狩留賀町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
狩留賀町(かるがちょう)は呉市にある町。町内に海水浴場「ロマンチックビーチかるが」がある。
町ではあるが実際のところ住宅地である。呉市の旧別荘地。現在(2007年)も別荘地時代の家(第二次世界大戦以前に建てられた家)が数軒残るが、「世代交代」・「老朽化」により建替えられつつある。
目次 |
[編集] 地名の由来
地名は「狩倉」の変化形、草刈焼畑所があった為とも言われている。
[編集] 地理
呉市西部にあり、北方・東方・南方の三方を山に囲まれた町(住宅地)である。残りの一方(西方)は海(瀬戸内海)となっていて、江田島市が臨める。
[編集] 川
狩留賀川
[編集] 山
- 西城山
- 猪山
- つばくろ山
[編集] 交通
[編集] 学校
- 呉市立吉浦中学校
[編集] 施設
- ロマンチックビーチかるが(海水浴場)
[編集] 歴史
[編集] 江戸時代
[編集] 明治時代
- 1903年(明治36年)海田市、呉間の鉄道開通式が挙行。軽賀トンネル(鉄道専用トンネル)狩留賀側口に番所が置かれ、そこに人が住む。(狩留賀に人が住んだ最初の記録。)
[編集] 大正時代
[編集] 昭和時代
- 1935年(昭和11年)5月。国道31号線にある「吉浦トンネル」が竣工し鉄道線路(呉線)の北側、山手にかけて東寄りに家が数軒建ち始める(別荘地の始まり)。
- 1937年 (昭和12年)海水浴場に「森沢本館(海の家)」が建設される。
- 1940年(昭和15年)現呉市立吉浦中学校の土地に木造2階建で呉海軍工廠狩留賀寄宿舎建設。少し離れた場所に狩留賀工員寄宿舎建設。
- 1942年(昭和17年)旧水道ポンプ所、設置。
- 1944年(昭和19年)6月。呉海軍工廠狩留賀寄宿舎に、女子挺身隊員が入ってくる。(挺身隊に関する石碑が校内に存在する。)
- (連合国軍による占領期)1945年~1952年(昭和20年~昭和27年) 狩留賀町内の数軒が英連邦軍により接収される。
- 狩留賀町内に、国際観光ホテル「かるが荘」が建設される。
- 戦時中「吉浦トンネル」(歩道)に置いてあった軍事物盗難を防ぐ為、トンネルの両端に憲兵を置く。
- 1950年(昭和25年)8月20日 呉市二河プールで日・米・豪の水泳競技会が行われた際に日本の古橋・橋爪・外四など5名の選手が「かるが荘」に宿泊。この日狩留賀町内は勿論のこと吉浦からも選手を見ようとした人で荘の前が、ごった返した。
- 1951年(昭和26年)9月21~9月24日「秋の第6回国体広島大会呉水上競技」に高松宮宣仁親王夫婦が臨席した際に「かるが荘」に宿泊する。
- 1970年(昭和45年)9月15日。呉線全線電化により、それまで地面を走っていた線路が高架橋に変わる。(旧線使用中止)
[編集] 平成時代
[編集] 資料参照物
- 『呉市史』
- 狩留賀町、住人による話
- 『ふるさと よしうら』
- 『角川日本地名大辞典 34 広島県』