四条家
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四条家(四條家、しじょうけ)は、羽林家の家格を持つ公家。藤原北家魚名流。家業は、料理包丁道・笙。家紋は、田字草。江戸時代の家禄は180石。明治維新後、侯爵。いわゆる四条流庖丁道の家として知られる。分家に山科家、鷲尾家、西大路家、油小路家、櫛笥家がある。
藤原房前の子左大臣魚名を祖とする善勝寺流藤原氏の嫡流。魚名の13代後裔の隆季が平安時代末期に四条を名乗る。隆季の子隆房は鎌倉時代初頭に正二位、権大納言にまで至り、公卿家としての家格を確立した。南北朝時代には南朝の廷臣として活躍した隆資が出ている。
幕末、明治維新期の隆謌(たかうた)は、尊皇攘夷、倒幕派の公卿として国事に奔走し、三条実美らとともに七卿落ちの憂き目にもあったが、明治維新後、復権し陸軍に入り陸軍中将にまで累進した。明治17年7月7日侯爵に叙せられる。
隆謌の次の隆愛(たかちか)も陸軍に入り、騎兵少佐となる。隆愛の子、隆徳(たかのり)は昭和52年(1977年)に死去、現在も直系は健在でNHKでも特番が放送されていた。藤原氏一族で直系が健在なのは珍しく、毎年天皇誕生日前日の晩餐会に出席している。
分家の四条男爵家に四条流包丁道を受け継いでいる女子がいる。
現在、直系長男は第42代四條隆和(たかかず)昭和52年、1977年 生まれ。