信南交通
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場
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略称 | 信南 |
本社所在地 | 長野県飯田市大通 |
設立 | 1945年(昭和20年) |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 乗合バス事業、観光貸切バス事業、ホテル・旅館向けコンピューターソフト開発、情報通信事業 |
代表者 | 代表取締役社長 中島 一夫 |
資本金 | 5037万円 |
従業員数 | 180名 |
信南交通(しんなんこうつう)は、長野県飯田市に本社のある南信地方のバス会社。
飯田市、下伊那郡で一般路線バスを運行しているが、主力は飯田市と東京・名古屋方面への高速バス運行である。なお、一般路線バスについては2010年3月をメドに全線撤退の方針を明らかにしている(信濃毎日新聞、2007年12月29日付記事)。現在のバス路線が地元自治体の経営で存続するのか、コミュニティバスやオンデマンド交通との組み合わせに再編されるのかは不鮮明で、今後の地元自治体との協議にゆだねられている。
目次 |
[編集] 沿革
- 1945年(昭和20年) 戦時統合に伴い、中南信地方(伊那地方・木曽地方)のバス業者(南信自動車、大平自動車、御嶽自動車、伊那自動車)を統合して成立。
- 1949年(昭和24年) 木曽地方を御嶽自動車商会(現・おんたけ交通)、上伊那地方を伊那自動車(現・伊那バス)にそれぞれ分離。
- 1950年(昭和25年) R19号、R153号経由の飯田~長野間定期バス(通称「みすず急行バス」)を伊那自動車(現・伊那バス)、松本電気鉄道、川中島自動車(現・川中島バス)と共同で運行開始(昭和53年まで)。
- 1952年(昭和27年) R153号足助、根羽経由の飯田~名古屋間定期バス(名飯線、通称「名飯急行バス」)を名鉄と共同で運行開始。なお、この路線は昭和13年に当時の名鉄自動車、尾三自動車(ともに現・名鉄バス)、南信自動車が運行を開始したものの、戦時中の燃料統制で運休に追い込まれ、この年に運行再開したものである。
- 1975年(昭和50年) 中央自動車道・恵那山トンネル開業に伴い、名飯線を名鉄と共同運行のまま高速道路経由に載せ替え中央道高速バス(当時は「中央道特急バス」)として、増便・値下げも行う。
- 1976年(昭和51年) 名鉄、伊那バスと共同で伊那~名古屋間に高速バス運行開始。
- 1984年(昭和59年) 飯田・伊那~新宿間に高速バス運行開始(中央高速バス)。
- 1985年(昭和60年) 前年まで赤字続きだったが、この年には単年度黒字を計上。
- 「高速バスに救われたバス会社」として、バス業界で大きく話題になる。
- 1988年(昭和63年) 飯田・伊那~松本・長野間に高速バス運行開始(みすずハイウェイバス)。上記「みすず急行バス」のリバイバル路線である。
- 1992年(平成4年) 飯田・伊那~横浜間に高速バス運行開始。
- 1993年(平成5年) 飯田・伊那~大阪間に高速バス運行開始。
- 1994年(平成6年) 飯田~大阪間の高速バス運行休止。
- 2系統の運行を維持するほどの需要がないため、伊那線に一本化。
- 1998年(平成10年) 飯田~中津川間に高速バス運行開始(いいなかライナー号)。利用者が少ない路線のうち飯田市内のみを走行する路線(久堅、千代、大休の各線)について、新設の「市内循環線」と併せ、飯田市が主体で運行する「市民バス」に移管(引き続き信南交通が運行を受託)。
- 2003年(平成15年) 飯田~中津川間の高速バスから撤退。駒場(阿智村)~根羽間、昼神温泉~清内路間廃止。前者は「飯伊西部コミュニティバス」に、後者は清内路村営バスに移管。
[編集] その他
- 1980年代前半までは赤字続きで、1983年に川中島自動車(現:川中島バス)が会社更生法適用を申請していることから、一部では信南交通も「倒産寸前」とまで言われてしまう状況だった(バス・ジャパン第4号にも「巨額の赤字」と書かれていた)。ところが、中央高速バス新宿線を運行開始した翌年度決算では単年度黒字を計上したことから、「高速バスに救われたバス事業者」の代表例として紹介されることも多い。
- かつては、「骨董品級」のバスが数多く存在していた。特に、日野自動車が昭和30~40年代に製造した「センターアンダーフロア」という珍しいエンジン配置のバスは、和田や早稲田の営業所に昭和60年代まで残っていた。そのうちの1台は、引退後に「日本バス友の会」で保存され、2006年、映画「フラガール」に登場した。
[編集] 車両
[編集] 運行バス路線
[編集] 高速バス関係
詳細は、各高速バス路線のリンク先を参照のこと。
- 飯田(信南バスセンター)~飯田駅前~伊賀良~駒場~馬篭~桃花台~名古屋(名鉄バスセンター)
- 飯田~飯田駅前~伊賀良~阿智~昼神温泉~園原~馬篭~多治見~桃花台~名古屋(名鉄バスセンター)
- 伊那バス箕輪営業所~伊那市~駒ヶ根市~上飯田~駒場~馬篭~中津川~桃花台~名古屋(名鉄バスセンター)
- 飯田・名古屋系統は、現在も急行バス時代から用いている「名飯線(めいはんせん)」が正式な路線名であり、各種統計ではこの名称を使用している。
- 飯田~飯田駅前~伊賀良~上飯田~中央道辰野~新宿駅西口(新宿高速バスターミナル)
- 駒ヶ根市~伊那市~中央道辰野~新宿駅西口
[編集] 一般乗合バス路線
従来は、飯田市街から郊外の各町村等を結ぶ幹線系統が主流であったが、マイカー利用増大に伴う利用者減により、相次いで路線が整理された。平成まで残った路線についても、一部はコミュニティーバス等に移管されている。2010年3月までには全て移管される予定である。
他方、高齢化社会の到来、商業地・医療施設の移動、通学高校生の利用者確保といった時代の要請もあり、近年はこれら施設等を経由する路線・系統の新設という形での路線再編も進行している。
- 本社(飯田)営業所担当系統(飯田市民バス・喬木村民バスを除く)
- 駒場・昼神温泉方面
- 飯田(信南バスセンター)~飯田駅前~切石~大瀬木~中村~山本~駒場(曽山入口)
- 平日朝(下り)・夕(上り)の一部は、阿智高校経由 山本~阿智高校~駒場(曽山入口)
- 飯田工業高校~飯田高校~飯田駅前~(駒場線と同経路)~駒場(曽山入口)
- 平日朝(上り)・夕(下り)の一部
- 飯田駅前~(駒場線と同経路)~駒場~(昼神)国民年金休暇センター
- 飯田駅前~鼎駅~市立病院~大瀬木~中村~山本~駒場(曽山入口)
- 飯田市街から切石、伊賀良、山本地区を経て阿智村の駒場へ至る、数少ない幹線系統のひとつ。かつては駒場から先、伍和方面、園原方面、根羽・名古屋方面、清内路・南木曽方面への系統もあったが、乗客減等の事情により廃止(一部はコミュニティーバス移管)された。市立病院経由は、アップルロード開通と飯田市立病院移転に対応する形で開設された。
- 近年は、高校生の通学時間帯に各高校へ延長または経由する系統が追加されている。阿智高経由の追加や高松(飯田高校)・座光寺(飯田工業高校)への延長はその例である。市立病院経由の系統も、沿線に飯田長姫高校や下伊那農業高校があることから、高校生の利用も少なからずある。
- 駒場方の終点は、「駒場」の先「曽山入口」である。同停留所の近くに折返し・滞泊施設(俗に「駒場車庫」とも呼ばれる)がある。
- 上市田方面(かみいちだ)
- 飯田駅前~*~上黒田~座光寺原~上市田橋~市田駅前~厚生連病院
- 伝馬町経由、城東・小伝馬橋経由、鼎・市立病院・小伝馬橋経由
- 飯田市街から県道飯島飯田線(旧国道153号線、俗に「上街道(うわかいどう)」とも呼ばれる。)を経由して上市田方面へ向かう路線。かつては高森町北部の新田(しんでん)までの路線であったが、利用者減により上市田まで短縮された。後に、旧天竜社市田工場(農協の製糸工場)跡地への病院(厚生連下伊那病院・JA系)設置に伴う同病院への延長、市立病院や高松病院を経由する系統の追加等があり、かなり複雑な系統体系となっている。
- 弁天橋・阿島方面
- 飯田駅前~市立病院~阿島~座光寺~ジャスコ前~飯田高校~飯田駅前(阿島橋循環)
- 飯田駅前~市立病院~阿島~田村~市田厚生連病院
- 喬木村・豊丘村方面への路線。河野線・市田循環線等が縮小され、他方で市立病院を経由するようになり、現在の系統体系となっている。
- 三日市場線
- 飯田駅前~一色~三日市場~運動公園~中村車庫
- 下中村地区に中村車庫を開設(旧・信南観光バス車庫を転用)したことに伴い、入出庫系統として運行を開始した。中村車庫までのほぼ全線で三穂線と重複する。
- 飯田駅前~一色~三日市場~運動公園~中村車庫
長姫高校線(おさひめこうこう)
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- 鼎駅前→下農入口→長姫高校前
- 平日朝のみ運行。
- 鼎駅前→下農入口→長姫高校前
- 早稲田(阿南)営業所担当系統
- 阿南線
- 新野・売木線(にいの・うるき)
- 温田駅前~早稲田(車庫前)~巾川~新野支所前~売木~こまどりの湯
- 和合線
- 温田駅前~早稲田(車庫前)~巾川~和合
- 和田(遠山)営業所担当系統
平成に入り、旧南信濃村・旧上村からの受託運行となった。後に両村が飯田市に合併され、事実上「市民バス」に近い位置づけとなっている。
- 和田線
- 和田~満島~平岡駅前
- 飯田線平岡駅と遠山郷を結ぶ系統。
- 和田~満島~平岡駅前
- 遠山郷線
- かぐらの湯・和田~上村~程野~(矢筈トンネル)~市立病院~飯田駅前
- 矢筈トンネル開通に伴い、遠山郷と飯田市内を直結すべく、従来の程野系統を延長させた系統。同線の開通により、遠山郷から飯田市内への通学も可能となった。
- かぐらの湯・和田~上村~程野~(矢筈トンネル)~市立病院~飯田駅前
- 八重河内線
- 和田~八重河内
- 市民バス・村民バス
過疎等に伴う乗客減に伴い、平成に入り大規模な路線整理が行われた。その際、路線の一部はコミュニティーバス化され、飯田市内で完結する系統は引き続き信南が運行を受託している。
- 大休循環線(おおやすみ)
- 飯田駅前~砂払~多摩川精機~大休~西の原団地~砂払~飯田駅前
- 旧・大平線(飯田~大休~大平峠~三留野(南木曽))の末裔。
- 飯田駅前~砂払~多摩川精機~大休~西の原団地~砂払~飯田駅前
- 久堅線(ひさかた)
- 飯田駅前~市立病院~松尾~下久堅~上久堅~平栗車庫
- 千代線
- 飯田駅前~市立病院~時又~龍江~千代~法全寺
- 市内循環線
- 飯田駅前~上山~一色~名古熊~市立病院~鼎~加賀沢橋~飯田駅前
- 新設系統。旧市街(丘の上)とアップルロード地区を結ぶ。近時は増便が続いている。
- 飯田駅前~上山~一色~名古熊~市立病院~鼎~加賀沢橋~飯田駅前
- 三穂線
- 飯田駅前~市立病院~三日市場~下中村~三穂~立石
- 新設系統。
- 飯田駅前~市立病院~三日市場~下中村~三穂~立石
- 氏乗線
- 飯田駅前~市立病院~小川渡~富田~氏乗~矢筈こんにゃく
- 喬木**~富田~氏乗~矢筈こんにゃく
- 喬木大島線
- 飯田駅前~市立病院~阿島(北保育所)~三枚添~喬木大島
- 喬木**~ビーワン前~阿島(北保育所)~三枚添~喬木大島
[編集] 廃止された路線・系統
- 旧・名飯線(急行):飯田~駒場~根羽~足助~四郷~今池~名古屋
- 旧・長野線(急行):飯田~伊那市~塩尻~松本~信州新町~長野
- 根羽線:飯田~駒場~浪合~平谷~根羽
- 駒場~根羽間:西部コミュニティバス移管
- 園原線:飯田~駒場~昼神~園原(神橋)
- 道路事情の関係で、小型バス(ローザ)での運行だった。(1985年10月廃止)
- 清内路線:飯田~駒場~昼神~清内路峠~妻籠~南木曽
- 同:飯田~駒場~昼神~清内路(長田屋前)
- 駒場~清内路間:清内路村営バス移管
- 伍和線:飯田~駒場~伍和(堀割)
- 駒場~伍和間:阿智村営バス移管
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- かつては下條村山田河内まで乗り入れていた。
- 山本・伊那谷道中線:飯田~山本支所~杵原広場~伊那谷道中
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- かつて伊豆木まで乗り入れていた。(1969年4月廃止)
- 大平線:飯田~大休~大平峠~妻籠~南木曽
- 大休線:飯田~大休
- 市民バス移管
- 新田線:飯田~上黒田~上市田~新田(選果場前)
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- かつては上片桐駅まで乗り入れていた。
- 市田循環線:飯田~座光寺~市田~田村~阿島~伊久間~飯田
- 河野線:飯田~伊久間~阿島~田村~河野
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- かつては松川町福与まで乗り入れていた。(1992年3月廃止)
- 喬木大島線:飯田~阿島~喬木大島
- 村民バス移管
- 富田・氏乗線:飯田~小川渡~富田~氏乗
- 村民バス移管
- 久堅線:飯田~松尾~下久堅~上久堅~平栗
- 市民バス移管
- 千代線:飯田~時又~龍江~千代
- 市民バス移管
- 泰阜線:飯田~松尾~千代~平島田
- 旧・三穂線:飯田~松尾~川路~三穂
- 名古熊線:飯田~鼎~名古熊
- 殿岡線:飯田~上山~一色~殿岡
- 門島線:早稲田~富草~門島
- 福島線:市田駅~田村~伴野~福島
- 豊丘村営バス移管
- 堀越線:市田駅~田村~堀越
- 豊丘村営バス移管
- 佐原線:市田駅~田村~佐原
- 豊丘村営バス移管