救済
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救済(きゅうさい)とは、宗教的な概念と法的な概念の二つにまたがる。どちらも、ある対象にとって、好ましくない状態を改善し、望ましい状態へと変えることを意味する。
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[編集] 宗教での救済
他方、宗教的な救済は、現世における悲惨な状態の改善が宗教に帰依することで解消または改善されることも意味する。とりわけ「救済宗教」で通常「救済」という場合は、現世の存在のありようそのものが、生及び死を越えた存在領域にあって、何らかの形で決定的に改善されることを表すのが一般である。
[編集] キリスト教における救済
キリスト教神学においては特に「救済論」(soteriology)の中心概念である。また様々な宗教で極めて重要な概念であり、救済を強調する宗教は、救済宗教とも呼ばれる。キリスト教は典型的な救済宗教で、キリスト教における救済とは、キリストの十字架による贖いの功績の基づいて与えられる恵みにより、信仰による罪の咎と束縛からの解放、そして死後にあって、超越的な存在世界にあって神の恩顧を得、永遠の命に与ることである。永遠のいのちは、時として、生物的ないのちとは種類を異にする、この世にあって持つことのできる霊的ないのちとも解釈できる。
また未来において世界が終末を迎えたとき、神が人々を裁くという最後の審判の観念もある。その時混乱の極みにある世界にイエスが救世主として復活し、王座に就くとされる。死者達は墓の中から起き上がり(火葬などしないのはこの時甦る体がないといけない為)、生者と共に裁きを受ける。信仰に忠実だった者は天国へ、犯した罪の重い者は地獄へ、また罪は犯したが償える可能性の残っている者は煉獄に送られる。世界はイエスが再臨する前に一度終わるが、この時人々は救済され、新しい世の始まる希望がある。(千年王国)
[編集] グノーシス主義における救済
グノーシス主義における救済とは、反宇宙的二元論の世界観より明らかなように、悪であり暗黒の偽の神が支配する「この世」を離れ、肉体の束縛を脱し、霊として、永遠の世界(プレーローマ)に帰還することを意味する。グノーシス主義では悪が肉体を形作るものの、善もまた人の体に光の欠片(魂)を埋めたという神話もある。信者は死ぬとき真の神なる父を自覚し、プレーローマへ帰ろうとするが、悪(アルコーン達)の妨げる重囲を突破しなければならない。この過程は全体から見れば、光の欠片の回収でもある。
[編集] 仏教における救済
仏教は元々、個々人の輪廻の鎖を断ち切り悟りを得ようとする営みから始まったものなのだが、大乗仏教が興ると自分のみならず他者(衆生)も救済しようという方向性が現れた。
また弥勒信仰もあり、これは56億7000万年後に降臨するとされるが、救世主願望の面が強い。事実平安時代には釈迦入滅後末法の世が到来するという不安に戦乱も重なり、終末の後の救済を求める人心を反映してか浄土教が浸透していった。
[編集] 法的な救済
法的には、何らかの被害を受けた個人などに対し、法の規定に従い個人の被害を回復したり支援することなどを意味する。
[編集] 関連項目
[編集] 文献
『グノーシスの神話』大貫隆 岩波書店 ISBN 400000445X
『終末論と世紀末を知るために』エンカルタ百科事典