメ版では阿片を直接舐めて判別する場面があり、理由は謎だが阿片の味を知っているらしい。
モデル
外見のモデルは新選組十番隊組長原田左之助で、本編の回想などに登場する原田と似た容姿となっている。また、名前も原田に由来している。上記のモンゴルに渡り馬賊となるエピソードも原田をオマージュしていると思われる。
特記事項
『るろうに剣心』の後の作品である『GUN BLAZE WEST』は、ほぼ同じ時代のアメリカが舞台であるため、もし打ち切りにならずに連載が続いていれば『るろうに剣心』本編後の左之助が登場する可能性もあったと『剣心皆伝』で作者が語っている。
能力
デコピン一発で大男を吹き飛ばすほどの怪力と、天性の打たれ強さを誇る。流派に則った技は習得しておらず、喧嘩での「殴る」「蹴る」といった徒手空拳が戦闘スタイル。
- 乱打(らんだ)
- 反撃の隙を与えないほどの連続パンチを敵に叩き込む。斎藤との闘いで、斎藤の「後の先を取る」戦闘方法を封じ込める為に使用。しかし斎藤には通用せず、逆に乱打し返された。
斬馬刀
読みは、「ざんばとう」詳しくは、大太刀を参照。ただ、完全版再度筆でも触れた様に、史実の大太刀と形状は完全に別物であるので注意が必要。
騎馬兵士を馬ごと斬る事を目的に製造された巨大な刀。その重量は刀剣類の中でも最大級で、完璧に使いこなせたものは1人もいないとされる。左之助の斬馬刀は応仁の乱の頃の骨董品で、手入れを全くしていない為に切れ味は皆無だが、左之助はその重量を生かし、専ら「叩き潰す」ことに使用する。
剣心との闘いで「攻撃が「打ち降ろす」か「薙ぎ払う」かに限定されてしまう」という弱点を見抜かれ、剣心に斬り落とされてしまう。
それ以降、左之助は徒手空拳で戦ってきたが、『人誅編』では二重の極みが使えない状態であったため、代わりの策として鎹で無理矢理繋ぐという荒技で修復され、再登場を果たす。しかし、続く戌亥番神との戦闘で無敵鉄甲を破壊して完全に砕け散った。
左之助は自分の異名の由来にもなったこの武器に相当の愛着を持っていたらしく、完全に砕けた際は心の中で別れを告げ、その後に番神が新・無敵鉄甲に対しての薀蓄を語った際には「斬馬刀を無駄死にさせてしまった」と激怒していた。
二重の極み
十本刀の1人明王の安慈との修行で習得。
- 二重の極み(ふたえのきわみ)(悠久山安慈の項も参照)
- 京都へ向かう道中で出会った安慈から伝授される。全身で繰り出せる安慈とは違い、左之助が使えるのは右手の正拳のみ。京都編終盤で三重の極みを放って右手に大きな損傷を受けていたにも関わらず志々雄に二重の極みを使って右手が砕けた状態になってしまった左之助は以後、使用の度に右手に負担を溜め、治療する恵を困らせる。しかし、人誅編後半の不動沢との戦いで右手に左手を添える形で負担を軽減した二重の極みを即興で編み出した。
- 三重の極み(さんじゅうのきわみ)
- 安慈との闘いで一度だけ使用。二重の極みから更に右拳を開いて衝撃を加える。これによって技の破壊力は増したが、引き換えに右拳に大きな損傷を受けた。
脚注
関連項目
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登場人物 | 緋村剣心 | 相楽左之助 | 四乃森蒼紫 | 志々雄真実 | 雪代縁 | 鵜堂刃衛 | 八ツ目無名異 |
用語・アイテム | 逆刃刀 | 飛天御剣流 |
団体 | 志々雄一派 |
ゲーム | 十勇士陰謀編 |
関連項目 | 和月伸宏 | サムライスピリッツ | 武装錬金 |