伊東秀子
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伊東 秀子(いとう ひでこ、1943年8月15日 - )は、日本の弁護士、政治家。
衆議院議員(2期)を歴任。
生年月日 | 1943年8月15日 |
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出生地 | 満州 |
出身校 | 東京大学 |
学位・資格 | 文学士 |
前職 | 弁護士 |
所属委員会 内閣役職 |
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世襲 | 無 |
選出選挙区 | |
当選回数 | 2回 |
所属党派 | 国民新党 |
党役職 | 参議院比例区北海道第一支部長 |
会館部屋番号 | |
ウェブサイト | 伊東秀子ホームページ |
[編集] プロフィール
満州(現・中国東北部)で出生し父の故郷である鹿児島県で育つ。東京都立戸山高等学校、東京大学文学部卒。 大学卒業後、家庭裁判所調査官を経て、1979年に司法試験に合格。1982年弁護士登録。
日本共産党離党後、1990年の総選挙で旧北海道1区から(参院に鞍替えした)竹村泰子(北海道一区)後継で日本社会党公認候補として初出馬し憲政史上最多得票で初当選を飾る。東京佐川急便事件の際には、事件と小沢一郎の関係を追及し、一躍有名になった。1993年再選。小森龍邦らと共に左派の論客として知られるようになる。
1994年4月25日に小沢一郎が「どの女と寝ようがいいじゃないか」と発言すると、「女性蔑視である」と小沢を厳しく批判。また白川勝彦ら自由民主党の反小沢勢力と連携し、自社さ連立政権誕生に尽力した。
1995年に自由民主党道連会長の佐藤孝行から北海道知事選への立候補を要請され、社会党から除名処分を受けながら自民党・自由連合の推薦と新党さきがけの支持と、平和・市民などの支援を受けて出馬したが、前知事横路孝弘後継で新進党・公明・民社協会などが推薦の堀達也に敗北し、次点に終わる。
1999年・2003年の道知事選にも無所属で再出馬したが、1999年は現職の堀の前に再び次点、2003年は新人の高橋はるみに完敗した。
その後は弁護士活動に専念し、恵庭OL殺人事件や前苫小牧市長櫻井忠などの弁護を担当していたが、亀井静香から要請受け2007年7月施行の参院選に国民新党の比例代表候補として出馬したが、11位落選(得票19289)した。
夫は大学教授の伊東倫厚。