徳島教育航空群
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徳島教育航空群(とくしまきょういくこうくうぐん、JMSDF Tokusima Air Training Group)とは、海上自衛隊の教育航空集団に属している教育航空群のひとつである。司令部は徳島航空基地(徳島県板野郡松茂町)に所在しており、主に計器飛行による操縦技術を操縦学生に修得させるための教育訓練を行っている。また、徳島空港の運用実務も担当している。
目次 |
[編集] 概要
現在の体制になるまでに所属する上部組織が2回変わっており、その度に部隊名称と任務も変わっている。現在は小月教育航空群第201教育航空隊で固定翼基礎課程後期を修業し、固定翼・回転翼操縦士要員となった飛行幹部候補生に対して、計器飛行課程の教育訓練を行っている。
計器飛行課程は約6ヶ月(固定翼)、約3.5ヶ月(回転翼)である。この課程を終えると、固定翼の場合は国家試験(固定翼事業用操縦士)を受験し、合格後に下総教育航空群の実用機課程に進む。回転翼の場合は、鹿屋航空基地の第211教育航空隊で行われる固定翼基礎課程に進む。
国土地理院から地図を作成するための航空測量業務を委託されており、第202教育航空隊では国土地理院所属の専用機にて実施している。これは専用機と同じタイプの航空機を多数運用しているという実績があり、整備面や操縦士の確保に事欠かない為である。また、陸上自衛隊中央地理隊からも航空測量を委託されている。
[編集] 沿革
- 1958年(昭和33年)3月16日 - 呉地方隊隷下の「徳島航空隊」として新編。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 鹿屋航空隊第6飛行隊を隷下に編入して第21飛行隊と改称。
- 1958年(昭和33年)9月16日 - 第21飛行隊が解散。第11・第12飛行隊を編成。
- 1960年(昭和35年)1月16日 - 第14飛行隊を編成。
- 1961年(昭和36年)9月1日 - 航空集団の隷下に編入され、徳島航空隊から「第3航空群」と改称。隷下の第11・第12飛行隊は第11・第12航空隊と改称。なお、第14飛行隊は航空教育集団の隷下に編入され、第204教育航空隊と改称。
- 1963年(昭和38年)3月31日 - 第14航空隊を編成。
- 1963年(昭和38年)5月6日 - 第14航空隊が下総航空基地に移駐し、第4航空群の隷下に編入。
- 1973年(昭和48年)3月1日 - 教育航空集団の隷下に編入され、第3航空群から「徳島教育航空群」に改編。第11航空隊が鹿屋航空基地に移駐し、第1航空群の隷下に編入。第12航空隊が解散。宇都宮の宇都宮教育航空群第202教育航空隊が徳島航空基地に移駐し、これを隷下に編入(宇都宮教育航空群は解散)。
- 2008年(平成20年)3月26日 - 徳島救難飛行隊が第22航空群第72航空隊に編成替えし徳島航空分遣隊に改編。
[編集] 部隊編制
[編集] 司令部
- 教育航空群司令(1等海佐)
- 首席幕僚
- 幕僚
- 副官
- 首席幕僚
[編集] 群司令
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | |
---|---|---|---|---|---|---|
第3航空群司令(航空集団隷下) | ||||||
高橋定 | - 1965.12.15 | 海兵61期 | 教育航空集団司令 | |||
徳島教育航空群司令(教育航空集団隷下) | ||||||
大草隆雄 | 退職 | |||||
平尾祐助 | 1999.7.1 - 2001.1.10 | 防大13期 | 防衛研究所教育部長 | 第5航空群司令 | ||
平田昭文 | 2002.8.1 - 2004.4.1 | 教育航空集団司令部幕僚長 | 退職 |
|||
有働賢三 | - 2005.8.1 | 退職・海将補 | ||||
村上浩一 | 2005.8.1 - 2006.12.19 | 厚木航空基地隊司令 | 東京業務隊付 →2007.2.10退職 |
|||
角田伸吾 | 2006.12.20 -2008.3.31 | 防大19期 | 海上幕僚監部首席法務官 | |||
山本克彦 | 2008.4.1- | 統合幕僚学校総務課企画室長 |