岡山県精神科医療センター
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岡山県精神科医療センター(おかやまけんせいしんかいりょう - )は、岡山県岡山市鹿田本町の県立精神病院。岡山市役所や岡山大学病院も近く、精神病院としては理想的な立地となっている。
旧岡山県立岡山病院(おかやまけんりつおかやまびょういん)。
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[編集] 概要
- 設置者 岡山県
- 病院長 中島豊爾(なかじま とよじ)
- 開設日 1957年(昭和32年)4月
- 所在地 岡山県岡山市鹿田本町3-16
- 病床数 216床(総合治療:[閉鎖]58床、[開放]42床、救急・急性期:50床、依存症:50床、児童思春期:16床)
- 職員数 156名(医師:13名、看護師:100名、医療技術者:15名、事務:10名、その他:18名)
- 指定 応急入院指定病院、精神科救急医療施設、精神科専門医研修指定病院、臨床研修指定病院
「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律 第2章 第6条」により、都道府県に設置を義務付けられた「精神保健福祉センター」として岡山県が設置。したがって、民間の精神病院や総合病院の精神科では対応が困難(事実上、不可能)な精神科救急にも対応する。また、県内の精神病院の空きベッド情報を集約しており、患者や家族の都合の良い病院を紹介できる。
独自の家族会、NPO法人ポプラの会がある。
[編集] 診療科
[編集] 沿革
[編集] 交通アクセス
- 6・7・10・14番のりばから、「精神科医療センター西」「水道局前」「岡山病院前」のいずれかで下車。
- 自家用車
- 大供交差点を南へ進み、水道局前交差点を青江方面へ300m。
[編集] 周辺
[編集] 都道府県立の精神病院
戦後、精神衛生法によって、都道府県に精神病院の設置が義務付けられたが、これには抜け穴があり、民間の精神病院に業務を委託することができた。このため、多くの都道府県が精神病院を設置しない状況が長く続いていた。それらの中にあって、岡山県の設置は比較的に早いと言える。
もちろん、戦前の日本でも、精神病院がなかったわけではない。(当時は、癲狂院、脳病院と呼ばれた)しかし、精神病患者が出たことを周囲に知られることを嫌って、座敷牢に閉じ込めたり、宗教施設に収容したりする事案が後を絶たなかったため、中立な立場の信頼できる施設が要望されており、また、地域の精神病院の情報を集約する機関も望まれていたことから、それらの役割を持たせた都道府県立精神病院の整備が企画されたと思われる。 (当時の宗教施設へ収容することが必ずしも悪いわけではない。比較的軽度のうつ病であれば、環境を変えて生活するだけで病状が改善することも多い。しかし、重症のうつ病や統合失調症では改善が見られることは少ない)
日本で最初の公立精神病院であり、もっとも有名な精神病院でもある都立松沢病院は事情が異なる。設立のきっかけも、外国要人に精神病院の整備が出来ていないと指摘されて。当時の監督官庁であった内務省は、治安維持を狙って許可したとも思われる。 また、東大病院精神科教室が松沢病院内に作られ、その教授が院長を兼ねた時代もあった。(現在でも東大出身者は多い)
なお、欧米では、そもそもほとんどの精神病院が公立だが、日本ではほとんどが民間経営。しかし、向精神薬の開発が進み、多くの患者は入院する必要がなくなってきたことと、健康保険の制度が変り、長期入院は減額されるようになったため、民間の精神病院は特別養護老人ホームなどに移行しつつある。つまり、長期間の入院で利益を得ていたのである。実際、海外の精神病院では、長くとも2週間程度しか入院させないが、日本では、20年、30年と入院させている患者も珍しくない。