倉橋家
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倉橋家(くらはしけ)は、安倍氏土御門庶流の堂上家、家格は、半家。
慶長17年(1612)、安倍晴明の末裔である陰陽頭(従三位・非参議)・土御門久脩の次男・泰吉が分家して「倉橋」を称したのにはじまる。
「倉橋」とは遠祖・安倍倉橋麻呂の名に因んだと言われている。
初代・民部卿・倉橋泰吉以降、代々陰陽道を業とし、江戸時代の石高は、150石であったが、10代当主の治部卿・倉橋泰聡で明治に至り華族に列し子爵に叙せられた。
家紋は、土御門家に倣い「蝶」、菩提寺は「真如堂」、居所は「堺町御門外」とした。
[編集] 歴代当主
- 倉橋泰吉 (1599 - 1670)
- 倉橋泰房 (1639 - 1673)
- 倉橋泰貞 (1668 - 1748)
- 倉橋泰章 (1687 - 1753)
- 倉橋泰孝 (1715 - 1749)
- 倉橋栄久 (1736 - 1751)
- 倉橋有儀 (1738 - 1784)
- 倉橋泰栄 (1758 - 1806)
- 倉橋泰行 (1779 - 1858)
- 倉橋泰聡 (1815 - 1881)