李萬洙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李萬洙(イ・マンス) Lee, Man-soo SKワイバーンズ No.22 |
|
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 大韓民国 |
出身地 | 江原道鉄原郡 |
生年月日 | 1958年9月19日(49歳) |
身長 体重 |
175cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 1982年 |
初出場 | 1982年3月27日 |
最終出場 | 1997年 |
経歴 | |
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
李萬洙(イ・マンス、이만수、Man-Soo LEE、1958年9月19日- )は韓国出身の元プロ野球選手、現プロ野球コーチ。現在は韓国プロ野球のSKワイバーンズでヘッドコーチを務めている。
[編集] 略歴
江原道鉄原郡生まれ。育ちは大邱広域市。軍人だった父が江原道の赴任した時に生まれた。大邱商業高校、漢陽大学を経て1982年に三星ライオンズに入団。
三星ライオンズ一筋で16シーズンを在籍した。チームと地元を代表する看板選手として、多大な功績により選手時代の背番号22番が三星ライオンズの永久欠番となっている。正式に永久欠番が決定される前も準永久欠番扱いで、引退後もその背番号を引き継ぐ選手はなかった。つまり、三星ライオンズの歴史で22番をつけた選手は彼だけである。
チームを去って10年以上経った現在も地元大邱を代表するスター選手として、その人気は未だ萎えることない。現三星監督の宣銅烈がいい成績を上げているが、それでも李萬洙が監督として三星に復帰することを望む地元のファンの数も少なくない。まだ個々の選手にプロとしての意識が確立されなかった草創期の韓国プロ野球で、徹底的な自己管理で大卒でありながら現役生活を16年まで伸ばし、1982年に始まった韓国プロ野球元年メンバーの中で最後まで生き残った。
通産252本のホームランと861打点を記録した。本塁打記録は1999年に破られるまで韓国記録として残り、「韓国のベーブルース」とも呼ばれた。韓国プロ野球最初の公式戦の1回表、3点本塁打を放って、韓国プロ野球公式戦第1号本塁打、第1号打点も記録した。1983年には、最多本塁打のタイトルでKBOのシーズンMVPを受賞。
その翌年の1984年には打率.340、23本塁打、83打点を記録し、打撃三冠王となった。しかし、この年のMVP投票では、三星が韓国シリーズでロッテ・ジャイアンツとの対戦するために直接対戦で勝たせ試合と疑われる拙戦を繰り広げたことに、タイトルを取らせるために当時首位打者を争っていたロッテの洪文宗を味方投手陣が9打席連続で歩かせるなどしたことが加えられて、チーム全体として投票する記者に悪い印象を与えた。それに、当の韓国シリーズでも、チームがロッテのエース、崔東源(チェ・ドンウォン)の力投の前に敗れた。結果、その年のシーズンMVPは公式戦27勝、シリーズ4勝の崔東源にさらわれた。
この打撃三冠のタイトルは2006年、ロッテ・ジャイアンツの李大浩(イ・デホ)が達成するまで韓国プロ野球史上唯一の記録であった。ちなみに李大浩もこの年のMVP投票で投手三冠(最多勝、最優秀防御率、最多奪三振)でチームの韓国シリーズ進出に牽引役の高卒ルーキー、柳賢振(リュ・ヒョンジン)に敗れ、投手三冠よりも稀に出る偉業が評価されないでいる。
攻撃では主軸打者として多大な貢献を重ねたが、守備では捕手として、やや重いフットワークと送球の悪さで、盗塁阻止は上手い方ではかった。このため、1980年代の韓国シリーズで足でかき回す相手の戦略を防げることができず、毎度敗退する原因の一つとしてあげられ、批判されたりした。
1997年に引退して渡米、クリーブランド・インディアンスのマイナーリーグのシングルAチームのコーチを歴任したのちに、シカゴ・ホワイトソックス傘下のAAAチームのシャーロット・ナイツを経て、2000年からはホワイトソックスのブルペンキャッチャーとして2006年まで勤めた。2005年にシカゴ・ホワイトソックスはワールドシリーズを制覇しているが、この際にコーチング・スタッフとしてチャンピオンリングを受け取っている。
2007年からは韓国に帰国し、SKワイバーンズのヘッドコーチに就任している。
2007年シーズン途中、チームが快進撃を繰り広げているにも、なかなかスタンドが満員にならないことを嘆いて(SKワイバーンズのホームである文鶴球場の受容人員は30,480人)、「これからホームで開かれる10試合で1試合でも球場が満員になったらパンツ一枚の裸でグラウンドを一周する」と公言。その10試合目で、満員が記録されると約束どおりパンツ一枚の姿でグラウンドを一周するパフォーマンスを披露して話題を呼んだ。
[編集] 通算成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 | 三振 | 打率 | 長打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1982 | 三星ライオンズ | 78 | 270 | 46 | 78 | 13 | 51 | 6 | 50 | 27 | .289 | .500 |
1983 | 98 | 357 | 53 | 105 | 27 | 74 | 0 | 49 | 51 | .294 | .555 | |
1984 | 89 | 300 | 45 | 102 | 23 | 80 | 3 | 29 | 37 | .340 | .633 | |
1985 | 103 | 357 | 63 | 115 | 22 | 87 | 7 | 56 | 37 | .322 | .571 | |
1986 | 59 | 212 | 31 | 68 | 16 | 39 | 1 | 27 | 20 | .321 | .585 | |
1987 | 85 | 299 | 56 | 103 | 18 | 76 | 6 | 51 | 23 | .344 | .579 | |
1988 | 86 | 285 | 47 | 92 | 18 | 58 | 6 | 48 | 22 | .323 | .558 | |
1989 | 110 | 359 | 55 | 102 | 20 | 64 | 4 | 52 | 48 | .284 | .482 | |
1990 | 110 | 359 | 50 | 103 | 26 | 57 | 3 | 59 | 37 | .272 | .540 | |
1991 | 118 | 378 | 51 | 120 | 17 | 74 | 6 | 64 | 27 | .317 | .500 | |
1992 | 93 | 305 | 50 | 88 | 22 | 70 | 7 | 60 | 41 | .289 | .541 | |
1993 | 78 | 193 | 21 | 40 | 5 | 20 | 0 | 24 | 23 | .207 | .311 | |
1994 | 109 | 233 | 24 | 59 | 12 | 37 | 0 | 33 | 42 | .253 | .468 | |
1995 | 97 | 158 | 17 | 34 | 5 | 27 | 1 | 32 | 20 | .215 | .373 | |
1996 | 97 | 193 | 14 | 55 | 6 | 38 | 2 | 24 | 25 | .285 | .451 | |
1997 | 39 | 52 | 2 | 12 | 2 | 9 | 0 | 5 | 10 | .231 | .385 | |
通算成績 | 16シーズン | 1449 | 4310 | 625 | 1276 | 252 | 861 | 47 | 672 | 490 | .296 | .519 |
[編集] 獲得タイトル・受賞経歴
- 最優秀選手-1回(1983)
- 首位打者-1回(1984)
- 最多本塁打-3回(1983,1984,1985)
- 最多打点-4回(1983,1984,1985,1987)
- ゴールデングラブ賞-5回(1983,1984,1985,1986,1987)