前相撲
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前相撲(まえずもう)とは大相撲において番付外の力士が取る相撲。
前相撲は、本場所の3日目(3月場所は2日目)から、序ノ口の取組の前に行われる。出場するのはその場所前の新弟子検査に合格した者と、序ノ口を陥落している者である。「出世披露」を行う順序を決めることを○番出世と呼び、出世の順番は先に2勝をした者からで、中日8日目までに2勝すれば一番出世となる。このように定められたのは1994年(平成6年)3月場所からで、それまでは3勝した者が一番出世とされていた。かつては、1勝も挙げられなければ出世は留め置かれていたが、現在は1勝もできなくても前相撲を取れば出世することができ翌場所の番付に序ノ口としてが四股名が載る。
出世した力士は、中日8日目の三段目の取組中に出世披露が行われる。入門者の多い場所(3月場所など)では、先に2勝を挙げた順に一番出世、二番出世、(三番出世)として5日目、9日目、(12日目)に披露される。
序ノ口の力士は、怪我等で全休(不戦敗含む)すると、番付外に落ちる。序ノ口に復帰するためには再び前相撲を取らなくてはならない。番付外に落ちた力士が出世することを再出世という。再出世の力士は、以前は出世披露されていたが、現在では行われていない。現・立浪親方の元小結・旭豊勝照は3度も出世披露を受けている。
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[編集] 制度の変遷
以前は、前相撲は〈飛びつき〉といって、仕切りなしに呼び上げられるとすぐに対戦する方式で、連勝して白星1つとして計算され、白星2つで本中(ほんちゅう)となり、本中で白星2つで新序出世という方式であった。すなわち、新序までには連勝を4回し、最低8勝することが必要となる。このため、番付に載るまで時間がかかるのは常識で、後の横綱東富士や関脇出羽錦は出世まで1年以上かかっている。また、番付に載らないまま廃業するものもいた。しかし、昭和46年に中学在学中の入門が禁止され、力士志願者が卒業時期の3月場所に集中するようになったため、1973年(昭和48年)から、3月場所は前相撲形式にするが、それ以外の場所では、番付外という形式で、きちんと取組を編成するようになった。このとき、前相撲も飛びつきの方法をやめて、仕切りをするようになった。その後、番付外の勝敗は正規のものになるのかという議論が生じたこともあって、1986年(昭和61年)から、すべての番付外の取組は前相撲としてあつかい、正規の記録には含めないこととした。
[編集] 新序出世披露
土俵を掃き清めた後、その日までに出世を決めた力士が、師匠や部屋・一門の関取の化粧廻しを身につけて土俵に上がり、場内アナウンスによって所属部屋、四股名、出身地が読み上げられる。全員のお披露目が終わると幕下格以下の行司1名が土俵に上がり、「これに控えおきます力士儀にござります(る)。只今までは番付外に取らせおきました(る)ところ、当場所日々成績優秀につき、本日より番付面に差し加えおきまする間、以後相変わらずご贔屓お引き立ての程、ひとえに願い上げ奉ります(る)。」と口上を述べる。新序力士たちは四方に礼をした後土俵を降り、協会の各部署を訪問し挨拶をして回る。
[編集] 出世力士手打式
千秋楽の表彰式終了後、「出世力士手打式」が行われる。出世披露を受けた力士はお神酒を振舞われ、若者頭、世話人らとともに三本締めを行う。このとき、若者頭を胴上げするのが恒例であるが、出世力士の数が少ないときは、胴上げはおこなわれない。
内館牧子によると、この儀式は初日前日の土俵祭に対応するもので、土俵祭によって神が宿り結界となった土俵を、この儀式によって結界を解き、ふつうの場所にもどす意味合いがあるという。また、現在では行司が胴上げされると書いている。この件に関して、33代木村庄之助は、『力士の世界』(文春新書、2008年)のなかで、以前は勝負審判が胴上げされていたが、行司に変更するという提案がされたとき、著者がしきたりを簡単に変えていいのかと反論したが、結局押し切られ、土俵祭に参加した行司の中で、いちばん格下の者が胴上げされるようになったと書いている。