五・三〇事件
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五・三○事件(ご・さんれいじけん、ご・さんぜろじけん、ご・さんじゅうじけん、ご・さんまるじけん、まれに、ごがつさんじゅうにちじけん)とは、1925年5月30日に上海で始まった反帝国主義的な(特に、日本とイギリスに対する)、大規模の紛争。五・三〇運動ともいう。五四運動とは異なり、「五三〇事件」と中黒点をつけない書き方は、通常なされない。また、「五・三十事件」と書くことは、極めてまれ。数字で「5・30事件」と書く場合もある。なお、中国語では、「五卅慘案」である。
1925年5月15日に、上海にある日本資本の工場の争議中に死傷者が出たこと(工場側当事者が発砲した)が発端となり、5月30日に、学生らが抗議活動(ビラ配布、演説等)を行った。
これに対して、上海租界当局および日本、イギリス他、租界の諸外国による厳しい取締りが行われ、逮捕者や死者が出たため、これをきっかけに、全市の労働者によるゼネストに発展し、さらに、全国へと動きが広まった。特に、6月から始まった、広東省および香港の省港ストへもつながっていった。
この事件は、一般に、中国の民衆運動が、五四運動から次の時代・段階に入ったことを示す画期的な事件である(例えば、運動の中心が、学生から労働者へ変わった)として、高く評価されている。また、1925年7月の広東(広州)国民政府成立を後押しする大きな力となったとも評価されている。