明石淡路フェリー
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明石淡路フェリー株式会社(あかしあわじふぇりー、Akashi Awaji Ferry Co., Ltd.)は、明石港と岩屋港(淡路島)を結ぶフェリーを運航する海運会社。本社は兵庫県明石市中崎2丁目7番1号。
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[編集] 概要
明石海峡大橋開通に伴い経営状態が悪化し、撤退を決定した明岩フェリーの事業を引き継ぐため、2000年7月1日に甲子園高速フェリー(→甲子園運輸倉庫、現在はツネイシホールディングスの一部門)、明石市、淡路町(現在の淡路市)などが出資する第三セクターとして設立された。
この航路は、明石海峡大橋が供用されている現在でも、明石市中心部と淡路島を結ぶ最短ルートである(明石海峡大橋経由の場合、明石市からの最寄り出入り口は玉津または長坂となり、かなりの遠回りを強いられる)。また、明石海峡大橋の割高な通行料を敬遠してこのフェリーを利用するトラック等が多くある。
規則上、明石海峡大橋を通行できない車両(自転車・125cc以下の二輪車)もこの航路を利用する。しかしながら、これらの車両は本州~淡路島へはたこフェリーを利用して渡ることができるが、淡路島~四国へは大鳴門橋が通行できないうえに航路が無いため本州から淡路島を経由して徳島方面へは渡ることはできない。
航路の愛称として「たこフェリー」と呼ばれ定着している。また、あさしお丸の船体にはタコが描かれている。
明岩フェリー時代には、並行する旅客船航路を運航する播淡聯絡汽船・淡路連絡汽船(→明淡高速船、現在は会社清算し航路は淡路ジェノバラインに引継)との関係で、同社が運航しない深夜の便を除き旅客のみでの乗船を認めていなかったが、現在は車なしでも乗船できるようになった。
2007年2月以降は、本州と淡路島を結ぶ唯一のフェリーとなった。
[編集] 沿革
- 1954年 - 兵庫県が出資し、明石フェリー運航開始。のち、日本道路公団が事業継承。
- 1986年 - 民間の明岩フェリーに事業継承。
- 2000年7月1日 - 明石淡路フェリーに事業継承。
- 2000年10月1日 - 車なしでの乗船が可能になる。
[編集] 航路
- 所要時間:約20分(終夜運航)
[編集] 就航船
- あさしお丸(たこの図柄、1,295総トン)
- あさなぎ丸(イルカの図柄、1,381総トン)
- あさかぜ丸(上記2隻が整備中の場合のみ就航、1,295総トン)
[編集] 接続交通機関
[編集] 明石港
- 鉄道
- バス
- 最寄バス停(銀座)まで、徒歩約5分
- 銀座から発車するバスの系統
- 銀座通り西側・南端のバース(神姫バス)
- 22系統:北王子・成人病センター経由、西明石駅行
- 銀座通り西側・中央のバース(明石市交通部)
- 成人病センター線:市民病院・王子・成人病センター経由、車庫前行
- 王子線:市民病院・王子経由、車庫前行
- 貴崎線:市民病院・王子・車庫前経由、藤江駅前行
- 貴崎線:明石郵便局前経由、藤江駅前行
- 藤江線:林崎経由、藤江駅前行
- 銀座通り西側・北端のバース(明石市交通部)
- 明舞線:上ノ丸・朝霧2丁目経由、明舞団地行
- 明舞線:上ノ丸・朝霧2丁目・明舞団地経由、朝霧駅行
- 朝霧線:上ノ丸・朝霧2丁目・松が丘5丁目経由、朝霧駅行
- 朝霧線:上ノ丸・朝霧2丁目経由、松が丘5丁目行
- 朝霧線:上ノ丸・朝霧2丁目・大蔵谷清水経由、朝霧駅行
- 朝霧線:上ノ丸経由、朝霧2丁目方面
- 銀座通り東側(明石市交通部)
- 朝霧線:市役所経由、朝霧2丁目方面
- 朝霧線など:市役所行
- 銀座通り西側・南端のバース(神姫バス)
[編集] 岩屋港
- バス
- 最寄バス停(片浜)まで、徒歩約2分
- 片浜から発車するバスの系統
- 県道東側(淡路交通)
- 淡路市岩屋シャトルバス:岩屋経由、南鵜崎団地行
- 西浦線:岩屋行
- 県道西側(淡路交通)
- 西浦線:郡家・志筑経由、津名港行
- 西浦線:郡家・志筑経由、洲本(県病前)行
- 淡路市岩屋シャトルバス:松帆の郷行
- 県道東側(淡路交通)
[編集] その他
- 淡路交通の北の拠点である「岩屋バス停」は淡路ジェノバラインの乗船場前にあり、明石淡路フェリーの乗船場からは東へ1km近く離れているため、バスを乗り継いで淡路島東岸の津名・洲本方面へ向かう際には、岩屋バス停で連絡となる。
- 河内家菊水丸がイメージソングを歌っており、CMソングとしても使われている。便によってはデッキ上にこの曲が流れていることがある。