御池通
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御池通(おいけどおり)は京都市の主要な東西の通りの一つ。
京都市の中心に位置する中京区の中央部を横断し、川端通 - 堀川通間は京都市内で最も通りの幅が広く、地下鉄の東西線が走っている。
平安京の三条坊門小路にあたる。東は川端通から西は太秦の天神川通までの4.9kmであるが、途中二条駅で分断されている。神泉苑の傍を通るため、この名前になったというが、江戸時代初期の1665年(寛文5年)発行の地誌「京雀」には「【三条坊門通】この筋を東にては八幡町通と云、…、西にては御池通と云、此筋室町に御池町あり、むかし鴨居殿とて御所あり、鴨の下居池の井ありける跡也とかや」とある。
今も烏丸御池付近には「御池之町」「龍池町」「二条殿町」の地名が残る。池も含めて二条殿の地は、二条関白家の邸跡で、織田信長の「二条新御所(二条城)」の故地でもある。「御池通神泉苑起源説」は近来興った説で、「二条殿御池起源説」に従うべきだろう。室町通御池上ルには「二条殿御池跡」の碑も現存する。
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[編集] 川端通 - 堀川通
東端の区間である川端通から堀川通の間は、第二次世界大戦時に沿道にあった家屋を防火帯として強制疎開させた跡なので、8車線の広い通りとなっている。かつて当該区間には側道があり、中央分離帯及び側道分離帯には1953年以降に植樹され大きく成長した212本のケヤキの街路樹もあったが、地下鉄東西線建設工事を控えて1990 - 1991年に撤去され、梅小路公園へ移植された。
現在では、道路照明灯、信号機、南北方向の交差道路の標柱などのデザインが統一されている。このデザインはGK Kyotoが担当した。分離帯を撤去して車道を中央に寄せたことで、歩道が拡幅された。歩道の車道寄りには新たにケヤキ223本が植え直されたが、以前の立派な街路樹とは比べるべくもなく、成長するには20年以上かかる。市役所前には地下街や市営地下駐車場が整備されている。
祇園祭の山鉾巡行の経路の一部となっているほか、各種のイベントでは交通規制してパレードなども行われる。
地下鉄東西線の京都市役所前/烏丸御池/二条城前の3つの駅がある。
[編集] 交差する道路
- 上側が東側、下側が西側。左側が北側、右側が南側。
- 交差する道路の特記がないものは市道。
交差する道路 | 交差する場所 | ||
---|---|---|---|
<川端通り> | 左京区 | 川端御池 | |
府道32号下鴨京都停車場線<河原町通り> | 中京区 | 河原町御池 | |
国道367号<烏丸通り> | 烏丸御池 | ||
府道38号京都広河原美山線<堀川通り> | 堀川御池 | ||
<御池通り>二条駅方面 |
[編集] 交通量
2005年度(平成17年度道路交通センサスより)
平日24時間交通量(台)
- 中京区御池通高倉東入ル亀甲屋町: 40,143
[編集] 堀川通 - 二条駅東口間
狭くなり2車線である。迂回路としてすぐ北側に並行する押小路通が4車線の広い通りになっており、地下鉄東西線もこの区間では北に逸れて押小路通の地下を通っている。
[編集] 二条駅西口 - 三条通間
もとは狭い通りで二条駅により東側部分と分断されていた。山陰本線高架化と、二条駅再開発に伴い拡幅工事が進んで4車線になり、押小路通と接続された。
地下では地下鉄東西線の延伸工事がなされ2008年1月16日に太秦天神川駅まで開業した。途中、西大路通との交差地点に西大路御池駅も設置された。同時に地上部分の舗装も進み、御池通も天神川通を越えて太秦天神川駅前ターミナル、さらに西の三条通へと交差する形となった。三条通と御池通は旧市街地内では平行して走る東西の道路であるが、三条通が西大路通以西でやや北西に傾くため交差することとなる。御池通と三条通の交差点名は、交差点の命名に関する慣習に従い「三条御池」と名付けられた。
[編集] 沿道の主な施設
- 御池大橋
- 京都ホテルオークラ 河原町通角
- 京都市役所 河原町通角(住所は寺町通上ル)
- ゼスト御池(地下街)河原町から寺町
- 京都市立京都御池中学校
- 二条城 堀川通押小路上ル。御池通には面していない。
- 王国会館 大宮通西入
- 神泉苑 大宮通から神泉苑通
- 島津製作所三条工場
- 山ノ内浄水場 葛野大路通から天神川通
[編集] 鉄道駅
[編集] 関連項目
京都市内の東西の通り | ||
---|---|---|
西は 三条通(太秦天神川駅西詰) まで |
北隣の通り:押小路通 | 東は 川端通 まで |
御池通 | ||
南隣の通り:姉小路通 |