富山市民球場アルペンスタジアム
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富山市民球場 アルペンスタジアム Toyama Municipal Baseball Stadium ALPEN STADIUM |
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施設データ | |
所在地 | 富山県富山市下飯野30-1 |
開場 | 1992年 |
所有者 | 富山市 |
管理・運用者 | 富山市体育協会(指定管理者) |
グラウンド | 内外野:透水性砂入り人工芝 |
照明 | 照明塔 - 6基 照度 - 投捕間:2000Lx 内野:1500Lx 外野:1000Lx |
設計者 | |
使用チーム • 開催試合 | |
富山サンダーバーズ(2007年~) | |
収容能力 | |
30,003人 (内野:-席、外野:-席) | |
グラウンドデータ | |
球場規模 | グラウンド面積:14,200m² 両翼 - 99.1 m 中堅 - 122 m |
フェンス | 3.5m |
富山市民球場アルペンスタジアム(とやましみんきゅうじょう・-)は、富山県富山市にある野球場。施設は富山市が所有し、富山市体育協会が指定管理者として運営管理を行っている。
なお、愛称を含めた上記の名称が球場の正式名称となっている。
目次 |
[編集] 歴史
富山市内には、市内中心部西側の富山大学隣接地に県営富山野球場(1950年完成、現在も存続)があり、高校野球や社会人野球など各種アマチュア公式戦をはじめ、プロ野球公式戦も開催された。特に読売ジャイアンツ(巨人)の創始者で「プロ野球の父」と謳われる正力松太郎が同県出身である縁もあって、巨人が年間1カード、石川県立野球場との2連戦形式で北陸シリーズを開催するなど、プロ各球団が公式戦を開催してきた。しかし老朽化し、敷地が狭隘であるため大規模な増改築やナイター設備の追加設置が望めないことから、県内ではプロ野球を開催できる本格的な野球場の建設を求める声がかねてから上がっていた。
そこで市が市制100周年の記念事業のひとつに「市民球場の建設」を掲げて事業着手し、1992年7月1日に北陸地方では初の全面人工芝の野球場として完成。3万人を収容できるスタンドを有し、両翼99.1m、中堅122m、ナイター設備、磁気反転式スコアボード等の設備を持つ。愛称「アルペンスタジアム」は公募により決められ、建設時の仮称であった「富山市民球場」と組み合わせて正式名称として命名された。開場以来社会人野球、高校野球など各種アマチュア野球公式戦に幅広く使用されている。日本海側で3万人クラスの観客を収容できる野球場は、ここが唯一である。
またプロ野球公式戦も同年から開催されるようになった。1996年にはオールスターゲーム第3戦が開催された。また、2007年から北信越BCリーグの富山サンダーバーズがホームゲームの大半を行っている(本拠地ではない。同リーグの方針により、所属4球団は特定の本拠地球場を定めず、本拠とする県内を巡回してホームゲームを開催している)。
内野スタンドからは、晴れた日には立山連峰を望むことができる風光明媚なスタジアムである。内野スタンドの外周が回廊状になっている姿は、明治神宮野球場などによく似ている。スタンドは大きく分けて、鉄骨鉄筋コンクリート造のメインスタンド(内野)と、土盛りの外野スタンドの2つの構造物から成っている。このうち内野スタンドは変則的な造りになっており、一・三塁側両サイドの搬入口を境目に、ポール側の部分が外野スタンドの盛り土の部分に掛かっている。このため、この内野両サイドのポール側部分のスタンド下は回廊状にはなっていない。
完成当時は日本海側で随一の設備を誇る野球場と謳われた。メンテナンスを軽減するため砂入り人工芝を採用しているが、既に老朽化しメンテナンスが余り行き届いていないため、利用者の評判は芳しくない(プレーした選手からは「ボールが他の人工芝の球場より跳ねる」という指摘もある)。またバックスクリーン部全体が前方(フィールド側)にせり出しているため、外野スタンドの一部に死角が生じ、観客がスコアボードを見づらくなっている他、ネット裏の記者室・貴賓室などの壁面が白いため、夜間の試合時にこれら室内の照明を点灯した場合、投手や内野手からボールが見えづらくなる恐れがあるなど、設計上の問題点も多い。
プロ野球公式戦は毎年行われているが、上述のような設計上の問題点や設備の経年劣化もあって、ここ最近は選手・ファンの間でも評価が芳しくない。ここ数年はパ・リーグ主催の公式戦開催数が減少、近年は全く行われていない。また前述の通り富山県は正力松太郎の出身地であることから、かねてから県民の間では巨人主催公式戦の開催を待望する声が上がっているものの、開場翌年の1993年に1試合開催されたのを最後に、なかなか実現しなかった。しかし2008年、巨人の北陸シリーズが15年ぶりに復活することが決まり、アルペンでは8月7日に1試合開催される予定である。
[編集] 主なエピソード
- 巨人対ヤクルト、遺恨勃発
- 1993年6月8日の読売ジャイアンツ-ヤクルトスワローズ10回戦の初回表、古田敦也が巨人先発・宮本和知から死球を受けたのをきっかけに両チームが睨み合いとなった。更に適時打で本塁に還ってきた古田のスライディングを巡って、遂に乱闘に発展。ヤクルト側はジャック・ハウエル、巨人側は吉原孝介が退場処分となった。前回の同カードで大久保博元が死球を受けて骨折し、戦線を離脱したのが伏線で、同年のこのカードの遺恨を象徴する一幕だった。試合はヤクルトが本塁打攻勢で圧倒し、9-0で勝利した。
- デストラーデ、投手で登板
- 1995年5月9日のオリックス・ブルーウェーブ-西武ライオンズ戦、9-0でオリックスのワンサイドゲームとなった8回裏、西武・オレステス・デストラーデがファンサービスを兼ねて投手として登板。この回二死無走者からマウンドに上がったものの、三塁打と四球2つで満塁のピンチを招き降板した。
- 中村剛也、カメラマン席に倒れこみながら捕球
- 2005年7月27日の西武ライオンズ-千葉ロッテマリーンズ戦、西武2対0リードの2回裏無死1・2塁の場面で、打者であった当時ロッテのイ・スンヨプの打ったファールフライを捕りに行った西武の中村剛也が三塁側のカメラマン席に倒れこみながら捕球したものの、ボールデットで二塁に居たランナーが三塁に進んだ。なおこのプレーでJA全農Go・Go賞の7月度、好捕賞を獲得している。
[編集] 施設概要
- グラウンド面積:14,200m²
- 両翼:99.1m、中堅:122m
- 内外野:人工芝
- スコアボード:磁気反転式
- 照明設備:6基
- 収容人員:30,003人(内野:17,003人=椅子席、外野:13,000人=芝生席)
- 試合によりフェンス広告貼付あり
[編集] 交通
アルペンスタジアムは富山市北東側の郊外の、住宅と田畑が混在する地域にある。JRの最寄駅である東富山駅や、富山駅など市内中心部からスタジアム近くまで直行する定期バスの本数は少なく、駐車場も収容台数が少ないなど、交通の便はあまり良くない。尚、プロ野球公式戦等が開催される場合には富山駅から臨時の直通バスが運行される。
一方、富山県内の政財界関係者の一部には、北陸本線の富山~東富山間(富山貨物駅付近)から分岐し、アルペンスタジアム方面に直通する支線の新設を求める動きもある。
- 富山駅正面口4番のりばより富山地方鉄道バス
- 「直行・運転教育センター」「西町経由 運転教育センター・済生会病院」行で「運転教育センター」下車後徒歩約5分
- もしくは同バス「荒町・水橋経由 中滑川・滑川駅前」「荒町経由 水橋東部団地」行で「針原小学校前」下車後徒歩約15分
- プロ野球等開催時には富山駅正面口より臨時バスあり
- 富山駅地鉄ビル前のりばより富山地方鉄道バス
- 「県リハビリセンター」行で「下飯野」下車後徒歩約10分
- 本数こそ少ないが、JR最寄駅の東富山駅と球場付近を結ぶ唯一のバス路線である。
- 「県リハビリセンター」行で「下飯野」下車後徒歩約10分
- 東富山駅から徒歩約25分、またはタクシー約10分