広園寺
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広園寺 | |
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境内 |
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所在地 | 東京都八王子市山田町1577 |
位置 | 北緯35度38分48.35秒 東経139度19分0.53秒 |
山号 | 兜卒山(そとつざん) |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
本尊 | 弥勒菩薩 |
創建年 | 伝・康応元年(1389年) |
開基 | 大江備中守師親、峻翁令山(開山) |
正式名 | 兜卒山 伝法院 広園禅寺 |
札所等 | 多摩八十八箇所番外札所 |
文化財 | 総門・山門・仏殿・鐘楼(都文化財) 境内(都史跡) |
広園寺(こうおんじ)は東京都八王子市にある臨済宗南禅寺派の寺院である。 正式名称は兜卒山伝法院(とそつざんでんぽういん)。東京都の指定史跡に指定されている。
目次 |
[編集] 起源と歴史
康応元年(1389年)8月、片倉城主大江備中守師親が峻翁令山を招聘して創建したとされる(『新編武蔵風土記稿』)。一説には、大江広元の後裔である長井氏の創建とも言われる。長井氏の居館跡であるとも、砦として利用されていたのではとも推測されている。
寺域は十数万坪あったとされ、塔頭10ヵ寺が配置されていたが,天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めに際して八王子城落城と共に焼失したが、その翌年、徳川家康から15石の朱印状を得て再興した。
元禄10年(1697年)には、大火で江戸時代初期創建の山門を除き、全て焼失した。その後、総門・仏殿・鐘楼が再建された。
[編集] 建築物について
- 総門 - 天保元年(1830年)再建、桁行一間・梁間一間、一重で切妻造。
- 山門 - 三間一戸、二重門、入母屋造で、室町時代から伝わる寺額を掛けている。
- 仏殿 - 文化8年(1811年)再建、桁行三間・梁間三間、一重、寄棟造。
- 鐘楼 - 桁行一間、梁間一間、一重、宝形造で、応永4年(1397年)及び、応仁2年(1468年)の旧銘及び、慶安2年(1649年)の改鋳銘を持つ鐘がある。
これら南北一直線に並ぶ総門・山門・仏殿・鐘楼は東京都の有形文化財に指定されている。
[編集] 所在地
東京都八王子市山田1577