直島町
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直島町(なおしまちょう)は、香川県香川郡に属する町。瀬戸内海上に浮かぶ直島を中心とした直島諸島の島々で構成される。
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[編集] 地理
瀬戸内海の香川県高松市の北に約13km、岡山県玉野市の南に約3kmの位置にあり、直島を中心とした大小27島の島々で構成される。
いくつかの島は三菱マテリアル直島製錬所の操業により煙害で禿山となっていたが、戦後まもなくから植林の努力は続いている。特に荒神島の緑は近年見事なまでに復活している。北側一帯の木が枯れたように見えるのは2004年1月の山林火災のためであり、現在は煙害は無いに等しい。
直島の南側は緑豊かな海岸となっており、瀬戸内海国立公園に指定されている。
- 山:地蔵山、チキリ峰、風戸山、京ノ山、鎧山
- 池:みやんだ池、広木池、琴弾地池
- 川:
- 島:直島、井島
- (面積が1km²未満の島々)
- 向島、荒神島、柏島、葛島、牛ケ首島、京ノ上臈島、家島、局島、寺島、喜兵衛島、屏風島、尾鷹島、杵島、安野島、下烏島、丸山島、ハタゴ島、六郎島、松島、上烏島、中山島、揚島、牛ノ子岩、爼石、帆掛石
- ダム:直島ダム
- 集落:宮ノ浦(島の玄関口)、本村(ほんむら・高原家の城下町)、積浦(漁業の村)の三つ、ほかに三菱マテリアルの社宅など。直島以外の島は殆ど無人島だが、戦後の開拓村の跡が残っている島もある。有人島としては向島(本村港の向かい側)と屏風島に数世帯がある。
[編集] 歴史
[編集] 古代・中世
明治初期まで小豆島・豊島とともに吉備国・備前国の児島郡に属していた。
古来より農業には向かない地形で、喜兵衛島に痕跡を留めるような製塩業に始まり、瀬戸内の交通の要衝として漁業や交易、海賊(実際には、海難事故の多い難航路を抑えての水先案内が主であったと言われる)で生計を立てていた。
品陀和気命大王が吉備国に向かう際に直島に立ち寄り、その上陸地が「宮ノ浦」だという説が日本書紀にある。宮浦港すぐ傍の住吉神社境内には、応神天皇が上陸した際に腰掛けて休息されたと伝えられる応神天皇御腰懸岩が現存している。
保元の乱で敗れた崇徳上皇が讃岐国へ流される際に一旦四国上陸を拒否され、3年間を直島の泊ヶ浦(積浦)で過ごしたとされる。京から追ってきた姫と上皇との伝説が残る姫泊山・琴弾地浜、同じく上皇を訪ねて来た大・中・少納言が船を着けた土地が納言様、上皇が能の舞台を人々に鑑賞させた場所が能見の浜で舞台になった沖合いの島が演題「葛の舞」に因んで葛島、など多数の地名が上皇ゆかりとされ、直島という島名自体も島民の純朴さ、素直さを賞賛して上皇が命名したという言い伝えがある。
戦国時代末期に小規模な水軍の将、高原次利が直島の八幡山に直島城を築き、その城下町として本村の町並みや寺院群、神社などを整備した。ほかにも丸山城、八日山城、風戸城などの出城を島内各地に作っている。キリシタン大名でもあった高原次利は、戦国末期に豊臣秀吉に仕え備中高松城水攻めの際に秀吉軍の水先案内をした功績により1582年に男木島、女木島、直島の3島600石の領主となった。その後は秀吉の四国、九州、朝鮮への出兵でも海上輸送で功績が認められ、関ヶ原の戦いのときは東軍に味方し徳川初期の1619年に没するまで所領を守り抜いた。子孫は6代目の時に改易され、1671年に天領となる。直島城は改易後も残っていたが1781年の大火の際に焼失したと推測されている。
[編集] 近世
江戸時代は徳川幕府直轄の天領で、倉敷代官所の支配下にあった。海運の大動脈であった瀬戸内の地の利を生かし、廻船業(北前船)などで活躍する家もあった。天領であったため歌舞伎や人形浄瑠璃などの公演が特別に許可され、琴弾地浜や城山での公演では島内外からの一座や観客で大変にぎわった。とくに人形浄瑠璃の人気が高く淡路島から島内に伝わった。
[編集] 近代・現代
直島は高松藩の預かり地として幕末を迎える。1868年に土佐藩預かり地の後、倉敷県(現在の岡山県)に移管され、1871年、丸亀県の管轄になりのちに香川県の一部となった。このときに児島郡から香川郡へと変わる。1954年、香川本土の市町村と合併せずに島嶼部単独での町制の施行により直島町となり現在に至る。岡山県玉野市との距離が近いことから、岡山県との繋がりが深い。
[編集] 銅製錬所の受け入れ
1916年、農漁業の不振で財政難にあった直嶋村は三菱合資会社の打診した銅製錬所を受け入れる決断を行う。銅の製錬の際に出る亜硫酸ガスは、足尾銅山や別子銅山など各地で山の木々をすべて枯らすなど煙害を起こしており、三菱は煙害の心配の少ない離島を探した末の打診だった。1917年、島の北端で三菱合資会社の中央製錬所が操業開始されると、島の北半分および周囲の島々の木々は煙害でほとんど枯れて禿山となってしまった。直島は三菱鉱業の企業城下町として一気に発展し、人口増加と豊かな税源、総合病院や映画・芝居等の娯楽など、瀬戸内の離島はおろか香川県内でも有数の豊かな生活が手に入った。企業城下町の常として、親会社頼み、親会社の悪口はあまり言えない、などの傾向もある。
[編集] 循環型社会への転換
1970年ごろを境に金属製錬事業の高度化と平行して合理化が進み、従業員数や島の人口は減少し続けている。また銅の国際価格の低迷から製錬事業そのものが低迷し、直島製錬所はリサイクル事業など、金属製錬以外の新規事業開拓を迫られていた。
そんな中、隣の豊島にて発生した産業廃棄物の不法投棄問題豊島問題から端を発して、1998年から三菱マテリアル直島製錬所敷地内に、豊島廃棄物中間処理施設から産出される飛灰を処理し金属などの資源として再生する産廃処理施設を総合的に整備する「直島エコタウン事業」構想(エコアイランドなおしまプラン)が始まり、2003年香川県直島環境センター(豊島産業廃棄物等中間処理施設)、2004年有価金属リサイクル施設/溶融飛灰再資源化施設が相次いで稼動。環境センターでは豊島から海上輸送された産業廃棄物と直島町内から出る生活ゴミを溶融炉で溶融し、コンクリートの骨材などに使用されるスラグと溶融飛灰を生成。溶融飛灰は近接する有価金属リサイクル施設/溶融飛灰再資源化施設に搬入され、自動車やパソコンのシュレッダーダスト等と共に金、銀などの重金属を抽出して再資源化に供する。
豊島産廃を受け入れるに当たり、直島も産廃で汚染されるというような誤解が広がる中、香川県は漁業や観光への風評被害の対策を行った。
[編集] 観光リゾート地への変貌
島の南端の風光明媚な地区を秩序だった観光地にしようと藤田観光を誘致し、キャンプ場が1960年代後半の観光ブームの時期にオープンしたが、国立公園内という制約もあり大規模な開発はできず、石油ショック後は業績が低迷し撤退した。
その後に島を文化的な場所にしたいという意向で町長・三宅親連(故人)と福武書店の創業者・福武哲彦(故人)との間で意見が一致し、急逝した福武哲彦の跡を継いだ福武總一郎が1987年に一帯の土地を購入し、1989年に研修所・キャンプ場を安藤忠雄のマスタープランでオープン。福武總一郎は「直島南部を人と文化を育てるエリアとして創生」するための「直島文化村構想」を発表し、1992年にホテル・美術館の「ベネッセハウス」建設などへと拡大する。
当初美術館は浮き気味で町民の関心も薄かったが、島全体を使った現代美術展(スタンダード展)、本村の無人の古民家を買い上げて保存・再生し現代美術のインスタレーションの恒久展示場とする家プロジェクト(正確には古民家の再生は2件、ほか1件は新築で残る1件は老朽化した神社の再生)などを重ねることで、徐々に活動が町内の理解を得られるようになり、直島でしか見られないプロジェクトや建築には国内外からの注目も集まるようになった。アーティストの宮島達男は家プロジェクト第1弾の「角屋(かどや)」を創るに当たって町民125人を公募し、作品を構成する125個のディジタル・カウンターの明滅速度を一人一人にセッティングしてもらい、地域住民参加という手法を取ることで、現代アートという異質なものが保守的な土地に入って来ることに対する町民の反感、抵抗を払拭した。
近年は地中美術館もオープン、本村の中もカフェや民宿等ができるなど徐々に変化しつつある。
[編集] 年表
[編集] 行政
- 町長:濵田孝夫
[編集] 産業
- 工業
- 農業・漁業
- 島の周辺海域にてハマチ、海苔などの養殖業が盛ん。県内生産高の高い割合を占める。
- 特産品
- 養殖魚は専ら市場に出荷されるもので、直島に地魚料理が常時食べられる食事処は無い。2006年5月から、直島釣り公園で土日・祝日に数量限定で鯛のさしみ定食を出すようになった。味付け海苔は特産品として販売されている。
- 観光
- 釣り…渡船・プレジャーボートのほか、島の南端に直島釣り公園がある。曜日によっては夜釣りも可能。海に突き出た固定桟橋や浮き桟橋、釣りいかだからメバル、カサゴ、チヌ、鯛、スズキ、ボラ、アイナメ、タナゴなどが釣れる。
- シーカヤッキング…海用のカヌー(カヤック)で島々をツーリングする。瀬戸内では直島諸島などの人気が高い。
- ベネッセアートサイト直島…建築やアート鑑賞など。安藤忠雄によるホテル・ベネッセハウスへの宿泊、島内の集落でのアート作品鑑賞などのコースが、国内の旅行雑誌よりむしろ欧米などの高級リゾートホテル誌に取り上げられることが多く、徐々に外国人観光客が増えている。
- 地中美術館…安藤忠雄設計の美術館。
- 宿泊施設 高級リゾートホテルであるベネッセハウスがある。公営(2006年4月から公設民営)のふるさと海の家「つつじ荘」のほか、いくつかの民宿など宿泊施設があり、釣りやベネッセハウスへの案内を行っている。
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 国内
[編集] 海外
[編集] 教育
- 直島幼児学園として、保育所と幼稚園を一体化するなど独自の取り組みを行う。
[編集] 学校
[編集] 保育所
- 直島町立直島保育所(直島幼児学園)
[編集] 幼稚園
- 直島町立直島幼稚園(直島幼児学園)
[編集] 小学校
[編集] 中学校
[編集] 高等学校
- 町内にはない。
[編集] 大学・短期大学
- 町内にはない。
[編集] 地域
[編集] 医療機関
- 直島町立ふれあい診療所
- 安田歯科医院
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
- 町内にはない。
[編集] 海上航路
[編集] バス
- 直島町営バス
- 愛称はすなおくん号
- 三菱マテリアル~生協前~宮浦港~農協前~本村港~積浦~ベネッセハウス~地中美術館と、それらの間にある幾つかのバス停を結んで1日20便程度運行している。
- 大人100円。こども(4歳以上小学生まで)50円。車種は日野リエッセで、車体に女文楽、島ツツジ(ヤマツツジ)、直島の観光キャラクター「すなおくん」などのイラストが描かれている。
- 土日祝日や春から夏場にかけては平日も乗り切れないほどの乗客がいるので、積み残しになる可能性があるので気をつけておこう。
[編集] 道路
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- ベネッセアートサイト直島 …ベネッセコーポレーションが島内各地で行ってきたアート活動が、古民家や路地など美術館内部に納まらない規模になってきたため、2004年7月より「Benesse Island 直島文化村」ほか島内のアート活動の総称をベネッセアートサイト直島に改称した。以前からの企業コレクションであった美術品も多いが、ベネッセハウスの構造や瀬戸内の景観、集落の歴史などを踏まえて、直島だけのために構想し制作・設置され、直島以外では見られない直島限定的な作品が増えてきたのが特徴。
- ベネッセハウス
- ホテル部分(本館「ミュージアム」、小型ケーブルカーで登る山頂の別館「オーヴァル(旧称アネックス)」、新館「パーク棟」・「ビーチ棟」)
- 美術館部分(旧称・直島コンテンポラリーアートミュージアム)
- テラスレストラン
- スパ(アロマセラピー・サロン。温泉ではない)
- シーサイドパーク(旧称・直島国際キャンプ場)琴弾地浜に面する。2005年(平成17年)9月1日から新ホテル(ビーチ、スイート2006年5月20日オープン)建設のため廃止
- 家プロジェクト …島内の集落の古民家の保存、修復などに現代美術のインスタレーションを組み合わせたもの。名前は屋号やかつてあった寺社に由来。
- 本村ラウンジ&アーカイブ(空間設計:西沢立衛) …アートサイト直島の資料の収集と公開。
- ベネッセハウス
- 地中美術館 クロード・モネ、ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの3人の作品を、本人たちの構想を最大限生かしながら設置するために、山の上の塩田跡の地下に建設された。設計は安藤忠雄。地下にありながら自然光を採り入れ1日のうちでも時間によって作品の見え方が変化するのも魅力のひとつである。
- [注記]ベネッセアートサイト直島の活動の一環、ベネッセの施設と混同視されがちであるが、財団法人直島福武美術館財団の活動による別物である。ベネッセハウス、本村ラウンジ&アーカイブで家プロジェクトの見学チケットが購入できるが地中美術館ではできない、ベネッセハウスと地中美術館で相互に他方の入場チケットは購入できない。
従前は来館者の多い繁忙期の土日・祝日にベネッセハウス、地中美術館、つつじ荘の間を運行していたベネッセアートサイト直島のシャトルバスが、2006年5月20日のベネッセハウス新館オープンに伴い毎日の運行になった。ビジター向けのシャトルは宮浦港まで運行しないが、宿泊者向けには宮浦港まで送迎もする。
- ふるさと海の家「つつじ荘」(設計 石井和紘) …琴弾地浜に面した公設民営宿泊施設。
- 昭和50年代に大ヒットした演歌『おやじの海』を記念した碑がある。作詞作曲者は直島出身、現在も直島在住でマルチな活動をしながら作詞作曲も続ける佐義達雄、歌唱は秋田県出身で当時直島製錬所で佐義氏と同じ職場で働いていた村木賢吉。職場で知り合ったアマチュアの自主制作した楽曲が全国ヒットのミリオンセラーに輝くことは当人達にとってもまったく予想外だった。
- 2006年4月から新体制で運営。大広間、大広間付属の台所、オートキャンプ場などが改装され従前には団体が宿泊できた大広間には宿泊できなくなった。オートキャンプ場に旧国際キャンプ場のパオが移転したため、テント持込でキャンプができる場所は事実上直島から無くなった。「琴反地」「泊ヶ浦」「姫泊」「納言様」の個室は従来どおり宿泊可能。
- 直島建築作品(設計 石井和紘)
- 直島町役場、直島幼児学園、直島小学校、直島中学校、総合福祉センター、直島町体育館、直島町民武道館など。学校・体育施設が島の中央に文教地区を形成している。各施設を一連の建築作品群にするアイデアはかつての町長・三宅親連(故人)のもので、1970年代以来一貫して石井和紘が手がけており、風土に合った意匠や、町の将来の飛躍をシンボライズしたデザインが特徴である。特に本村にある直島町役場は、安土桃山時代の名建築「飛雲閣」を参考に設計され集落の中に溶け込んでいる。
- 直島釣り公園
- 島の南端に固定桟橋や浮き桟橋、釣りいかだが海に浮かんでいる。好スポットとして人気が高い。
- 直島女文楽
- 明治以降一旦途絶えた島の人形浄瑠璃を、戦後まもなく女性たちだけの手で復活したもの。
- 喜兵衛島製塩遺跡
- 直島町、ベネッセハウスが小説の『007/赤い刺青の男』に実名で登場することを記念して創られた、007資料展示ルーム(特記事項参照)。
- 崇徳天皇神社
- 上皇の住んでいた泊ヶ浦(積浦)にあった行在所を山上に建てられた神社に移設してある。
- 海の駅なおしま
- 2006年10月4日にオープンしたSANAA設計によるフェリー・ターミナル。海の駅の名を冠してはいるが島外からのビジターが持ち船を係留できる施設ではないことやその他に批判の声も多いが、新鋭の建築家チームSANAAの設計ということで注目は集めている。
[編集] 特記事項
- 人気スパイ小説「007シリーズ」の原作者イアン・フレミングの没後執筆を担ってきた後継作家の一人、レイモンド・ベンスンによって書かれた『赤い刺青の男』の作中で、直島の美術館を会場とするサミット・主要国首脳会議を狙うテロをジェームズ・ボンドが阻止する。
- 作品の映画化実現と直島でのロケ誘致を目指して007を香川に呼ぶ秘密情報部が結成され、誘致活動が行われている。(フレミング以外の作家による小説は映画化されていない。『美しき獲物たち』以降『ワールド・イズ・ノット・イナッフ』までの6作品に、ガードナー原作からツマミ食いをしたかのように酷似した場面は幾つも登場する)
- 誘致活動の一環として直島町の宮浦港近くに007「赤い刺青の男」記念館が造られ、2005年7月24日の開館セレモニーには作者ベンスン氏も夫人を伴って駆けつけた。
- 海ホタルと呼ばれるウミホタル科に属する1~3mmの大きさの海洋微生物が浅瀬の泥砂に多数生息しており、刺激を与えたり、餌となる肉の小片を海底に落とすと、発光性の粘液により青色に光りながら揺らめく様子が美しい。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 直島町ホームページ
- WE LOVE NAOSHIMA / うぃ・らぶ・なおしま(直島サポートサイト)
- 三菱マテリアル直島製錬所
- ベネッセアートサイト直島
- 地中美術館
- エコアイランドなおしま
- ウィキトラベル・直島の詳細な観光案内(英語版)
直島町役場近辺 * | |
八浜(南東) | 犬島(南西) |
宇野(北東) * | 豊島(北西) |
宇野(南東) | 豊島(南西) |
(国土地理院 地形図閲覧システムより) |
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