白蛇伝
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[編集] 中国民話『白蛇伝』
白蛇伝(はくじゃでん)は中国の説話。かなり古くから小説や戯曲などの題材とされてきた。白蛇の化身である女性が中心人物で、人間の男性と恋に落ち夫婦となるが、正体が知られ退治されるという異類婚姻譚が物語の大きな枠組み。しかし翻案された作品には、恋愛の部分に重点が置かれハッピーエンドを迎えるものもある。
この説話を元に書かれた日本の文学作品には、上田秋成『雨月物語』中の『蛇性の淫(じゃせいのいん)』などがある。また、日本初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』は、この説話を題材としている。
なお、この伝説は、古代ギリシアのラミアと関係があるという指摘がなされている。
- 参考文献:『蛇女の伝説』南條竹則、平凡社新書059、2000年 ISBN 4582850596
[編集] アニメ映画『白蛇伝』
白蛇伝(はくじゃでん)は、中国の説話『白蛇伝』を題材にした、日本最初のカラー長編アニメ映画である。この映画が作られるまで、日本には長編アニメ映画制作のシステムがなかった。スタッフ達は、他国のアニメの研究からアニメーターの養成、アニメ用撮影機材の開発などまで着手しつつ、2年がかりで作りあげていった。
この映画の制作に携わったスタッフは、その後の日本アニメ界を牽引する役割を担っていった。また宮崎駿のように、この映画を観た経験がアニメ界に入るきっかけの一つとなった人物もいる。
演出は、それまで東宝教育映画部で短編アニメを製作していた藪下泰司。製作は東映動画。配給は東映。公開日は1958年10月22日。声の出演者は森繁久弥と宮城まり子。彼らの台詞を劇作家の矢代静一が執筆。他に、人物の動きをトレースしてアニメ化する手法「ライブアクション」のために、水木襄、松島トモ子や、当時東映に入社したばかりの佐久間良子らが起用されている。
[編集] 映画が作られるまで
[編集] 発端から企画の始動まで
日本発のカラー長編アニメ『白蛇伝』が作られるきっかけとなった映画に、『白夫人の妖恋』(1956年、東宝)がある。池部良、山口淑子、八千草薫ら出演したこの実写映画は、中国の説話『白蛇伝』を題材にしていた。この映画は香港で興行的に大成功を収めた。これを受け、『白夫人の妖恋』をアニメ化する企画が、香港の映画界から東映に持ち込まれた。
これがきっかけとなり、東映社長・大川博(当時)は、香港の下請けとしてでなく、独自の本格的なアニメ映画をつくることを考え始めた。当時大きな興行収益を上げるアニメはディズニー映画のみだったが、日本においてアニメ映画製作の体勢を整えていけば、将来大きな産業になるのではないかという、鉄道省の役人から東急の専務、そして東映の社長へと叩き上げてきた大川の、経営者としての予測もあった。
2時間規模のカラーアニメ映画を目指し、東映の教育映画部が中心となって『白蛇伝』の企画がスタートした。この企画のために集められたスタッフには、赤川次郎の実父である教育映画部の赤川孝一、キャラクター原案と美術を担当する岡部一彦、NHK技研出身で美術担当の橋本潔、演出担当の藪下泰司などがいる。
とはいえこの当時の日本には、アニメを制作する会社は影絵動画を含めてもごく少なく、そのいずれもが僅かの社員を抱えるのみの小会社だった。例えば業界最大手だった日動映画ですら、社員20数名の社屋のない会社であり、高校の空き教室を間借りしアニメ製作をしているような状態だった。
また、それまでに作られた最大規模のアニメ映画は大戦中の国策映画『桃太郎 海の神兵』(1945年、松竹動画研究所 白黒)で、上映時間は74分だった。アニメーションの専門家と言える人材がいない状況で、2時間規模のカラーアニメをつくろうとするこの試みは、当時の常識から考えて極めて無謀とも言えた。
東映は、動画会社の吸収、短編動画の制作、動画スタジオの建設、スタッフ養成など、数年がかりでアニメーション制作の体勢を整えつつ、その集大成として長編アニメ『白蛇伝』を完成させるという大がかりな計画を立てた。 1957年6月末、『白蛇伝』の制作が正式に記者発表された。
[編集] 東映動画の誕生と動画スタジオの建設
1956年、東映は手始めとして、負債を抱えていた日動映画株式会社(1948年設立、設立時名称は日本動画株式会社)を社員ごと買収し、東映動画株式会社(現・東映アニメーション)へと商号変更させた。この東映動画に『白蛇伝』のために集めたスタッフを送り込み、『白蛇伝』へ向けた慣らしの意味も込め、短編アニメの制作を開始させた。
建設中の動画スタジオのために、スタッフの養成も始まった。日動映画を吸収することで、東映はベテランのアニメーター達を手に入れた。その中には、山本早苗(後、戸田早苗)、大工原章、森康二などがいる。しかし長編『白蛇伝』のような大がかりなアニメを制作・量産していくためには、圧倒的に人数が足りない。そこで美術大学などにアニメーターとなる人材を求め採用した。この時に東映動画に入社した新人には、後に『ルパン三世』や『未来少年コナン』の作画監督を務めた大塚康生などがいる。この東映動画一期生達は、日動映画のベテラン達に指導を受け、日本アニメの基礎を担う人材へと育っていく。
1957年には東京・東映大泉撮影所の敷地内に動画スタジオが完成。東映動画は同スタジオに移転した。やがて大泉周辺には、大小のアニメスタジオが集まるようになっていく。
[編集] フィルムボードとライブアクションの試み
[編集] その後の影響
[編集] スタッフ・出演者一覧
- 企画:高橋秀行、赤川孝一、山本早苗
- 製作:大川博
- 原案:上原信(作家・山根一眞の父/ペンネーム)
- 脚本・演出:藪下泰司
- 美術:岡部一彦、橋本潔
- 音楽:木下忠司
- 原画:大工原章、森康二
- 動画:大塚康生、喜多真佐武、中村和子、楠部大吉郎、藤井武、松隅玉江、坂本雄作、紺野修司、寺千賀雄、長沢寿美子、加藤洋子、赤坂進
- 撮影:塚原考吉、石川光明
- 背景:草野和郎、前場孝一
- トレス:進藤みつ子、山田みよ
- 彩色:伊藤澄子、宮崎正子、本橋文枝
- 編集:宮本信太郎
- 録音:森武、小松忠之
- 音響効果:吉武富士夫
- 風俗考証:杉村勇造
- 記録:山崎幸子
- 制作進行:稲田伸生
- 現像:東映化学
[編集] ミュージカル『白蛇伝 〜White Lovers〜』
劇場用フルカラー長編アニメ作品「白蛇伝」を原題に、東映アニメーション50周年を記念して2006年11月8日から11月26日までル・テアトル銀座で上演された。
[編集] キャスト
[編集] 女性
[編集] 男性
- 雄佐 :市川右近
- 許仙 :市川喜之助
- 法界 :桝川譲治
- 座矩 :市川龍蔵
- 首里 :市川猿四郎
- 憂波 :幸村吉也
- 伽屋 :市川喜昇
[編集] スタッフ
- プロデュース・脚本・演出 :斉樹潤哉
- 音楽 : 広瀬香美
- 振り付け : 奥山桃子