瀧山
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瀧山(滝山:たきやま。文化2年(1805年) - 明治9年(1876年))は、13代将軍家定・14代家茂時代の御年寄。御鉄砲百人組・大岡権左衛門の娘。
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[編集] 生涯
文政6年(1823年)、16歳で大奥に上がる。その後、才覚が認められて将軍付御年寄に任じられた。14代将軍継嗣問題の際には南紀派(慶福派)に属しており、上臈御年寄・歌橋や13代家定の母・本寿院らと共に一橋派と対立。家定御台所・篤姫周辺らが押す慶喜の将軍就任に反対した[1]。 13代将軍・家定は次期将軍に徳川慶福に決定させ、安政5年(1858年)7月6日に死去。以後も瀧山はそのまま御年寄を務める。
10月24日に14代・家茂とその実母・実成院が本丸大奥に入る。実成院はかなりの派手好きで毎晩女中らと酒を飲み騒いでいた。瀧山は実成院付の御年寄・藤野に「実成院様には、毎晩の御酒を控えるように」と注意を促したが、実成院はこれを聞き入れる事なく騒いでいた。瀧山は実成院に直接「大奥の風紀が乱れるため、毎晩の御酒を控えるように」と厳重注意をした。実成院はこれが気に入らず、瀧山の注意を聞き入れることはなく、毎晩飲みながら騒いだという。
慶応2年(1866年)、家茂が亡くなった後、御年寄職を辞した。[2]
江戸城開城後は自分に仕えていた局の生家を頼り、現在の埼玉県川口市で過ごす。晩年夫婦養子を迎えて「瀧山」の苗字を名乗らせ、瀧山家を興した。明治9年(1876年)、72歳で没。
法名は瀧音院殿響誉松月祐山法尼。墓は川口市・錫杖寺。
[編集] 演じた人物
- 栗原小巻(『大奥』、1983年、フジテレビ)
- 川口敦子(『花の生涯 井伊大老と桜田門』、1988年、テレビ東京・12時間超ワイドドラマ)
- 佐々木すみ江(『徳川慶喜』、1998年、NHK大河ドラマ)
- 浅野ゆう子(『大奥』、2003年、フジテレビ。同作品をベースとした舞台『大奥』)
- 稲森いずみ(『篤姫』、2008年、NHK大河ドラマ)
[編集] 補注
- ^ 大奥は水戸の徳川斉昭が兄嫁・峰姫(11代将軍・徳川家斉の娘)付きの上臈・唐橋(元・大奥女中)に手を出すなど大奥といざこざを起こしたこともあり、大奥は水戸嫌いとなっていた。大奥居住者のなかでも本寿院は「慶喜殿が将軍になるなら、わらわは死を選ぶ」と言い放ち、瀧山もこれに賛同したという。大奥にも少数ではあるが、継嗣問題のパイプ役として送り込まれた御台所付きの幾島ら一橋派の者もいた。ただし、篤姫自身は養父の近衛忠煕に宮中で慶喜を継嗣とする工作を行わないよう書状を出している。これについて幾島は「歌橋らの吹き込みによるもの」と弁明している。
- ^ これまで、江戸城無血開城に伴い、瀧山は奥女中たちにその功労に合わせて拝領物を与え、大奥の最後の幕引きをしたと言われていた。これに関して、「七宝後右筆間御日記」に慶応3年正月より瀧山の名前が登場しなくなった事や、徳川慶喜正室美賀子が慶応3年に「下宿(永の暇)」した瀧山に対して白銀30枚を送ったとされる事を根拠に、これまでの定説が覆された、と紹介する書籍が見られている。