六郷政乗
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六郷 政乗(ろくごう まさのり、1567年(永禄10年)- 1634年5月25日(寛永11年4月28日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将(大名)。出羽国本荘藩の初代藩主。六郷道行の長男。正室は西田吉久の娘。子は六郷政勝(長男)、六郷政徳(次男)、六郷政直(三男)、六郷政秀(四男)。
1587年、出羽国横手城の小野寺義道の配下(仙北七人衆)に属し、秋田実季と戦った。1590年、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣したため、出羽国内にあった所領・4500石を安堵された。1592年、文禄の役では肥前国名護屋城に在陣した。
1600年の関ヶ原の戦いでは東軍に与し、西軍に与した小野寺氏を攻撃した。戦後の1602年、その功績により常陸国新治郡府中に1万石の所領を加増移封された。1614年からの大坂の陣にも参加し、戦功を挙げた。その功績により1623年、最上氏が改易された後を受けて、その旧領である出羽国本荘に2万石の所領を加増移封され、本荘藩の藩祖となった。
1634年4月28日、本荘にて没した。享年68。墓所は秋田県由利本荘市出戸町の永泉寺。家督は長男・政勝が継いだ。三男・政直は200俵を与えられて旗本に列し、四男・政秀の子孫は後に600石の旗本となっている。
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