早坂茂三
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早坂 茂三(はやさか しげぞう、男性、1930年6月25日 - 2004年6月20日)は、日本の政治評論家。 北海道函館市出身。
[編集] 経歴
北海道函館中部高等学校を経て、学生運動にのめりこみ浪人留年を繰り返した後に1953年に早稲田大学政治経済学部を卒業。東京タイムズ社に入社し『東京タイムズ』の政治部記者として田中角栄と知り合った。 1962年、大蔵大臣を務める田中の秘書官になり、田中の内閣総理大臣在任中を含め、田中が脳梗塞で倒れた1985年まで政策担当の秘書を務めた。 その後、田中の長女・真紀子と対立し、政治評論家に転身した。田中角栄の政治的足跡や生き方をテーマにした著書を複数出す一方、人生論を若者向け雑誌に連載するなど、活動を広げていた。テレビでは報道番組のほかクイズ番組やドラマにも出演した。
[編集] エピソード
- 1992年にフジテレビ系列で放送された連続ドラマ「ジュニア・愛の関係」では政界の実力者・田丸魁に扮し、堂々たる演技を披露している(このドラマに出演した理由は、それ以前に同局で放送されていた「7人のホット目玉」の出演者として好評を博していたためである)。
- 真紀子が初当選したときに選挙特番に出演していた早坂が「マコちゃんおめでとう」とねぎらいの言葉をかけたがピンマイクが外れて聞こえないふりをされた。
- 晩年、因縁の深い全日空機の離陸時に、椅子を倒したままだったのでスチュワーデスに椅子を元に戻すように促されたが、頑なに拒否。出発が大幅に遅れた。翌日の新聞にも報道された。
- 趣味は金魚飼育。
- 喫煙者(生放送出演時にも喫煙タイムを求める程、自他共に認めるヘビースモーカー)。
[編集] 著書
- 『オヤジとわたし-頂点をきわめた男の物語 田中角栄との23年』集英社 1987年
- 『政治家田中角栄』中央公論社 1987年
- 『早坂茂三の「田中角栄」回想録』小学館 1987年
- 『駕籠(かご)に乗る人 担ぐ人-自民党裏面史に学ぶ』祥伝社 1988年
- 『捨てる神に拾う神―もっと無器用に生きてみないか』祥伝社 1991年
- 『権力の司祭たち』飛鳥新社 1991年
- 『宰相の器―人心は、どんな男に向かうのか』クレスト社 1992年
- 『鈍牛にも角がある』光文社 1993年
- 『政治家は「悪党」に限る』文藝春秋 1995年
- 『意志あれば道あり―すべては自助努力に始まる』クレスト社 1997年
- 『オヤジの知恵』集英社 1999年
- 『怨念の系譜 河井継之助、山本五十六、そして田中角栄』東洋経済新報社 2001年
- 『オヤジの遺言』集英社 2004年