日本の戦争謝罪
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日本の戦争謝罪(にほんのせんそうしゃざい)とは、日本がこれまで20世紀初頭に戦争等を通して諸外国に与えた損害について日本政府、内閣総理大臣、閣僚あるいは衆議院議長などが数十度に渡って公式あるいは非公式に表明してきた「謝罪」のことである。
日本政府の戦争責任認識が不充分であるとする立場からは、政府がこれまでに発してきた謝罪声明が「公式な謝罪」と認めるには不充分なものであるという認識から、「まだ日本は罪を充分に認め、謝罪していない」とする主張が存在する。これに対して、「国家間の謝罪としては、これまでに何度も発せられてきた謝罪声明で既に充分であり、これ以上繰り返す必要はない」という意見もある。前者は、日本という国が戦争に関する責任をまだ果たしていないという見方を、後者は、日本が既に責任を果たした(あるいは責任など無い)という見方を持っていることが多い(ただし、責任を果たしてはいないが謝罪は既に完了したとする立場もある)。また、中国・韓国・北朝鮮の政府や団体が、日本の謝罪が不充分とする意見を表明することがしばしばある。
本項では、日本がこれまでに発してきた謝罪声明について謝罪が不充分とする立場が物議を醸してきた争点を中心に概観する。なお項目名は便宜上「戦争謝罪」としているが、同時期の戦争とは直接には関係ない韓国併合や台湾割譲後の統治政策などについても含めて述べる。また、以下でも述べるように、何をもって「謝罪」と認めるかには様々な異論があるが、本項では「反省」や「遺憾」の念などが表された発言も便宜上「謝罪」として述べることにする。
目次 |
[編集] これ以上謝罪を繰り返す必要は無い、あるいは既に充分に済んでいるとする論点
[編集] 繰り返される謝罪要求
中国・韓国から繰り返される謝罪要求に、これまで日本政府が表明してきた数々の「反省」「謝罪」声明をもって謝罪は既に十分に済んでいる。例えば塚本三郎(元民社党委員長)は「日本政府は16回も謝罪を重ねてきた…それでも中国や韓国は政府の首脳が交替する度に同様の言いがかりを続けてきた。これ以上彼等の要求に付き合ってはいけない」と述べている(毘沙門天の如く 17年5月1日)。
[編集] 謝罪と経済援助
謝罪声明と同じく、日本政府がこれまでアジア諸国に行ってきた膨大な経済援助(「「戦後賠償」」「ODA」など)も「謝罪」の気持ちの証であり、これらの履行をもって「謝罪」は既に済んでいる。
[編集] 外交カードとしての謝罪要求
中国、韓国、北朝鮮が戦争謝罪を政治的カードとして利用していることの懸念から、日本政府が更なる謝罪声明の必要は無い。例えば2005年4月23日の産經新聞朝刊の記事は、同年の中国における反日デモの背後には中国政府の愛国主義教育により高揚された反日感情があり、こうした「歴史カード」を巧みに駆使しつつ3兆円を超える日本からのODAについては人民に伏せている現実を指摘し、それを批判せずただ謝罪外交を続ける日本政府を批判している。
[編集] 侵略戦争、戦争犯罪の虚構と謝罪
そもそも過去の戦争や統治政策について国として正式に謝罪する国家は稀である。たとえば、欧米帝国主義国が植民地であった国々に謝罪したことは無く、また原爆で民間人の無差別大量殺戮を犯したアメリカが日本に謝罪した事は一度も無い。イギリスは麻薬から利益を上げることを狙い、人類史上でも例を見ない下劣な戦争であるアヘン戦争まで起こしているが、それについてすら謝罪していないし、中国共産党が過去にイギリスに謝罪を要求したことはあるが、逆にイギリスに恫喝され、現在ほとんど要求していない。
大東亜戦争は自衛戦争の側面があることは否定できず、また左翼や革新勢力が戦争犯罪と断じている南京大虐殺、従軍慰安婦の強制連行などは真偽が定かではなく、謝罪はそもそも不要とする意見がある。また戦争全体としての行われてきた被害国への謝罪とはそもそも別の個別事例としている。例えば四宮正貴は、南京大虐殺などは東京裁判における「歴史の捏造」であると断じ、また戦争問題は全て国際法上すでに決着している以上、これ以上謝罪する必要はないと主張している。[1]
[編集] 謝罪は必要である、あるいは未だ充分に済んでいないとする論点
[編集] 如何なる表現で「謝罪」したのか
日本の革新勢力(主に日本の行為を侵略戦争と断じ、日の丸や君が代に批判的な勢力)および中韓北が謝罪発言で暫し問題にするのは、その表現方法である。ただ反省する、遺憾の意を表す旨しか表されていない場合は不充分であると判断する人が多い。一般に彼等が「公式」と認める「謝罪」とは、
の4つの条件を満たしているものである。1に関しては、日本の首相で先の戦争を「侵略戦争」であると認めたのは1993年記者会見での細川護煕が最初であるとされる。2に関しては、日中共同声明において「責任を痛感し、深く反省する」と表したのが最初である。3に関しては、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」とした村山談話が最初である。全ての条件を満たす、公式の謝罪声明は、日朝平壌宣言、日韓共同宣言、村山談話の3つである。4については未だに実現されていないため、これらの勢力は日本の謝罪を十分であるとは結局のところ認めていない。たとえば中国の指導者であった江沢民文選によると、1998年8月「(日本に対しては)歴史問題を始終強調し、永遠に話していかなくてはならない」と外国に駐在する大使など外交当局者を集めた会議で指示を出していたとされる。
条件のいずれかが欠ける場合には充分な謝罪ではないと批判されることがある。例えば、昭和天皇の1984年の全斗煥大統領歓迎の宮中晩餐会におけるおことばにある「不幸な過去」「遺憾」などの表現は、日本の謝罪が未だ不充分であることの例として、中韓北だけでなく欧米のメディアでも取り上げられたことがあった(もちろん自国が過去の植民地に謝罪したことがないことも鑑みた論調の欧米メディアもある)。
1998年の日中共同宣言において、日本政府は1972年の日中共同声明を踏襲し「責任を痛感し、深く反省する」という同じ表現を繰り返した。中国側は、同1998年に先に結ばれた日韓共同宣言が「お詫び」という表現を率直に使用していたことから同様の「謝罪」を期待していたところ、1972年の「反省」が繰り返されたために、これを批判した(英BBC, "Japan refuses China clear-cut apology")。なお、小渕首相は会談においては口頭で「お詫び」を言っている。
2005年のアジア・アフリカ首脳会議におけるスピーチで小泉首相は村山談話を踏襲する形で「謝罪」を発したが、人民日報など中国の主要メディアはこれが「謝罪」ではなくより「軽い」表現である「お詫び」(中国語の「歉意」に翻訳される)という表現を使用していることから、批判した(SERCHINA中国情報局、「おわびは謝罪ではない」、小泉首相演説を否定か)。なお、日本の外務省および欧米の主要メディアは一般に「お詫び」を「apology」等に翻訳して、充分な「謝罪」表現として認識している。
また、謝罪発言と同時に、1970年に西ドイツの首相ヴィリー・ブラントがワルシャワのゲットー反乱犠牲者の記念碑の前で跪いたようなジェスチャーを求める意見もある。
[編集] 誰が如何なる権限において謝罪したのか
最も厳密な意味での日本を糾弾する人々の言う「公式な謝罪」とは、一般に
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- 日本国政府または日本国を公式に代表する者が表したもの
- 発言者が私人としてでなく公式の権限において表したもの
に限られるという意見である。1に関しては、首相、大臣、内閣、国会、天皇以外の者、例えば左派政党の一国会議員が謝罪しただけでは、「日本国の謝罪」としては認められないとする意見。2に関しては、直前の不戦決議を巡る騒動から、村山談話を単なる村山首相個人の私人としての発言でしかないとする批判が見受けられる(英BBC, "Hopes for Japanese war compensation")。また、日本国政府を代表する公人が公式の権限において発言する場合でも、記者会見や首脳会談などよりも外交文書や閣議決定、国会決議などにおいて謝罪する方が評価は高くなるとする意見である。
謝罪が表明されている外交文書には日朝平壌宣言と日韓共同宣言がある。閣議決定として謝罪が表明されたものには村山談話がある。国会決議として表明されたものには不戦決議があるが、これは後節で述べるように「謝罪」の表現を欠くものとなっているとしている。
[編集] 誰に対して謝罪したのか
誰に対して謝罪したのかも日本の戦争謝罪において暫し問題とされる点のひとつである。中国、韓国、北朝鮮の三国は、特に自国に向けて表された謝罪を日本政府に求めてきた。日本がこれまでに以下の国々に対して「謝罪」を表明してきたのは:
などの国々である。
中華人民共和国に対しては謝罪に準じる声明が日中共同声明にある。これはしかし上述のように「謝罪」という言葉を使用していない。そのためかどうかは不明だが、中華人民共和国側としては未だ公式な謝罪が無いという認識である。例えば朱鎔基首相は日本の戦争謝罪に関し以下のようなコメントを残している:
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- 日本は全ての正式な文書の中で、中国の人たちに謝罪したことはありません。もちろん95年の村山元首相が、非常に概括的にアジアの人たちに謝罪をしました。しかし正式な文書の中では、中国の人たちに謝罪をはっきりとしたことはありません(筑紫哲也スペシャル:中国の朱鎔基首相があなたと直接対話 2000年10月14日TBS放映)。
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- 村山元首相は日本政府を代表して、初めて侵略戦争を公式に認め、関係国の被害者に謝罪した首相であり、我々はこれを高く評価している(人民日報海外版 2000年9月19日1面)。
まず(1)村山談話は公式の謝罪表明として認められている。しかし(2)村山談話は特に中国だけに向けて発せられたものではない。その限りにおいてこれは直接の「中国だけへの謝罪」ではないとは言える。しかし、中国も「アジア諸国」に含まれる以上は、中国に対しても謝罪していることになり、既に中国にも謝罪したと見るのが常識である。なお、中国・韓国・北朝鮮以外のアジア諸国に対しても日本は個別には謝罪をあらわしていない。更に(3)村山談話における「お詫び」は、橋本龍太郎首相が1997年に「新たな対中外交を目指して」と題するスピーチにおいて、特に中国に向けて、繰り返している。しかしこれは閣議決定に基づくオリジナルの談話ほど「公式」なものではないとする。
なお、上述の朱鎔基の発言に関して、日本側としては外務省事務次官が以下のように述べている:
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- (問)朱鎔基総理が、TBSの座談会において、「文書による謝罪がまだない」という趣旨のことを言っていたが、これについてはどうお考えか。
- (事務次官)わが国から申し上げると、ひとつの原点が1995年の内閣総理談話というものがあって、これでわが国政府の正式な立場を表したものであるが、その中で過去の一時期に植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことに対し、当然中国をも大きく念頭に置いていたわけであり、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」としている。3年後の98年に江沢民国家主席の訪日の際にも、首脳会談の中で、小渕総理(当時)より、今申し上げた95年の内閣総理談話において痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明したことを説明し、「日本政府は改めてこの反省とお詫びを中国に対しても表明する」と明確に伝えている。従って、改めて文書どうこうという話ではないであろうと思う(事務次官会見記録 平成12年10月)。
[編集] 何について謝罪したのか
日本が何について謝罪したのかも暫し革新勢力が物議を醸すネタとなっている。これまでに日本は以下の事柄について「謝罪」表明してきている:
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- 植民地支配と侵略:村山談話
- 植民地支配:日韓共同宣言、日朝平壌宣言
- 中国への侵略:日中共同宣言
- 欧米人の捕虜、民間人の収容:2000年2月の日蘭首脳会談(上述)、1998年の日英首脳会談。[4]
- 従軍慰安婦:村山富市首相「平和友好交流計画」に関する談話(1994)他:「いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います」[5]
- 創氏改名:橋本龍太郎首相が1996年の日韓共同記者会見において「おわびと反省の言葉」を表している。[6]
- 南京大虐殺:2000年に河野外相が政府見解として「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」と述べているが、謝罪あるいは反省、遺憾の念は表明されていない。[7]
[編集] それらの謝罪声明は現在も有効なのか
謝罪声明自体は実際になされていても、首相の失言(例:森喜朗首相の神の国発言)や首相、大臣の靖国神社参拝、歴史教科書検定などの問題から、「謝罪も実は口だけで本心では反省していない」と日本の革新勢力や中韓朝から評価され、当該謝罪が無効であると評価されることがある。
村山談話は、先行する不戦決議において「謝罪」の表現を含む当初の草案が国会で却下されたことを理由に、これを単なる首相個人の私人としての謝罪であると認識され批判されることがある。2005年3月には、韓国の盧武鉉大統領が大統領官邸ホームページで島根県の「竹島の日」制定や新しい歴史教科書問題についてふれ、「日本がこれまでやってきた反省と謝罪をすべて白紙化するものだ」と評じた。
これに対して、失言はあくまで失言であり本心ではなく、それ以前の謝罪声明が虚偽であることの証明にはならない、あるいは、靖国神社参拝や教科書検定などの問題は同時期の戦争に関連した別の問題であって、そのことがそれ以前の謝罪の虚偽性を証明するものではない、として、これらの事由に関わらず現在もなお全ての謝罪声明が有効であるとする立場も、日本の保守勢力を中心に根強く存在する。