友ヶ島
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友ヶ島(ともがしま)は、和歌山県和歌山市加太に属し、紀淡海峡(友ヶ島水道)に浮かぶ無人島群。瀬戸内海国立公園の一部。
世界測地系 | 北緯34度17分14.72秒東経135度01分36.79秒 | ||
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日本測地系 | 北緯度分.秒東経度分秒 |
地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の総称であって、「友ヶ島」という島がある訳ではない。
目次 |
[編集] 地理
- 大阪湾と紀伊水道を分ける紀淡海峡を塞ぐ形で立地し、東は紀伊半島、西は淡路島と対する。
- 紀淡海峡は地ノ島と沖ノ島により、「淡路島 - 『由良瀬戸』 - 沖ノ島 - 『中ノ瀬戸』 - 地ノ島 - 『加太ノ瀬戸』 - 紀伊半島」と三分されている。中でも由良瀬戸は、重要航路がひしめく要所。
- 虎島は、沖ノ島北東部に連なる陸繋島である。
- 地ノ島東端と沖ノ島西端に灯台がある。友ヶ島灯台(沖ノ島)も参照。
- 航空保安無線施設の友VOR/DME(TME 116.4Mhz)が沖ノ島の山の頂上にある。
[編集] 歴史
- 対岸加太にある淡嶋神社は、神島が発祥の地とされる。詳しくは淡嶋神社の由緒を参照。
- 戦前は旧日本軍の戦略上の要地であったため、要塞地帯として一般人は立入禁止となっていた。現在も沖ノ島に砲台等の軍事施設跡が残る。詳しくは由良要塞を参照。
- 戦後、瀬戸内海国立公園に指定されてから南海電鉄グループにより観光開発が行われた。系列の南汽観光により加太港 - 沖ノ島間の航路が開設され、キャンプ場やバンガロー村として夏場は賑わっていたが、2000年頃には観光客数が最盛期の1/5まで減少したため、南海電鉄はリストラの一環として2002年3月末に全ての友ヶ島観光事業から撤退した。ただ、今でも島内の何箇所かで電灯柱にて「南海」の表記が見られ、看板などにも南海電鉄の文字が見受けられ、その面で以前に南海が事業していたことを物語っている。
- 南海電鉄の撤退後、航路を友ヶ島汽船が引き継ぐが、これも2006年12月17日をもって廃業となった。現在は加太漁業協同組合による運航となり、人員や船などをほぼそのまま引き継いだ上で会社名は「友ヶ島汽船(株)」となった(廃業前は「(有)友ヶ島汽船」)。
- 以前は、島内を自家発電で賄っていた(第3砲台にあった発電所を保守しながら使用していた)。しかし、関西国際空港開港で飛行機の運航ルート上となって、航空機保安無線施設を友ヶ島の第3砲台・コウノ巣山展望台近くに建設。電力を自家発電では賄えないために保安無線施設用の電力が必要となって、対岸の加太地区淡島神社近くより海底を経由して南垂水までの電力ケーブルが開通。これにより、島内は安定した電力が供給できることとなった(自家発電設備は使用停止し、廃墟同然となった)。電話用ケーブルも電気とほぼ同ルートを海底経由で、友ヶ島内の必要設備に供給されている。
[編集] 将来
- 地ノ島、沖ノ島を横断する形で紀淡連絡道路が計画されている。もし実現した場合には、景観や自然環境に大きな影響が及ぶものと予測されるが、現時点では構想の域を出ておらず、実現の見通しは立っていない。
[編集] 交通
- 加太港から航路(加太漁業協同組合、沖ノ島まで約20分)
- 加太港へは南海加太線 加太駅下車、徒歩約800m。
- 加太駅から加太港までは、途中細い道を通るが、道なりに案内看板などは定期航路乗り場が見えるまで一切ない為、注意が必要(南汽観光時代は電柱に案内が設置されてあって、今よりはわかりやすかった)。