坂中英徳
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坂中 英徳(さかなか ひでのり、1945年 - )は、日本の元・法務官僚。外国人政策研究所所長。 [1]
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[編集] 経歴
- 1945年 日本領朝鮮の清州市生まれ
- 1970年 慶應義塾大学大学院法学研究科修士課程修了
- 同年 法務省入省
- 1975年 入国管理局論文募集で「今後の出入国管理行政のあり方について」が優秀作となり、その後在日韓国・朝鮮人の法的地位の安定を唱えた「坂中論文」と呼ばれる政策提言を法制化し実現していく。
- 大阪入国管理局次長
- 1993年4月1日 法務省入国管理局参事官
- 1994年4月1日 法務省入国管理局審判課長
- 1995年4月1日 法務省入国管理局入国在留課長
- 1997年4月1日 仙台入国管理局長
- 1998年4月1日 福岡入国管理局長
- 2000年4月1日 名古屋入国管理局長
- 2002年4月1日 東京入国管理局長
- 2005年3月31日 依願退職
- 同年、代表として脱北帰国者支援機構を立ち上げる。
[編集] 人物
- 1970年、法務省に入省。参議院議員の丸山和也(弁護士)、名古屋経済大学大学院教授の荒木和夫(公認会計士)とともに入国管理局70年同期3人組のひとりである。
- 自民党「外国人材交流推進議員連盟」(会長=中川秀直・元幹事長)がまとめた「日本の総人口の10%(約1000万人)を移民が占める『多民族共生国家』を今後50年間で目指す」と明記した日本の移民政策に関する提言案のブレーンである。「『移民国家ニッポン』を目指して行動を開始する旨の宣言文」と自らブログ中において位置づける著書「移民国家ニッポン-1000万人の移民が日本を救う」 の中で、移民1000万人受け入れへの具体策を示し、少子化や労働力不足の対策として、日本は移民に広く門戸を開くべきとの意見を述べている。
- 北朝鮮帰国者運動については「これだけ多くの人たちが日本から北朝鮮向け出国した根本原因が、日本社会の朝鮮人差別にあったことは間違いありません。」と述べている(脱北帰国者支援機構 ホームページ)。
- 退職寸前の2005年2月、大手新聞に入国管理局への政治的圧力が日本の人身売買の温床になっていると告発した。興行ビザでの入国が事実上、外国人ホステスの調達手段となっており、こうした実態の原因には、政府による問題の放置と、興行界や代議士の圧力で入管行政が弱腰になったことがであると言及している。
- 在任中の2005年1月に国連難民高等弁務官事務所から難民と認定された外国人に対し退去強制を実施している。
[編集] 著書
- 『入管戦記』(講談社、2005年) ISBN 4062128527
- 『外国人に夢を与える社会を作る・縮小してゆく日本の外国人政策』(日本僑報社、2004年) ISBN 4931490891
- 『日本の外国人政策の構想』(日本加除出版、2001年) ISBN 481781229X
- 『国際人流の展開』(日本加除出版、1996年) ISBN 4817836393
- 『移民国家ニッポン-1000万人の移民が日本を救う」 (日本加除出版 2007年) 浅川晃広との共著。 ISBN 4817837861