湘軍
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湘軍は清末の湖南地方の軍の呼称で、湘勇ともいう。太平天国の乱を清朝の正規軍は鎮圧できず、やむを得ず地方の武装自衛集団を利用したことが湘軍の発展の起源である。
[編集] 活動
湖南省湘郷の曽国藩が湘軍の創始者である。曽国藩は湖南省の各地の団練を併せて湘軍を結成した。1854年当時は陸軍13営6千5百人、水軍10営5千人であったが、1864年に太平天国を滅亡させた時には12万人まで膨れ上がっていた。満州族の清朝政府は地方の漢人が武装することに不信感を抱いていたが、湘軍を重用せざるをえなかった。なお1862年には安徽省で李鴻章が淮軍を創設している。曽国藩は太平天国滅亡後、清朝からの疑惑を恐れて湘軍を解散したが、その中核は淮軍に譲り渡している。
また全国各地の人材が曽国藩の麾下に投じ、幕僚は300~400以上に上った。後にこれらの将帥や幕僚で総督になった者は15人、巡撫になった者は14人、その他の文武官も多数にのぼる。この湘軍出身者が洋務運動で大きな役割を果たすことになった。湘軍は清王朝を救ったが、漢人が政界の中心に進出するきっかけを作ったのである。
なお湘軍解散後、哥老会に参加した将兵が多数いたという。
[編集] 主な人物
その他、徐寿・李善蘭などの科学者たちも曽国藩に協力している。