建昌城
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建昌城(たてまさじょう、けんしょうじょう)は、鹿児島県姶良郡姶良町に存在していた城である。瓜生野城(うりうのじょう)とも呼ばれる。
[編集] 歴史
享徳年間(1452年 - 1454年)に島津氏第9代島津忠国の弟、島津季久が、平安城の平山氏第9代平山武豊を討って帖佐郷を領有した。その後、別府川対岸に瓜生野城を築いて居城とした。1486年(文明18年)にその長男島津忠廉が飫肥城に移るまで、この城は豊州島津氏の居城であった。
建昌城の名前は、島津義弘の時代に明の頴川三官が、中国の建昌城に似ていると言ったことから付いている。訓読みしてたてまさじょうと読むことが多いが、けんしょうじょうと振り仮名をしてある文献もある。
関ヶ原の戦いに敗れた後、徳川氏に対抗するために一時建昌城の防備が強化されるという時期もあった。
江戸時代には、鹿児島城に代わり薩摩藩の本城にする計画もあったが、幕府の許可がでずに実施されなかった。
現在は郭や堀の痕跡が残っている。
[編集] 参考文献
- 姶良町郷土誌改定編さん委員会「姶良町郷土誌」平成7年10月増補改訂版 1995年