前田利次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
||||
時代 | 江戸時代前期 | |||
生誕 | 元和3年4月29日(1617年6月2日) | |||
死没 | 延宝2年7月7日(1674年8月8日) | |||
別名 | 千勝丸(幼名) | |||
戒名 | 竜光院殿瑞巌良祥大居士 | |||
墓所 | 富山市長岡の長岡御廟 | |||
官位 | 従四位下、侍従、淡路守 | |||
藩 | 越中富山藩主 | |||
氏族 | 加賀前田氏 | |||
父母 | 父:前田利常、母:徳川秀忠の次女・珠姫 | |||
兄弟 | 前田光高、前田利次、前田利治、前田利明 | |||
妻 | 正室:鳥居忠政の娘・宗姫 継室:川鰭基秀の娘 側室:柴田氏の娘・八尾 |
|||
子 | 千勝丸、前田正甫、梅子(水野忠春正室) |
元和3年(1617年)4月29日、加賀藩主・前田利常の次男として金沢で生まれる。寛永8年(1631年)に元服し、従四位下、侍従に叙任された。寛永16年(1639年)6月20日、父の利常から10万石を分与されて、支藩である富山藩を立藩し、その初代藩主となる。
正保元年(1644年)に藩法である「小松御条目」を制定し、さらに新田開発、治水工事、家臣団の整理、城下町の建設、国境紛争の解決などを積極的に行なって藩政の基礎を固めた。延宝2年(1674年)7月7日、江戸城において発病し、死去した。享年58。
後を子の正甫が継いだ。
|
|
|