周防大島
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周防大島(屋代島) | |
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座標 | 北緯33度55分 東経132度16分 |
面積 | 128.31km² |
海岸線長 | 約160km |
最高標高 | 691m |
所在海域 | 瀬戸内海 |
所属国・地域 | 日本(山口県) |
周防大島(すおうおおしま)は、山口県大島郡周防大島町に属する島である。人口約23,000人(2004年10月現在)。古くから瀬戸内海海上交通の要衝とされ万葉集にも大島を詠んだ歌が見える。日本で最も高齢化率が高い島でもある。屋代島(やしろじま)とも呼ばれるが、周防国の大島であったことから周辺の小島を含めて周防大島と呼ばれることが多い。民俗学者の宮本常一の出身地でもある。
目次 |
[編集] 地理
本州沖約2kmの瀬戸内海上にある。瀬戸内海では淡路島、小豆島に次ぎ3番目に大きい島である。本州との間の大島瀬戸は潮流が速く、古くは船の難所とされていたが、現在は好漁場として釣り人のメッカとなっている。島内は海岸沿いまで山が迫り、平地は屋代・小松地区や安下庄地区などわずかしかない。島内最高峰は嘉納山(かのうさん)だが、最も山姿が美しいのは嵩山(だけさん;619m)で大島富士とも呼ばれている。晴れた日には島東部から四国の石鎚山まで望むことができる。瀬戸内海の豊富な魚介類やみかんの産地として名高い。また四方を海に囲まれるため、気候は温暖で平均気温は15℃を超える。
[編集] 歴史
縄文時代・弥生時代の遺跡により、当時から周防大島に人間活動のあったことがわかっている。『日本書紀』ではイザナミが生んだ大八島の一つ、7番目に生まれた島とされ、『古事記』にも同様の記述があり、古代の主要交通路だった瀬戸内海の要所だったことの表れと考えられている。このほか『国造本紀』に大島国造が見える。平城宮の長屋王邸跡から大島郡の物産であることを示す木簡が多く出土しており、長屋王の封戸が大島郡内に設定された可能性が指摘されている。
鎌倉時代初期までに屋代荘・安下荘・島末荘の3荘園が成立し、これらの地頭職として大江広元が任ぜられた。治承・寿永の内乱に際しては、島末荘に平知盛が城塞を構築したとする記録が残されている。室町時代には周辺海域に海賊が現れ、宇賀島衆と三島衆(村上一族)などの争いが繰り広げられた。厳島合戦以後、大島は村上氏と深いつながりを持つようになり、村上武吉の墓が内入の元正寺に置かれている。
[編集] 産業
漁業、農業(果樹、特にみかん)、観光が産業の中心である。(観光については以下の観光を参照。)年間約63万人が訪れる。
[編集] 交通
島内の主要交通路は、島の北側海岸線に沿って東端の伊保田から本州への大島大橋までを結ぶ国道437号である。このほか主要地方道の山口県道4号大島環状線と一般県道の山口県道60号橘東和線、山口県道103号大島橘線、山口県道108号地家室白木港線、山口県道351号油田港線、山口県道362号白木漁港佐連線が島内を通っている。
本州の柳井市とは大畠瀬戸をまたぐ大島大橋(国道437号)により結ばれている。最寄りのJR駅は本州側の大畠駅(柳井市)。
大島には久賀港、安下庄港、小松港、伊保田港、白木港、沖浦港の4箇所の地方港湾がある。うち白木・沖浦両港の港湾管理者は周防大島町であり、残りは山口県が港湾管理者である。周防大島 松山フェリーが大島東端の伊保田港と柳井港(柳井市)及び三津浜港(松山市)とを結んでいる。このほか、小松港・久賀港・伊保田港から周辺離島への町営渡船が運航している。
かつて大島大橋が開通する1976年7月4日までは、本州の大畠駅近くにある大畠港と大島の小松港との間を国鉄鉄道連絡船の大島連絡船が所要13分で運行していた。さらに柳井港駅近くにある柳井港から同島の開作港まで防予汽船の連絡船が運行していたほか、通津港(岩国市)から同島の久賀港まで防予汽船の運営する連絡船も存在していた。
[編集] 観光
温暖な気候から、「サザンセト」の名称のもとリゾート化が進められている。
- みかん狩り(島全域)
- 海水浴(島全域)
- 片添ケ浜海浜公園
- 地引き網体験(片添ヶ浜など)
- 屋代ダム(屋代地区)
- 橘ウィンドパーク(パラグライダー施設、安下庄地区)
- 五条千本桜
- 陸奥記念館(戦艦陸奥の記念館、伊保田地区)
[編集] 郷土料理
- 魚介料理(大畠瀬戸、情島、沖家室の鯛料理、生ウニ)
- 茶粥(番茶を煮出した粥。蒸かしたサツマイモなどを入れる)
- サツマ汁(ほぐした魚の身とダシ・味噌をトッピングしたご飯)
- じんだ(ネギ味噌にメバルの身を加えすり潰し、お茶漬けとして食べる)
- みかん鍋(みかんを鍋に入れた新名物の郷土料理)
[編集] 伝説
「虚空太鼓(こくうだいこ)」といって、毎年6月頃にどこからともなく太鼓のような音が聞こえてくるという怪異が伝わっている。これは、かつて芸人一座を乗せた船が時化に遭い、太鼓を鳴らして助けを呼びつつ海に没したことがあり、以来その季節になるとその太鼓の音が海から鳴り出すのだといわれている[1]。