室津
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室津(むろつ)は、兵庫県たつの市御津町に属し、播磨灘に面する港町・漁港(第2種漁港)。
藻振ノ鼻(室津半島先端部)と金ヶ崎(たつの市・相生市境)で囲まれた室津湾の、更に東側奥にあることから、「室の如く静かな津」ということで「室の泊」と呼ばれたのがその名の始まり、と伝えられる。『播磨国風土記』に、「コノ泊、風ヲ防グコト室ノゴトシ 故ニ因リテ名ヲナス」と紹介されている。
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[編集] 地理
- たつの市御津町主部から、国道250号の「七曲り」と呼ばれる屈曲した海岸線を抜けた半島部に位置する。国道250号は半島の付け根、室津市街の北外れをかすめ、大浦(たつの市)、鰯浜(相生市)の集落を経て相生市街へ至る。
- 市街は半島西岸奥の港を中心に立地。半島東岸は切り立った断崖である。
- たつの市御津町内では綾部山梅林と並ぶ梅の名所。
- 沖合いに、地・中・沖の唐荷島が浮かぶ。
[編集] 歴史
- 約2000年前、神武天皇の東征先導役が室津に港を建設したといわれる。
- 奈良時代には行基によって「摂播五泊」([1]参照)の一つとされ、中世は山陽道の遊女町として「室津千軒」の繁栄を誇った。
- 江戸時代に至ると、西国大名の参勤交代や来日した朝鮮通信使の中継点としての繁栄を見た。6軒の本陣があったが現存していない。旧家は改築された民俗館、海駅館などが残る。明治に入ると、鉄道・道路が内陸部に敷かれたため衰微。
- 1951年(昭和26年)4月1日、御津町と合併した。更に2005年10月1日には、平成の大合併の一環としてたつの市域に入った。
- 源俊頼の和歌に「浅ましや室津のうきとききしかど 沈みぬる身の泊りなりけり」(夫木抄)とある。
- 山部赤人の和歌に「玉藻刈る 辛荷の島に 島廻する 鵜にしもあれや 家思はざらむ」(万葉集)とある。
- 1997年 - 江戸時代築の廻船問屋「嶋屋」を改修して海駅館としてオープン
- お夏と清十郎の悲恋物語で知れる、清十郎の生誕地でもあり、近年まで清十郎の生家が現存していましたが、惜しくも取り壊されて、その跡地には記念碑があるのみ。
- 文豪 谷崎潤一郎が『乱菊物語』の舞台としてとり上げています。
- 「唐荷島」は、唐(中国)船が台風により室津沖で難破し、その積み荷が沢山流れ着いた島であることから名づけられたものと伝わっている。
[編集] 交通
[編集] 鉄道・バス
[編集] 道路
半島部は道路狭し。