犬山祭
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犬山祭(いぬやままつり)とは、愛知県犬山市にて、毎年4月の第1週の土曜日、日曜日に開催する祭りである。2006年(平成18年)に「犬山祭の車山行事」が重要無形民俗文化財に指定された。犬山祭保存会によって組織化して運営されており、事務局は犬山市文化史料館。
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[編集] 祭の内容
1日目を「試楽(しんがく)」、2日目を「本楽(ほんがく)」と呼ぶ。城下町であった13の(縦横の通りの1ブロック毎に下本町、中本町、魚屋町、寺内町などの名称がある)各町より車山(やま)が曳き回される。「試楽」では、車山が針綱神社へ向かい、からくりを奉納する。その後1年分を表す365個の提灯に載せ変え、早い町内では18時30分から21時30分ごろまで提灯に火を点して町内を巡る。夜の部については「夜車山(よやま)」と呼び分けている。「本楽」は針綱神社で神事が行われ、13町の車山と共に3町(内田、坂下大本町、鵜飼町)の練り物も同神社へ集結する。
[編集] 「車山」の構造
「車山」とは他地域の祭における山車のことで、他では2層が多いが、犬山では3層の構造となっている。これは「犬山型」とも呼ばれ、下層がお囃子所、最上層にはからくりが置かれ、中層は「中山」と呼ばれて最上層のからくりを動かす層となっている。1964年(昭和39年)に愛知県の有形民俗文化財に指定され、犬山駅東口のロータリーにはこの車山をイメージしたオブジェが置かれている。
[編集] 起源
愛知県の資料によると、同市北部に所在する針綱神社の祭礼に対して、寛永12年(1635年)より下本町、魚屋町からの練り物が出されたことに始まったとされている。1641年には、同・下本町により「車山」が出され、からくりが奉納された。車山は、1644年より魚屋町、後には1649年の頃、犬山城主成瀬隼人正正虎によって奨励されたこともあり、他の城下各町村においても出されるようになった。
[編集] 「犬山お城まつり」と「犬山祭」
財政的かつ人的により多くの支援を求める形で、1996年より「春の犬山お城まつり」が3月下旬から開催されるようになった。これは犬山祭保存会、犬山観光協会、犬山商工会議所、(社)犬山青年会議所が主催四団体となり発足された。犬山祭はその一環事業という位置づけ(最終2日)となる。この組織が立ち上がったことにより、針綱神社祭礼としての犬山祭の運行計画も変更された。たとえば、試楽祭(土曜日)では、「駅前組」「神社組」に分かれることにより、毎年土曜日に挙行されていた神社前広場での夜車山総ぞろえが姿を消すことになった。2004年の例では、「春の犬山お城まつり」が3月20日にオープニングセレモニー、犬山祭試楽祭が4月3日、本楽祭が4月4日に開催された。
1998年からは10月にも「秋の犬山お城まつり」が開催されるようになり、数輌の車山巡行と「からくり夢競演」と題して13町内のからくりと有志によるからくり披露が針綱神社前広場で実施されていた。2003年の初日(10月25日)には車山13両、2004年にも車山を12両が針綱神社に集結するなどの豪華な祭が行われた(博覧会協会からも補助金が出された)。しかし2005年には財政難で秋の方は中止の危機に瀕し、市からの補助金に出来る限り依存しない「城下町秋まつり」へ変更された。車山の巡行は再び春のみに行われることとなっている。2007年、春の「犬山お城まつり」の一環として実施されていた犬山祭「宵まつり」を廃止し、その予算を原資として「城下町秋まつり」の一環事業のような形で秋季の車山揃えが実現した(10町内のみ参加)。