土井利久
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
||||
時代 | 江戸時代前期 | |||
生誕 | 寛文6年(1666年) | |||
死没 | 延宝3年閏4月29日(1675年6月22日) | |||
別名 | 竹右衛門(幼名) | |||
墓所 | 東京都台東区谷中の感応寺 茨城県古河市大手町の正定寺 |
|||
戒名 | 光岳日登瑞本院 | |||
藩 | 下総古河藩主 | |||
氏族 | 土井氏 | |||
父母 | 父:土井利隆、母:円光院 養父:土井利重 |
|||
兄弟 | 土井利重、土井利益、土井利久 土井利珍 |
土井 利久(どい としひさ)は、下総古河藩の第4代藩主。土井家宗家4代。
寛文6年(1666年)、第2代藩主・土井利隆の三男として生まれる。延宝元年(1673年)、第3代藩主で兄の土井利重の死去により、その養子となって家督を継ぎ、第4代藩主となる。しかし延宝3年(1675年)閏4月29日に死去。享年10。
継嗣が無かったため、土井家は断絶の危機に立たされたが、祖父の土井利勝の功績などを江戸幕府より考慮されて、分家を継いでいた次兄・土井利益が7万石に所領を削減された上で家督を継いだ。
|
|
|